今日は再び河合先生のご本から「働きざかりの落とし穴 中年の発達心理学」を読んでいきたいと思います。これまでの本の前半では、子どもたちの成長を軸に家族との関係ということで大人の問題に触れられていたのですが、このあたりから大人=中年そのものについて、夫婦の問題を絡めて論じられていくようです。以下、原文の項目立てにしたがってメモします。なお、タイトルの「蹉跌」という言葉はたろパパが考えたもので、この本の中ではそういう言い方はされていません。
まず、中年の危険(落とし穴)について、この時期の自殺や抑うつ症の増加の問題を、仕事における「達成」との関係、夫婦関係の変化などの関係で具体的に示しています。そして、孔子やヒンドゥーでの年齢のとらえ方やユング、フロイトの論を紹介しながら、中年の時期のこの「病」は、本人の取り組み方によっては創造につながる入口になるもの、と強調しています。
ここでは子育てを終わった中年夫婦を主人公とするTVドラマを材料に、夫婦という関係の破綻と再構成(離婚と再婚)という状況のなかでの「死と再生」の必要性が語られています。離婚、再婚といった関係性とは別の次元で、自分自身との格闘、掘り下げがなければ、本当の意味で創造的な次の展開にはつながらないとしています。
この部分でも、課長に昇進したことや新しく家を建てたことがきっかけで抑うつ症になってしまった話、あるいは高校生の子どもの不登校をきっかけとして家族が会話を取り戻し「再生」へ歩んだ話などを通じて、危機=落とし穴が前に進む転機となる可能性を示しています。夏目漱石の「うつ」、ユングやフロイト自身の精神的「病」がそれぞれどのような創造につながったのかということにも触れられています。
ここでは「すること」と「あること」のバランスといった視点で、現代の社会が「すること」に偏りすぎていて「あること」の大切さを見失っているという指摘が出てきます。大きくは死にむかっての準備、老いにむかっての準備の時期としての中年の位置づけがあり、この時期における思考の営みを「宗教性」と呼びたい、としています。
【写真】野川公園(2006.4.22)
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