太郎が生まれた頃、乳幼児を両親がはさむようにして寝る「川の字」について、その是非をめぐる論議があったようです。太郎については、私の方に若干の異論があったものの妻の主張が通り、結局のところ「川の字」を通してしまうことになりました。これがよかったのかどうか・・・。この本の冒頭に置かれた「過保護なくして親離れはない」によると、「子どもを幼いときにかわいがるということは、どんなにしてもしすぎることはない。母親の心性として、子どもをかわいがるということは自然なことである」として、逆に、過保護はいけないと考えて妙に子どもを突き放してしまうことの問題性を指摘しています。
【写真】今日、天気予報では低気圧による突風が吹き荒れるとのことだが、朝
の東京は富士がきれいにみえるほどの快晴だ(2006.4.3、杉並区内から)
の東京は富士がきれいにみえるほどの快晴だ(2006.4.3、杉並区内から)
もともと「過保護はいけない」という発想は、子どもの自立心の成長を妨げる、個性の発揮を妨げるといった理由に基づくものと思われます。アングロサクソン流の子育てでは、乳児に母親が添い寝をすることすら避け、定時に授乳する時以外は少々泣こうが抱き上げもしないということらしい。・・・この点、私の認識が誤っていればご教示願いたいけれども。
それでは太郎はどのように育っているか。人との関係性の持ち方など、いろいろ心配なことはあるけれども、自立性という点に絞ってみると、さすがに「川の字」型でまだまだ母親べったりの状態ではあります。家の中では実に「態度が大きい」けれども、外に出ればおとなし過ぎるくらいおとなしい、内弁慶外ミソの典型。この子がいったい、いつか親の手をスッと離れ、人の波に揉まれてながらも確かに生きていくのか、はなはだ心許ない思いはします。まあ、そうなってもらわなくてはならないし、できるだけの「訓練」はしたいと思っているのですが。
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