【写真】たろパパが小さかった頃は三角ベースで野球をやったが、
今はダイヤモンドを描くようだ(2006年3月、近所の公園で)
今はダイヤモンドを描くようだ(2006年3月、近所の公園で)
昨晩放映されたNHKスペシャル『テレビとネット・アメリカ最前線リポート』で、たろパパは解説委員の方が、マスコミの報道内容が精選された客観性の高いものであるのに対し、ブログは主観的なところが欠点であると、あたり前過ぎるほどあたり前なことを「批判」しているのが気になりました。
そんなことは揚げ足取りでしょう。問題はブログが主観的という点にあるのではなく、マスコミがブログの台頭に象徴される時代の変化の大波にどのように立ち向かっていくかというところにあります。マスコミが「ブログ批判」をして何になるでしょう。自らの無能を証明するだけではないでしょうか。それに人々はマスコミの報道がすべて客観的で精選されたものなどとは考えていません。ことさらメディア・リテラシーとか言わなくても、緊張感のない退屈なニュースと注目すべきニュースの区別くらい誰でもつきます。また、NHKと朝日新聞が「言った、言わない」みたいなバトルを繰り広げても「どっちもどっち」くらいに醒めた眼でみている、とたろパパは思います。マスコミの皆さんが考えているほど人々はマスコミを信頼している訳ではないのです。
「2つの世界」が並存しているかのようにみえるのは、日本語というあるかなきかの情報障壁に守られた情報孤島、情報小国にいて惰眠をむさぼっているからではないでしょうか。足元には奈落が広がっています。もしマスコミがそのことに気がついているなら、とても「ブログ批判」をして役割りを果たしているなどと錯覚することはないはずです。
(ここまでの書き込みは2006年3月21日20時頃 JST に更新したものですが、ブロガーのシステム障害らしく3月20日の扱いになっています)
【追記】昨日のNHKスペシャルを受けての第二夜を今放映中です。「徹底討論 テレビは誰のものか」がテーマです。番組は間もなく終了しますが、「NHKが公共放送である」ということ自体を疑う、あるいは見直そうという意見がまったくなかったことに失望しました。言うまでもなく日本の放送でNHKほど水準の高い、内容の豊かな番組をたくさんつくってきたところはありません。民放の退屈な番組のたれ流し状態と較べると、それは際立ちます。にも関わらず、NHKもまた根本的な出直しを迫られているということに関する危機感がなさ過ぎます。たろパパはこれまで一度もNHKの受信料なるものを払ったことがありません。これまで少しは「払うべきかな」と考えたこともありましたが、今日の討論をざっと聞いて「やはり払わなくてよい」と感じました。NHKの代表の方々が「国民の皆様の受信料で運営されている」と語る言葉に「真」が感じられません。逆に隠された傲慢の匂い、あるいは惰眠の退廃の匂いがします。
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