土曜日, 8月 20, 2011

なにかを言わねば・・・

3月11日の地震から5か月が過ぎた。今年の夏はことに暑い。
あの震災は節目だった。そのことに気がつかない者はいないが、その意味するところをそれに相応しい広さと深さで把握している者は少数にとどまるような。

いま何を言うべきだろう、何を書くべきだろう・・・

まず日本政治の貧困は特筆しなければならない。
中央の政治は人々の現実から遙かに遠い。ますます遠ざかりつつあるといってよい。
「社会から生まれながら、しかも社会の上にたち、社会から自らをますます疎外していく権力」という、国家についてのF・エンゲルスの定義が思い起こされる。
さらに、社会革命の時代の到来について、「下層が以前のように生活することを欲しないだけではなく、上層がこれまでのようにやっていけなくなるということが必要」というレーニンの指摘も、100年を経て、いま想起されるべきと思われる。

政治、そして行政に関わる方たちにはしっかり肝に銘じておいてほしいところである。
みなさんの足下にあって、普段物言わぬ人々に対する想像力を欠き、政治を私闘、私利の風下におくことは罪であり、必ずしかるべき報いを受ける日がくるということを。
原発の破壊と暴走は、日本社会の破綻の始まりであり、つぎに来るのは日本国債の暴落ではないだろうか。

そして、原発を暴走させて北半球の大気と太平洋を放射線で汚染した行為は罪ではないか。
この罪を追求することが必要ではないか。
政治家、官僚、マスコミ、・・・断罪すべき人々は数限りないが、数限りなければ罪に問わないということにはならない。