火曜日, 2月 28, 2006

「ザルツブルグ音楽祭のねらいは街おこしだった」は本当か?

<たろパパのオフィス・トリビア No.00003>

 少し堅めのお話しが続きましたので、今日はぐっと気楽に行きたいと思います。とは言え、根が真面目なたろパパですので、昨年亡くなり「20世紀最高の知性」などと本の帯に書かれて天国で苦笑されているかもしれないピーター・F・ドラッカー先生をめぐるトリビアで参りたいと存じます。出典はいずれも『ドラッカー 20世紀を生きて 私の履歴書』2005年 日本経済新聞社から。

1)「ザルツブルグ音楽祭のねらいは街おこしだった」は本当か?
 答え:本当です。ドラッカー先生のパパはオーストリア・ハンガリー二重帝国の政府高官で、帝国の解体後、オーストリア政府の行政官を務めたとのことです。そして、「1920年にはザルツブルク音楽祭を共同創設者として立ち上げ(中略)、狙いは芸術の振興ではなく、観光客誘致による外貨獲得にあったと思う」と書いています。では、もうひとつ。

2)「ドラッカーはまず新聞記者として働きヒトラーやゲッペルスにインタビューしたこともある」は本当か?
 答え:本当です。因みに、ヒトラーは「自分に都合のよい質問項目を事前に配るなど」して、インタビューは比較的簡単だったとあります。意外ですね。さらに、もうひとつ。

3)「企業年金受給権者の保護を目的とする『エリサ法』の骨子は、第2次大戦当時GM社長だったC・ウィルソンとドラッカーが共同で執筆した」は本当か?
 答え:本当です。どうもこの『エリサ法』というのは日本を含む世界の年金運用担当者にとって「憲法」にも等しい位置をもつものらしい。また、ドラッカーがイギリスからアメリカに移住したのは1937年だが、申請の際、米大使館は受け入れをあっさり認めた。ヒトラーの敵であると同時にモスクワからも警戒された人物を迎え入れるだけの寛容が、当時のアメリカにはあったということですね。


【写真】
パパ「あれは何?」
太郎「△※×□☆」
パパ「えっ?」
太郎「だから、△※×□☆」
パパ「えっ?」
太郎「もういい、教えない」

0 件のコメント: