日曜日, 11月 04, 2012

西から北から美味しい野菜が





あきゅらいずのサマーキャンプがご縁で、岩国のあきゅらいず農園から美味しい秋の収穫物を頂いた。

サツマイモのレモン煮をつくってみた。
<材料>
・サツマイモ 300g
・レモン 1個
・砂糖
<手順>
・サツマイモを洗って切り、タジン鍋(ごく弱火)で約20分
・タジン鍋には、焦げつき防止のため、初めにオリーブオイルを
・蒸し上げる途中で、レモン果汁に水と砂糖を加えたものを適当にふりかける
<評価> ★★★★☆ いやもう最高です!
北海道の今金町は「男爵のふるさと」。毎年、かの地で出荷される男爵芋の価格がその年の男爵の相場の基準となるといわれるという。
これを出張のついでに10kg買ってきた。

この男爵と三鷹野菜のコラボでポテトサラダをつくった。三鷹野菜は、すべて吉野稔ファーム産。

<材料>
・男爵芋 中~大4個(600gくらい)
・ニンジン 1本
・ほうれん草 100g
・サンチュ 50g
<手順>
・男爵とニンジンの皮をむき、適当な大きさに切って茹でる(10分ちょい、水には塩を加える)
・ほうれん草は短く切り、別に軽く塩ゆでする
・茹でた男爵はポテト・マッシャーでつぶし、ほうれん草とニンジン、多めのマヨネーズ、シークヮーサードレッシングを加えてよく練る。
・今日は、カレー風味にするため、るま・ばぐーすさんで買ったカレーペーストを加えた。
・皿にサンチュを敷いて盛りつけた。
<評価> ★★★☆☆ 大変美味しい!

あきゅらいずさんからのお裾分けの一部です。
・ひとめぼれの玄米
・ざら茶(あきゅ農園で手摘みしました、とある)
・ヤマゴあわせみそ(五味醤油の米麹などを使った無添加天然醸造)

パックのリーフレットには、「食べることは、生きること。」とある。
・・・余言は不要ですね。

水曜日, 9月 12, 2012

土曜日, 8月 20, 2011

なにかを言わねば・・・

3月11日の地震から5か月が過ぎた。今年の夏はことに暑い。
あの震災は節目だった。そのことに気がつかない者はいないが、その意味するところをそれに相応しい広さと深さで把握している者は少数にとどまるような。

いま何を言うべきだろう、何を書くべきだろう・・・

まず日本政治の貧困は特筆しなければならない。
中央の政治は人々の現実から遙かに遠い。ますます遠ざかりつつあるといってよい。
「社会から生まれながら、しかも社会の上にたち、社会から自らをますます疎外していく権力」という、国家についてのF・エンゲルスの定義が思い起こされる。
さらに、社会革命の時代の到来について、「下層が以前のように生活することを欲しないだけではなく、上層がこれまでのようにやっていけなくなるということが必要」というレーニンの指摘も、100年を経て、いま想起されるべきと思われる。

政治、そして行政に関わる方たちにはしっかり肝に銘じておいてほしいところである。
みなさんの足下にあって、普段物言わぬ人々に対する想像力を欠き、政治を私闘、私利の風下におくことは罪であり、必ずしかるべき報いを受ける日がくるということを。
原発の破壊と暴走は、日本社会の破綻の始まりであり、つぎに来るのは日本国債の暴落ではないだろうか。

そして、原発を暴走させて北半球の大気と太平洋を放射線で汚染した行為は罪ではないか。
この罪を追求することが必要ではないか。
政治家、官僚、マスコミ、・・・断罪すべき人々は数限りないが、数限りなければ罪に問わないということにはならない。

日曜日, 2月 13, 2011

子育てはうまくいかず・・・

この一月、太郎は12歳となった。

昨年夏に母が熱中症でダウン、話すことの辻褄がやや合わなくなって認知症かと心配したが、幸い兄と姉が交替で仙台に詰めてくれて一応の健康を回復した。
正月には父がわずかな酒で座ったまま昏睡し、早とちりした母が医者を呼ぶ騒ぎになった。
その母もまた、2月に入って虚血で倒れて意識を失い救急搬送されたり・・・。
仕事柄、介護保険の制度面には詳しくても、実際に身内の問題となるととまどうことが多い。

両親のようすをみにいく他に福島市での仕事もあり、最近、東北新幹線に乗る機会が多かった。
座席に置いてある広報誌に伊集院静さんがエッセーを連載されている。
家族の想い、とりわけ親の子への想いをつづった文章がいつも心をうつ。
子は親の想いの深さになかなか気づかず・・・、とあった。
子育てはうまくいかず・・・、とも。



Tarou 2011

金曜日, 11月 06, 2009

十円玉


今朝、銀行のCDに小銭を入れたところ、故障で処理が止まってしまった。
原因がこの十円玉。
充分過ぎるほどスリ減り、厚みさえ少ない感じだ。
よく見ると「昭和二十八年」とある。うん、何とこの硬貨は僕より1年「先輩」だった!
世の荒波を幾星霜、・・・乗り越えてきたという訳だ。

思うに、いよいよ僕らの世代(ポスト団塊)も、世間との格闘で身も心もボロボロという方が目立つようになった。
少し先輩になるが、昔、籍を置いた会社でお世話になった奥村真さんが、先日亡くなったという。
もちろん僕らは、まだ守りに入る年齢ではなく、またそれが許される状況でもない。
CDが十円玉と認めてくれなかった硬貨を見ながら、わが行く末を思う朝だった。

日曜日, 11月 01, 2009

毘沙門の落日

三浦の毘沙門港あたりまで遠出した。
釣具屋によると、どの磯も釣果が芳しくないという。
この日の満潮は午後3時。海は少し荒れて、砕ける波が釣り人の足許を洗うようになった。
大物を狙う欲と波が砕ける恐ろしげな轟きを両天秤にかけて、慎重に足場を選んだ。
これで釣ったのが下のウミタナゴ、・・・22センチあった。
(先輩の釣師の皆さん、笑わないでください、・・・これでも僕には「大物」です)
振り向くと城ヶ島の向こうに夕陽が落ちるところだった。

火曜日, 10月 27, 2009

秋天晴日 a nice day in autumn blue sky


Ogikubo, Tokyo metoropolitan city(2009.10.27)

この一年ほど、いろいろなことがあった。
4月に太郎は小学五年となり、ますます私の言うことを聞かなくなった。
いつもベンチを温めているようすだが、少年野球チームの練習に欠かさず参加している。
仕事では、1年半ほどの「社内起業」の試みがゆきづまり、私自身も20年近く籍を置いた会社を辞めることとなった。
この時には、たくさんの方々から励ましを頂いた。
とくに旧くからの先輩である岡部喜重郎氏が「千葉さん頑張れ、失敗してもあまりめげずに、成功を目指して頑張って」と書いて頂いたことが心に沁みた。
三浦の海には変わらず通い続けている。
もっとも、三戸浜のビーチバムを含め、相模湾一帯の海岸線は、先日の台風18号(メーロー)でボロボロになった。5月にみんなで遊びに行った黒崎の鼻の手前の浜では、砂が削りとられて先に渡れなくなった。
仙台では、父が92歳、母が86歳となり、変わらず二人だけの暮らしを送っている。

・・・私は落ち込んでいる訳ではない。そういう余裕もない。
前よりもっと集中して働いている。さらに計画的になっている。
しかし、この20年間のような、ただガムシャラに走るような働き方は止めよう、と思う。
人生の第三ステージの目標は15年後(70歳)くらいに置きたい。
皆さん、よろしく。そして、ありがとう!
頭をあげ、笑顔をつくり、・・・さて、出発としよう!


館山にて 2009.8.5






木曜日, 1月 22, 2009

いや、失敗、失敗・・・

今日(1月22日)、中野区の警大跡地開発計画の事業者説明会が開かれ、私もご縁があって会場の一席に座らせて頂いた。会の経緯については、またどなたかが報告されることと思うので省かせて頂くが、どうもこの計画はイケナイ、・・・実質的な事業主体である東京建物の説明も何かウツロな響きがした。彼ら自身がこの計画の実現性に確信をもっていないのではないか、・・・そんな疑問が胸をよぎった。
会場で配られた資料には「平成21年度着工(予定)」とあった。でも、なぜ「予定」なの?
土地代だけで1,400億円という、いかにも「時代に相応しくない」巨大プロジェクトがこのまま計画どおり進行する保証はどこにもない。21年度着工、24年度竣工という「予定」を守れなかった場合、そのリスクは誰がとるのだろうか? この「予定」はいかにもあり得ないものに思える。
区民の立場として、計画が頓挫した場合(その可能性は決して小さくない)、いかなる意味でも区に負担や尻拭いを求めないという一札を東京建物に求めるべきであると思う。

私自身はこの会場で、かなり緊張してしまった。
・・・いや、まだまだ修行が足りない。
番小屋のお母さんにこのお話をしたら、「名優は無茶苦茶緊張するもの」と聞いたようなことをいう。
知った間柄のグループで話すのとは違う、好意も悪意も入り混じった場で生き生きと自己主張する訓練をしよう。某大国の新大統領には敵わぬとしても、ね・・・

水曜日, 12月 31, 2008

たろパパ、大晦日にボラを3匹釣ること

なにやら『今昔物語』風のタイトルだけれども、昨日(30日)から三浦半島・湘南に釣りに出かけた。昨日は暖かく、午後に強くなりかけた風も夕方には収まり、今日は今日で穏やかな釣り日和となった。


この夕陽が今年最後・・・(31日、久留和漁港)



昨日はこの一年よく通った「黒崎の鼻」へ。昼すぎ、だんだん風が出てきて波も荒くなってきた。わずかに手のひらサイズのウミタナゴのみで撤退。ビーチバムさんで今年最後のランチを頂いた。そして、昨晩は、急遽、平塚の姉の家に泊めてもらった。・・・釣り宿代わりにしてしまい、本当に申し訳ない! でも、久しぶりの四方山話が楽しかった。

今日は大磯漁港から江ノ島の磯、そして葉山の少し先にある久留和漁港へ。結局、この日釣れたのはボラ(イナ?)、ボラの幼魚(イナッコ?、スバシリ?)の3匹のみだった。この季節、ボラは脂がのり、刺身は濃厚な味わいがする。

今日は富士がよくみえた(31日夕刻、久留和漁港から)



ボラのウロコは落ちやすいが、イナセの語源というとおり、姿は美しい


ボラは出世魚とか・・・。大晦日に大中小のボラを釣るのは縁起がよい、と勝手に思う。この秋以来の経済の崩壊、ガザの空爆による大量殺戮、・・・暗いニュースばかりが飛び交う時代。何とかこの時代そのものが変わるように・・・、本当の「チェンジ」が到来するように。



チェンジ アンド スマイル、・・・ちょっと唐突な書き方だが、これが「新年のスタンス」ではないだろうか

日曜日, 12月 07, 2008

葡萄、ブドウ、ぶどう

今年のこの「日記」は今日で5回目、・・・これでは日記ではなく、月記でもなく、季刊になってしまう。回数からみれば、今年は最少の年、ブログの運命は「風前のともし火」といってもよい。

孔子様は四十を不惑としたけれども、僕は五十をいくつか過ぎてもまだ迷ってばかりだ。

太郎は小学4年。邪気がなさすぎと感じられることも多く、年齢の割りに幼いとも思う。
【父子の会話】
父 (太郎が感心にも机で勉強しているのをみて)うん、頑張ってるねえ。でもパパが子どもの頃は家で勉強したことなかったなあ。学校で授業を一生懸命聞いてるだけでオール5だったね!(と自慢したが・・・)
太郎 それで普通のサラリーマンか・・・


どうもこの絵柄には「お手本」があるらしい・・・


先日、母方の叔父が逝った。強い個性の人で、私などにも折に触れて声を掛けてくれた。卆寿を越えた大往生だが、とりたてての葬儀はせず、遺志どおりの家族葬だという。時代は、家族のあり方、終末の迎え方、墓の持ち方、・・・それぞれに大きな変化のただ中にある。

私の両親もまた仙台で、今にも折れそうになる細枝が二本、支えあうように暮らしている。もういつ何があってもおかしくない、・・・そういう覚悟はあっても、いざそうなれば、あれを聞いておくんだった、これを聞いておくんだったと、後悔が重なることもまた間違いない。


「黒崎の鼻」の磯(2008年11月)


今年、勤務先の三年ごしの経営難はようやく終わりがみえてきた。あまりに深かった「谷」の負債を背負いながらも、徐々に状況は好転しつつある。自分についても、よくも倒れずここまで踏ん張り抜いたと静かな自信を感じながら振り返っている。

2008年の師走。後で振り返れば、結構大きな人生の節目の年ということになるかもしれない・・・

月曜日, 11月 03, 2008

鳥の死

今日、出勤してみると、席の外のベランダに鳥の死骸が落ちていた。ムクドリだろうか、・・・ちょっと違う気もする。イマドキは(鳥インフルが怖く)鳥の死骸にうっかり触ることもできない。でも、雀やシジュウカラ、逃げ出したインコなど、普段見かける鳥たちはどこで死ぬのだろう? 普段見かける鳥たちの数に対して見かける死骸が少ないのはなぜだろう?


夜、母親が太郎に算数を教えている。・・・が、どうも太郎はイヤイヤで興がのらない。母も強情、太郎も強情、互いのやりとりがだんだんトガってくる。母親の努力が空回りしているようだ。私はそばでみながら、算数ぎらいをまたひとりつくらなければよいがと案じる。


昨日も「黒崎の鼻」にひとり釣行となった。ご近所や太郎の保育園時代の皆さんを誘ったが、残念ながらどなたも都合がつかず。トナリのシュウシュウはすごく行きたかったのに、朝になってみるとたろパパの車がなく、ワンワン泣いたとのこと、・・・シュウシュウ、ごめんなさい。「鼻」はやや波が高かったが、先のほうで25センチクラスのチンチン(クロダイ)を上げている方もいた。

勤務先の経営危機はまだまだ安心できないけれども、少し落ち着いてきた。このブログ、以前のようにはいかないだろうが、また少しずつ書いていきたいと思う。

土曜日, 8月 16, 2008

残暑お見舞い申し上げます

皆さまにはすっかりご無沙汰してしまいました・・・



太郎は元気に「10年目の夏」を過ごしております
残暑見舞いのお返しに使いたいと思い、写真のハガキを欲しいと頼んだら、「それは一番よく描けたものだからダメ」と断られてしまいました、・・・実は私もこの一枚の色づかいがよいと目をつけていたのです

太郎については気がかりなこともあります、・・・これについてはまたいずれ改めて書きたいと思います。明恵上人が「我すでに老いたり」と記した年頃、少年としての完成期にさしかかった太郎にも「嵐の時代」はまもなくやってくるでしょう。ロクな親でもありませんが、よくよく心していきたいと思います。

今年は3年に1度の介護保険計画見直しの年でもあり、この盆の最中ですらまったく休みもとれません。皆さまにはさまざま欠義をし、ご迷惑もお掛けしています。いま暫しのご猶予、お許しを頂きたくお願い致します。

日曜日, 3月 23, 2008

想像の魚

【絵】想像のさかな、・・・だそうです(2008.3.23)

3学期が終わり、太郎が学校で描いた絵を持ち帰ってきた。色づかいがよいと思ったので、太郎に「許し」を得て(彼はこういうことに結構ウルさい、・・・誰に似たかな)、仙台のおばあちゃんに送った。この仙台の(私の)母が急に痔の手術をすることになり、忙しいためお見舞い代わり、という意味もあった。ついでに勤め先のPCのデスクトップの背景に入れたが、色づかいが強すぎて「ちょっと疲れる」感じもする。これまでのペリカンの方がまだ落ち着いていてよかったかなあ・・・


この1月末以来、土日休日を含めて1日も休めない繁忙が来た。仕舞には某特例市の高齢福祉課の連中と激しいバトルになってしまい、食事ができない(食べ物を受け付けない)、連続下痢状態になった。自身の「怒りの感情」が、これほど強く身体に影響することに、改めて驚いた。このあたりはコンサル業務の宿命かとも思うが、そういって納得ばかりもしていられない。今もまだ数時間単位で気の抜けない過程が続いている。


年度末の繁忙が来たのも数年ぶりだが、今年はいくつか心から興味をもつことができるプロジェクトに係わることができたことがうれしい。まだ、余裕をもって振り返る段階ではないけれども、いろいろなところで応援して頂いた皆さんに、心より感謝したいと思っている。・・・とりあえず、報告と更新停滞のお詫び(言い訳?)に代えて書いておきます。・・・と、それにしても「釣り」に行きたいなあ・・・



土曜日, 1月 26, 2008

福田さんは世界の指導者にはなれない・・・

今晩のTVで、ダボス会議での福田首相の演説が流されていたが、「ああ、これはいけないなあ」と、そのつまらなさ、内容の薄さにすぐチャンネルを切り替えた。草稿は誰が書いたのだろう、首相ご自身か官僚の手助けがあったのか、・・・いずれにしろ、緊張感のない、人を惹きつける工夫のない言葉の続きように、私は聞く気を失った。確か、昨年暮れの温家宝中国首相の演説だったか、中国語もまたできない私にはまったく聞き取れないながら、一語一語に意を込めて両国民に語りかけるかの態度に、さすがに言葉の大国の政治家と感心したことが頭をよぎった。

言葉は政治家の最大の道具ではないのか。もちろん政治家だけではないだろう、社会というものをつくって生きていく人間一般(!)にとって、言葉以上に重要な生活の要素を探すことは簡単ではない。内容の薄い言葉をタレ流すかのような政治家は、実は何事かをなそうとしていないのではないかという疑念を抱かせる。あの演説の調子から、福田首相が地球温暖化に真剣な危機感をもっていると信じられるだろうか。・・・あるいは、洞爺湖サミットを自身がホストの立場でリードすることをどこか信じていないのではないか。そんな「憶測」すら生みかねない演説だった。

【写真】樹氷のライトアップ(2008.1.3 蔵王、地蔵岳山頂)

今年初めての記事となりました。本年もよろしくお願いします。



土曜日, 12月 22, 2007

人の生命に線引きをするのか

気がつけば、あと10日で今年も終わりとなる。
このブログ、12月になってからまだ一度も更新していないが、歳の瀬らしくすこしこの一年を振り返ってみようか・・・

正月に(これは来年の)、妻・太郎と仙台の私の実家に寄り、ついでに蔵王でスキーをしてこようという話になった。私も15年ぶりのスキーで、ウェアを押入れの奥から取り出してみた。このウェアを買った頃、私はまだ250ccのバイクを乗り回し、体重は62キロほどだった。今は80キロ+。腹のまわりにしっかりと肉がついている。で、ウェアを着てみて驚いた。・・・腹回りのチャックが閉まらない! 両脇のショーターを完全に外してようやく押し込んだ。ギリギリセーフか? 厚いセーターを着るのは難しいかもしれない。ああ、まったくヤレヤレである。来年はこの腹回りの肉と格闘せにゃいかんなあ。

【写真】太郎の少年野球もこの1年よく続いたものだ(2007.11.24)

最近ではこのブログの更新も少なくなってしまったが、この一年、折々の政治寸評などは、それなりに世の人々の率直な思いを表してきたのではないかと、わずかな自負もある。4月には緑資源機構の談合について「怒り」を書いた。松岡農水大臣が秘密を抱えたまま自死するというバカなことをやったのはその後だった。

9月の初めには、安倍首相が例の給油活動にこだわる発言をしていて、「どーもなんか妙だな」と思いつつブログを書いていたが、結局、もろくも政権を投げ出してしまうという結果となった。

まあそのようなことで、今週のC型肝炎訴訟についての原告団と政府(福田氏)のやりとりを聞いて、「ああ、これで国民は、かろうじて握っていたフクダコ(凧)の糸を放したな」といった感想をもったことも、あながち世の潮目を見誤ってはいないと思える。国民の支持を失った政権は「糸の切れた凧」のように、まもなく地に墜ちるだろう。

「人の生命に線引きをするのか!」という批判、あるいは原告団が政府の方針を拒否した判断が適切かどうかは、私にはわからない。しかし、「線引きをしなければ補償対象が際限なく増える」という、政府側のいかにも官僚的な判断について、私は殊に腹が立った。私は慢性B型肝炎の患者で、幸いにも肝炎のレベルが低く、日常生活にほとんど支障はないが、それでも毎日1錠の服薬を欠くことができない。薬代もけっして安くない。

つまるところ、「線引き」の問題は、政府財政の困難と国民の健康を秤にかけて、前者が重いといっている訳だ。そのような判断を、原告団が受け入れるべくもない。もし政府が本気になってすべてのC型肝炎患者に対して責任を認め、政府が倒れる危険があっても対策をやり抜くといった決意を表したらどうであっただろう。国民は政府を支持し、消費税の値上げでもなんでも受け入れるのではないか。・・・そのようなダイナミックな決断にこそ政治家の役割りがあるはずだ。しかし、福田氏はそれをしなかった。官僚に負けたのだ。いや、自分に負けたというべきかもしれない。そして、新年早々の総選挙という可能性が高まった。

今年を振り返れば、私が釣りにハマったことについて、ぜひ書かなければならない。でも、まあ今日はここまでにしよう・・・

月曜日, 11月 19, 2007

四目釣り

この土曜日、二週間ぶりに磯釣りに出かけた。
今年3月、多摩川のマルタウグイから始まった私の釣り修行は、夏場の鮎から東京湾のハゼ、そして秋口から三浦半島周辺の磯釣りへと変わってきた。
いっぽうで、ヒマを持て余していた勤務先の業務は、(理由ははっきりとしないが)夏を境に様相が激変し、超繁忙のありさまとなった。それまでのあまりの不景気を打開すべく立ち上げた新会社のほうは、まだ具体的な企画に着手する余裕もない。
この9月から、そして、とりわけこの数週間は、毎日がまったくもって「せわしない」。新しい貴重な経験もたくさんしているが、それをじっくり振り返っている時間がない。

【写真】五目ならぬ「四目」釣り(2007.11.17)

これが、黒崎の鼻での釣果。キュウセン、メジナ、イシダイ、マダイといったところだろうか。キュウセン以外は皆、幼魚だ。


【写真】キュウセンの刺身と磯汁(2007.11.17)

キュウセンは刺身に、メジナなどは味噌仕立ての磯汁にしてみた。写真の奥に控えるのは宮田酒店で奨められた広島の寶剣(ほうけん)、辛口で上質を感じさせる味わいだ。
昨日は今年はじめての木枯らしが吹いたが、仕事の合間をぬっての磯釣り行を、もう少し続けたい。

日曜日, 11月 11, 2007

そろそろ寒くなってきた

今年の釣りのシーズンも終わり、というわけではない。なによりこれからは海の魚が美味しくなる季節。とはいえ、寒風をついて浜で魚を探すのは楽ではない。天気、波浪ともに穏やかな休日を選んでの釣行となっていくだろう。


【ムービー】シーカヤック、メジナ、クサフグ(2007.11.3)


11月はじめの三浦半島、荒井浜で釣ったメジナ、クサフグたちのビデオをアップしてみた。前回のブログのとおり、この日の早いうちは、クサフグの入れ掛かりが続いて、足元のタイドプールはたちまちクサフグたちで一杯になった。このクサフグの群れと格闘する私の目の前をシーカヤックのグループがゆく。

ビデオの後半は小メジナやクサフグが泳ぐリビングの海水槽。10月に太郎が釣ったクサフグは、最近になって1匹昇天し、庭のバラの木の栄養となった。3匹のメジナのうち1匹は私の腹に収まったが、残りの2匹はビデオのとおり元気に泳ぎ回っている。

今日は冷たい雨の一日だった。釣りの道具箱を整理したり、仕掛けを作り直したりしながらの一日だった。今度の釣行はいつになるだろう・・・


火曜日, 11月 06, 2007

キュウセン VS コッパメジナ

キュウセンとコッパ(木っ端)メジナが磯浜でバトル、という話ではない。共におとといの荒井浜で私が釣り上げた両者、いや両魚の「刺身対決」だ。

【写真】これがキュウセン、上の体長は約20センチ(2007.11.3)

キュウセンは、これまで関東ではあまり人気がなかった。ただし、最近はだんだんその美味しさが知られつつあるようで、あちこちの釣りブログに食味を賞賛する意見をみることができる。おととい荒井浜で釣ったキュウセンは、針を飲んだまま、家に持ち帰ってもとても元気だった。ジタバタ暴れるキュウセンを四苦八苦しながらさばき、その場で醤油で食べてみた。


【写真】シーカヤックのグループがゆく(2007.11.3 荒井浜で)

この日、波は比較的穏やかで、クサフグの大群に四苦八苦している私の目の前をシーカヤックのグループが通り抜けていった。来年、また暖かくなったら、太郎とシーカヤックを始めてみようか・・・。


【写真】コッパメジナ、13センチ(2007.11.5)

一方、こちらがメジナの幼魚。3匹釣り上げ、今朝までリビングの海水槽で泳いでいたが、先ほど私が帰宅すると、この1匹だけ腹を上にして硬直していた。「釣った魚は食べる」・・・さっそく三枚に(というほどのボリュームはないが)おろしてみた。レモンと醤油で頂いた。



【写真】これはメジナ(2007.11.3)

判定は・・・キュウセンの勝ち、というか、生きたまま捌いたキュウセンと昇天してから捌いたメジナでは勝負にならないかもしれない。しかし、キュウセンの淡白でふっくらした甘みはどうみても上。メジナは少し磯の味がする、と言っても、これは好みの問題ではある。

火曜日, 10月 16, 2007

キュウセンの嘆き

オレはキュウセン。小さい頃はメスだったが、大きくなってオスになった。日本人の中には、オレのことを求仙とか九仙とか書く人もいるらしいが、要はベラの仲間だ。思い出すのも悔しいが、つい先週のこと、いつもの磯浜で朝寝して(実はオレ、砂浜の中に半分埋まり横になって朝寝するのが大好きなんだが・・・)、起きがけに目の前に流れてきた大ぶりのエビを喰ってしまい、これが運命のわかれめとなってしまった。

だいたいこのオレを釣ったオヤジというのが変なヤツで、オレをクーラーボックスに放り込むと、車を出したついでに、ついすとあんどしゃうと・・・とか、でかい声で歌いだしやがった。こっちは寒いし、頭がだんだんボーっとしてくるし、釣られたショックで声も出ず、ホント悔しかった・・・。

オレも刺身になればちょっとしたもんだし、釣り師の西野弘章さんとか、ちゃんとした人に釣られて写真でも撮ってもらえたら死んでも本望なんだが、こんな変な素人オヤジに釣られ、オマケに小麦粉まぶされて揚げられちゃあ男がスタる、いや魚がスタるというもんだ。このオヤジ、また三戸浜か城ヶ島あたりに行くらしいので、キュウセンの兄弟や親戚のクロダイたちは気をつけたほうがいい。まあ、たいした腕でもないので、気をつけるほうでもないかもしれないが・・・。



三浦半島の先端近く、相模湾側に三戸浜がある。この三戸浜から北に続く磯浜の突端が「黒崎の鼻」だ。12月になって北の季節風が強くなれば、磯浜の釣りは難しくなる。残された期間をせいぜい楽しもうと、せっせとこの浜に通っている。

この浜は、波さえ静かならば、小さな子どもたちの絶好の磯遊びの場にもなり、ファミリーのハイキングには最高だ。先週、この磯で約20センチのキュウセンを釣った。(注:このムービーは観音崎で黒崎の鼻ではありません)

このムービーに出てくるクサフグは、一番ポピュラーなフグでもあるが、もちろん食べるわけにはいかない。生命力は強く、同じ「外道仲間」のネンブツダイが即刻昇天してしまうのに対し、これまで持ち帰った4匹ともシッカリ生きている。

日曜日, 10月 07, 2007

チン、いやチンチンか

チン、これは千葉あたりで「その年に生まれた体長10センチ前後の」クロダイをいうらしい。・・・ぼうずコンニャクさんの市場魚貝類図鑑による。
今日は、溜まりに溜まったストレスを一掃すべく三浦半島の三戸浜まで車をとばした。

【写真 三戸浜のビーチバムのデッキから 2007.10.7】

しかし、今日の海はうねりが強かった。三戸浜にビーチバムというおしゃれなレストランがあるが、そのデッキからみる磯場には白波が吹き上がっていた。遠く南西諸島にある台風の余波かもしれない。


【写真 クロダイ、でしょ? 2007.10.7】

三戸浜の横にある初声漁港の岸壁もにごりが強くて釣り人たちのバケツはみんな空っぽだった。そこで、油壺のヨットハーバーのあたりに廻ってみた。そこですぐに釣れたのが、この「チン」だ。これが20センチくらいになると「チンチン」になるらしい。これはちょうど半分の15センチほどなので「チンチ」くらいか・・・。


【写真 ニンニクを加えてオリーブオイル焼きに 2007.10.7】

小さくても味は一人前、・・・海水に入れて生きたまま持ち帰り、塩コショーをしてオリーブ焼きにしてみた。身が締まっているとはいえないが、味は上品だ。もっと大きければ刺身にすると美味しそうだ。