【写真】花壇のチューリップ(2006.3.28 善福寺川あたりで)
さて、今日は『親と子のきずなとは』について。これは1984年頃、里親の集まりでの河合先生の講演録です。要旨をまとめると、つぎのようになります。
1)親子の関係はひとつひとつ異なり、一般論ではくくれない。ひとりひとりが答えをみつけていくべきもの。
2)普通の人間の日常のあり方は、「自分は誰、何者?」といった根元的な問いとは次元の異なる「ささやかな事柄」に支えられている。
3)アメリカの契約的親子関係はある面でわかりやすいが、それを機械的に日本に持ち込んでもうまくはいかない。日本人は「縁」のような説明困難なもので人間関係を「説明」する。また、自立と依存については対立項として捉えるべきではない。
4)親子の関係は何度も結び直していくもの、そして、いつか子どもの独立によって切れていくもの。
太郎の「パパのたぬくそ」ではありませんが、子どもも4、5歳になれば父親を反抗の相手として考えるようになるのでしょう。太郎にしてみれば、私は身体も大きいし言葉もいろいろ知っている、お金ももっている。今でも公園に行けば「パパ、あそこまでかけっこしよう!」とか言って本気で挑んできます。最近でこそ、負けて泣くということも少なくなりましたが、5歳くらいまではジャンケンで負けてもトランプで「神経衰弱」をやって負けても、大泣きしたり猛烈に怒って噛みついてきたりすることがよくありました。
これから2、3年もすると、太郎もいったんはスッと親から離れていく時期が来るだろうと思います。そして、そこからまた新しい段階の「関係づくり」が始まるのでしょう。「答え」は自分でみつけるということ、ですね。
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