木曜日, 3月 23, 2006

おじさんたちは寂しいのだ

今日の朝日朝刊の「ジェンダーフリー」をめぐる記事を読んで笑ってしまった(いや、失礼! )。記事の紹介は省くが、たろパパが見るところ、ジェンダーフリーという言葉に異議をはさんでいる政治家や議員の皆さんは、表向きの理由はともかく、きっと心中、寂しいのだろうと思う。最初にこの言葉を聞いた時にまず理解できなかった。つぎに説明を聞いた時に誤解した。よく調べようと思った時には英語の壁が邪魔をした。秘書にネットで検索させてもあいまいな答えしか返って来ない。どうも最近の世の中は自分たちとは違う価値観で動いているようだ、自分たちは無視されている・・・。

【写真】 善福寺川で、桃か梅でしょう (2006.3.7)

ここであっさり引き下がらないところがこの世代の強いところで、自分たちが権力を握っていることをいいことにいきなり「使用禁止令」を発する。これで問題がこじれる。「君が代」問題とだいたい構図は一緒だ。それでは今後10年もすれば、こうした世代もだんだん死に絶えて影響力を失っていくのか? そうかもしれないし、そうでないかもしれない。それは何とも言えない。ひとつだけ言えることは、こうしたことを言いがちなおじさん達にはもっとやさしくしてあげなければならないということだ。

だって、彼らは寂しいのだ。「女性差別反対!」と喰ってかかるのもよいが(そうすれば彼らに自分たちが世の中から忘れ去られようとしている訳ではないという慰めを与えることができる)、そうではなく、やさしく諄々とむずかる子どもをあやすように教えてあげたらよい。僕らは「ジェンダーフリーという用語を禁止した世界に稀なる国」などということでニュースになりたくはないのだ。頼むぜ、上野教授!

【お知らせ】 「おじさん」とは「カラオケで英語でビートルズを歌う世代」という説もあります。こうした世代のために、本日からこのブログのサイドエリアに「おじさん支援」リンクをつくりました。どうぞご活用ください。

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