土曜日, 4月 01, 2006

梅田望夫 『ウェブ進化論』 を読んで

今週、またクルクル社のエンジニヤたちとお話しする機会があり、グーグルの成長はいつまで続くのかといった議論をしましたが、この点について「確実そう」なことは誰も言うことができません。この場にいたあるエンジニヤは大変優秀な方でメインフレームの時代にはベスト&ブライティストといってよいポジションをしめるプログラマでしたが、ウェブ2.0時代について興味はあるものの、本格的にこの変化の波に乗っていこうというスタンスは薄いように感じられました。いや、この方のみならず、僕らの世代全体が「歳をとった」のです。

1970年前後の学生叛乱、1990年代のオウム真理教事件、昨今のライブドアの暴走と挫折、・・・政治、宗教、経済と、内容も異なり評価も一様ではあり得ないけれども、それぞれの時代のもっとも優秀な若者たちを惹きつけあるいは巻き込んだ運動なり組織が、既存社会により「叩き潰される」ことによって時代の混迷、日本社会の閉塞感がさらに深まる、といった経過には共通するものがあります。

【写真】 ほら、グラグラしている歯をみせてごらん!

こうした中で、梅田氏が21世紀初頭の今が「時代の変わり目」とはっきり言いうるのは実に凄いことに違いありません。梅田氏はアナライズで語るな、具体的に理解せよと書いてはいるけれども、ジョン・バッテル氏がグーグルの試みを古代エジプトのアレクサンドリア図書館になぞらえたことは適切だろうし、グーグルや今始まろうとしている「ウェブ2.0」の時代を、インターネットの2チャンネル的「ダーティ・イメージ」の末に現れた「希望」として捉える神話のアナロジーもけっして間違ってはいないでしょう。

一方、ネット社会に身ぐるみハマりこんでいない大半の日本人は、マスコミの流し続ける「インターネット=邪悪、危険」イメージに捕らわれ過ぎているように思います。いや、ネット社会に片足を突っ込んだ私のようなおじさんでも、大半はネットの可能性より危険性に目がいっている方が多い。しかしながら、結局のところ、マスコミの皆さんを含めて、自らをイノベーションし続けることができなければ、この時代の大きなそして確実な変化から取り残され立場を失う、・・・この本に「主張」があるとすれば、こういうように翻訳できそうです。

ひとつだけ具体的に書くと、この本の中で「待たれる自動秩序形成のブレークスルー」などブログの可能性と課題を論じた「ブログと総表現社会」の章は、駆け出しブロガーとしての私にとって最高に整理された価値ある内容でした。ブログについてこれまで感じてきたこと、わずかの期間ながらブロガーとして体験したことを「言葉にして頂いた」という感覚です。また、ここにはクルクル社が進むべき方向に関しても大きく参考になる貴重な視点が含まれていました。・・・新書としては豊富過ぎるほどの内容が盛り込まれた一冊です。

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