この文章には、臨床心理の実践から「最近の子供は『悪の体験』がなさすぎると思う。別な見方をすれば、『悪の体験』をする機会を奪われてしまっているのではないか」とあります。この文章の初出は1981年となっていますので、河合先生がこのように感じた時代というのはすでに30年ほども前ということになりますが、この指摘は今でも充分に通用するものと思われます。・・・それはともかく、続けて「我々は成長過程の中で、『悪』を少しずつ体験してきて、それをどの程度までとり込んだら良いかを学ぶようになる」とあります。「悪」をコントロールすることを身に付けさせるということですね。
【写真】 早い! 今年はじめて鯉のぼりを見ました(2006.4.7)
そして、「多くの親は良い子を育てようとして、単層的、単純な『良い子イメージ』を子供に押しつけてしまう。本来、子供というものは、多層的、多義的な存在であり、悪を含むものなのである」、「親の監視が行き届きすぎて、子供は悪いことや失敗を通じて成長してゆく機会を奪われている」、「家庭内暴力を振るう子は、その殆どが『良い子』であるといって間違いない」としています。子供が「悪を含む」というより、善悪の価値観は社会的なもので子供に生来備わっているものではないという表現の方が適切かとは思いますが、ここで先生が強調されている認識は広く共有すべきことに違いありません。僕も太郎をつかまえて「生きものを大切にしろ」とか「小さな子をいじめちゃイカン」なんて時々お説教を垂れますが、これも単なる自己満足ということなのでしょう。
「悪いことも少しずつ体験させて悩ませる」「少しずつ悪い行為をコントロールできるように育てていく」・・・これって、木登りをさせて危険から身を守る力を育てるというやり方と共通するものがありますね。子供を信じながら、むしろ「何もしない」ことに心のエネルギーを使うこと、ちょうど、柳橋保育園の先生たちが木登りする子どもたちをハラハラしながら見上げているようなイメージでしょうか。・・・うん、一人前のパパになる修行もなかなか複雑であります。
0 件のコメント:
コメントを投稿