孔子様は四十を不惑としたけれども、僕は五十をいくつか過ぎてもまだ迷ってばかりだ。
太郎は小学4年。邪気がなさすぎと感じられることも多く、年齢の割りに幼いとも思う。
【父子の会話】
父 (太郎が感心にも机で勉強しているのをみて)うん、頑張ってるねえ。でもパパが子どもの頃は家で勉強したことなかったなあ。学校で授業を一生懸命聞いてるだけでオール5だったね!(と自慢したが・・・)
太郎 それで普通のサラリーマンか・・・
どうもこの絵柄には「お手本」があるらしい・・・
先日、母方の叔父が逝った。強い個性の人で、私などにも折に触れて声を掛けてくれた。卆寿を越えた大往生だが、とりたてての葬儀はせず、遺志どおりの家族葬だという。時代は、家族のあり方、終末の迎え方、墓の持ち方、・・・それぞれに大きな変化のただ中にある。
私の両親もまた仙台で、今にも折れそうになる細枝が二本、支えあうように暮らしている。もういつ何があってもおかしくない、・・・そういう覚悟はあっても、いざそうなれば、あれを聞いておくんだった、これを聞いておくんだったと、後悔が重なることもまた間違いない。
「黒崎の鼻」の磯(2008年11月)
今年、勤務先の三年ごしの経営難はようやく終わりがみえてきた。あまりに深かった「谷」の負債を背負いながらも、徐々に状況は好転しつつある。自分についても、よくも倒れずここまで踏ん張り抜いたと静かな自信を感じながら振り返っている。
2008年の師走。後で振り返れば、結構大きな人生の節目の年ということになるかもしれない・・・
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