【写真上】この花も私には梅か桃か判断がつかない(2006.3.7 善福寺川)
人間は言葉をもつ動物だ。人間以外の鳥や動物も鳴き声を生きるための手段として使うが、人間の言葉は他の動物の鳴き声などとは異なる。「考えてみれば、人類が抽象概念として『敵』を規定し、抽象概念としての『憎しみ』のもとに殺人を行うことがあるのは、言語があるからこそである。我々は言語ゆえに自らを滅ぼしかねないのである」(ブックガイド『心の科学を読む』所収、岡ノ谷一夫)
利害得失が複雑に絡むこの社会で、官僚が個人ブログで政策を論じることの是非についてはきちんと考えなければならないとしても、一般に「言葉」あるいは「言葉のもつ力」について、僕らはもっと明確な認識をもたなければならないように思う。人間は言葉がなければ社会を築くことができない、つまり生活していくことができない。言葉は人間そのものといってもよい。たった一言で人は傷つく。こんなことは、社会人であればほとんどの方が身にしみてわかっていることだ。僕は古典のことをあまり知らないが、きっと在原業平さんだって言葉のもつ力、そして、その良い面も良くない面も充分にわかっていただろうなと思う。そうだ、在原業平さんのことをもう少し調べてみよう! もちろんモノの本ならぬ「モノのウェブ」で。(皆さんは何かを調べる時に図書館に行くことが極端に少なくなったと思いませんか? 僕はモノグサだから元々図書館には行きませんが)
【写真下】「熱心に」餌を狙うコサギ(2006.3.7 善福寺川)
4 件のコメント:
毎日変わらず拝見いたしております。掲載される写真が本当に綺麗ですね。その一方で言論部分は辛辣な哲学調を続けておられていてブログを読ませるうえでバランスがとれているのかもしれません。
”言葉は時に無力である、でも我々はその言葉を信じたい”
とは最近CMで流れるの某新聞社のキャッチコピーですが、ついこの間ある外国人とこの矛盾について議論になりました。どうしてこの一言が大手新聞社の広告になりえるのか。これを受容られる日本人の感受性はよっぽど自意識過剰なマゾヒストなのか!もしくは仕事に夢をもとめるにロマンチストなのか?その人曰く英訳すると実に不可解で意味が通じない一文である、といった内容でした。
私自身もあいまいな表現だなぁと思いつつ、これを書いた人がコピーライターか新聞社側の人間か詮索したくなります。
とむ
はい、このコピーについては、私も大変気になっております。また、少なからざるサイト、ブログでかなりの議論が交わされています。以下、参考まで
千里山一里さんは比較的好意的なご意見(私、恥ずかしながらこちらでツッコミを入れてしまいました)
http://blog.so-net.ne.jp/MizunoYutaka/2006-02-08
小田嶋隆さんは「ちょっと変だよね」と。
http://takoashi.air-nifty.com/diary/2006/02/post_4eaa.html
内田樹先生はもう本格的に批判を展開されているようです。
http://blog.tatsuru.com/archives/001559.php
いつも拝見しております。内容は多岐に渡り、非常に興味深いものですね。某新聞の件も面白く、また、別途、写真もすばらしいですね。これからも、期待しています。
高齢ママさんへ
応援コメントありがとうございます。少数ですが、毎日楽しみに読んで下さる方がいるのでできるだけ休まないように心がけてはいるのですが。そのあたりは「ゆるマジ」でいこうと思います。※「ゆるマジ」についてはリンクの「のびたけおブログ」をご覧ください。
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