火曜日, 2月 28, 2006

「ザルツブルグ音楽祭のねらいは街おこしだった」は本当か?

<たろパパのオフィス・トリビア No.00003>

 少し堅めのお話しが続きましたので、今日はぐっと気楽に行きたいと思います。とは言え、根が真面目なたろパパですので、昨年亡くなり「20世紀最高の知性」などと本の帯に書かれて天国で苦笑されているかもしれないピーター・F・ドラッカー先生をめぐるトリビアで参りたいと存じます。出典はいずれも『ドラッカー 20世紀を生きて 私の履歴書』2005年 日本経済新聞社から。

1)「ザルツブルグ音楽祭のねらいは街おこしだった」は本当か?
 答え:本当です。ドラッカー先生のパパはオーストリア・ハンガリー二重帝国の政府高官で、帝国の解体後、オーストリア政府の行政官を務めたとのことです。そして、「1920年にはザルツブルク音楽祭を共同創設者として立ち上げ(中略)、狙いは芸術の振興ではなく、観光客誘致による外貨獲得にあったと思う」と書いています。では、もうひとつ。

2)「ドラッカーはまず新聞記者として働きヒトラーやゲッペルスにインタビューしたこともある」は本当か?
 答え:本当です。因みに、ヒトラーは「自分に都合のよい質問項目を事前に配るなど」して、インタビューは比較的簡単だったとあります。意外ですね。さらに、もうひとつ。

3)「企業年金受給権者の保護を目的とする『エリサ法』の骨子は、第2次大戦当時GM社長だったC・ウィルソンとドラッカーが共同で執筆した」は本当か?
 答え:本当です。どうもこの『エリサ法』というのは日本を含む世界の年金運用担当者にとって「憲法」にも等しい位置をもつものらしい。また、ドラッカーがイギリスからアメリカに移住したのは1937年だが、申請の際、米大使館は受け入れをあっさり認めた。ヒトラーの敵であると同時にモスクワからも警戒された人物を迎え入れるだけの寛容が、当時のアメリカにはあったということですね。


【写真】
パパ「あれは何?」
太郎「△※×□☆」
パパ「えっ?」
太郎「だから、△※×□☆」
パパ「えっ?」
太郎「もういい、教えない」

月曜日, 2月 27, 2006

悪弊にそまらずに挑戦を 『ザ・サーチ』を読んで(3)

2月24日の書評(1)に対して、とむさんから頂いたコメントには、グーグルが現代においてもっとも怖い企業であるとした点に続けて「現状で趨勢である科学者グループ中心に構成されるグーグルのマインドセットが、間違ってもその興味や会社の方向性がファイナンスや企業投資などに向かって欲しくない」とあります。確かにそのとおりです。グーグルの「意思あるデータベース」をも実現するほどの技術が株式市場、債権市場、金融市場そのものに向かった時、どのような事態が生じるのか、実際のところあまり想像したくありません。

ところで、本書ではサーチ・エコノミーについても触れられ、スパム対策のための「ちょっとした検索アルゴリズムの調整」がたくさんのネット商店を破産に追い込んだエピソードが紹介されています。数日前のTV経済ニュースで日本のSEO(Search Engine Optimization 検索エンジン最適化手法)企業の活動が紹介されていましたが、グーグルを始めとする検索エンジンの変化するアルゴリズムをしらみつぶしに追いかけて仕事にするというのも、何かみみっちいような気がします。とは言え、他の方のお仕事にケチをつけても仕方ありません。

それよりも、本書で描かれたグーグルの軌跡と対比して、もっと想像したくない、触れたくないのが一部の日本の「IT企業」のあり方です。ライブドアの堀江たちが逮捕された途端に彼らを叩き始める皆さんもおり、これはこれで決して気持ちのよいものではありません。が、堀江グループは論外として、他のIT企業あるいはネット企業といわれる経営者たちの一部についても、何かニュースを聞くのもいやだなと思う行動が多すぎるのではないでしょうか。

資本主義のルールの中で「ネットと放送の融合」を狙ってテレビ局を買収しようとすることは悪いことでありません。宣伝のためにプロ野球球団を買うのもいい。でも、どうせやるならもっとちゃんとやってほしい、と思います。インターネットを旗印にするならもっともっと技術やアイデアを磨いてほしい。ネットと放送の融合をいうのであれば、本業であるIT業務でしっかり成果をあげた上でTV局自身が吸い寄せられるような大きな構想、魅力あるビジネスモデルを示してほしい。ルール破りすれすれのことをやって合併を迫り、とってつけたようなドキュメントを発表したりしないでほしい。

こういうのはインターネット企業ではないだろう、日本語というあるかなきかの情報障壁に守られてマネーゲームをやっているだけだと思います。若い皆さんには、こうした悪弊にとらわれることなく、真に新しい技術、ユニークなビジネスモデルを創造して、世界に羽ばたく日本発のインターネット企業をつくり出してほしい、挑戦してほしいと思います。
と、まあ、私も言いたい放題ではありますが、どうぞお許しを。これは私の個人日記です。
【原著】The Search by Jhon Battele(2005/5)
【邦題】ザ・サーチ グーグルが世界を変えた ジョン・バッテル(2006/11)

【写真】鳥の雛たちの成長は実に早い、先に紹介したシジュウカラの巣立ちのわずか10日前にはまだ眼も開かない雛たちだった(2005年5月7日、たろパパ写す)

日曜日, 2月 26, 2006

土星のリングがみえたよ♪

 昨日の夜は、ご近所で国立天文台(三鷹キャンパス)の「親子星空学級」に行こうという話がすでにまとまっていたようで、パパは急にドライバーを仰せつかりました。夜6時頃、たろう、ろうたくん、しゅうしゅうたちを乗せて車は一路国立天文台に向かったのでした。着いてみると本当にたくさんの親子が行列をつくっていてビックリ。30人くらいずつがグループになって順番に説明を聞くのですが、全部で3グループ以上になったのではないかと思います。
 昨日(2月25日)の定例観望会は「土星を見てみよう!」というテーマで、約30分ほどスライドを見ながらスタッフの方の説明を聞いた後、いよいよ50センチの大望遠鏡で土星をみることになりました。たろパパは自分では見なかったのですが、子どもたちにはみんな土星のリングがはっきり見えたようで大満足、またひとつ星や宇宙への興味を深めたようです。
 たろパパも、小学校の5年生くらいの頃でしょうか、兄の工作の見よう見まねで望遠鏡をつくり、冬の夜中に寒さを怺えながら月や土星などを観察したことがあります。月の輝きは見ていて飽きません。土星のリングもリングであるということがわかる程度でしたが見えました。【注意】月を直接望遠鏡で見ると目を痛めます。
 太郎とは、去年の夏にも「ぐんま天文台」で星を見ました。この時のプログラムやロケーションも非常に素晴らしかったのを思い出しました。
 今回の国立天文台の親子星空学級については、スタッフの方による説明はなかなかこなれていてよかったのですが、小学校の低学年にはちょっと専門的過ぎたかなという点、そして、駐車場がないことを改善してほしいと思いました。
【写真】いずれも「親子星空学級」で(2006年2月25日 国立天文台三鷹キャンパス)

土曜日, 2月 25, 2006

技術者の理想と資本の論理 『ザ・サーチ』を読んで(2)

昨日の私の投稿に、とむ様から「グーグルは、ある意味で現代もっとも怖い会社の一つ・・・」といったコメントを頂きました。ありがとうございます。お書きのとおり「現代の社会システムに対して、普遍的なテクノロジーが根本から変えてしまう可能性がある」と私も思います。その可能性を大規模に実証してみせたのがグーグルだと思います。と同時に、創業以来の、例えば採用では前の職場の文化を持ち込ませないといった人事方針、上場の際にウォール街から猛反発をくらった所信表明、そもそも株式の上場に最後まで抵抗したこと等々の経緯は、創業者たちの技術に対する信念や理想を貫こうとする意思とアメリカ資本主義社会の論理の壮大なぶつかり合いのドラマだったといえると思います。10年前には地味な情報テクノロジー研究者となる道にいた2人の大学院生(ラリー・ペイジとサーゲイ・プリン)が経験した圧力と眼も眩む飛躍の大きさ、その試練にこの2人は立派に耐えたということを評価しなければならないということと、にも関わらず今後「邪悪にならない」というグーグルの基本方針を貫き、グーグルに対する人々の信頼をどこまで維持できるのかという点についてさらに厳しくみていく必要があるということ、私はこの2つの視点で彼らをみていきたいと思います。日本人は表立って(とりわけ本音の)意見を言ったりすることは得意ではありませんが、グーグルの行方について期待と緊張をもってみつめている点はアメリカの人々と一緒です。
そして、本書を読んで、グーグルが示した軌跡との対比であまりにもお粗末な日本の「IT企業」の状況、日本社会そのものの閉塞、希望のなさといった点についても強く思うところがありました。この点についてはまた稿を改めます。
【原著】The Search by Jhon Battele(2005/5)
【邦題】ザ・サーチ グーグルが世界を変えた ジョン・バッテル(2006/11)

【写真】昨日の書き込みに紹介したシジュウカラの巣立ちの瞬間、側板をあけた巣箱から3羽ほどの雛がこぼれるように飛び出しました。写真は私の足元の地面でウロウロしていた子鳥のうちの一羽です。これがカラスに食べられたかどうかはわかりません。(2005年5月19日、たろパパ写す)

金曜日, 2月 24, 2006

変わりゆく私たちの世界 『ザ・サーチ』を読んで(1)

 この2006年2月22日のニュースによると、グーグルはトップページから「ディレクトリ」検索へのリンクをはずし、「Google ローカル」へのリンクを追加したとのことです。グーグルを単にインターネット検索のひとつと思っているほとんどのユーザはあまり注意を払いませんが、例えばこのトップページの検索ボックスに「白松が最中」と入力して「ローカル」というリンクをクリックすると、初めて体験するユーザには実に不思議なことが起きます。さあ、どうです? 動かない? 北米大陸の地図が表示されたままですか? それはともかく・・・
 ここでなぜ仙台の銘菓である「白松が最中」を入力するのかという説明のほうはちょっと面倒なので省きますが、この「ローカル」の検索では、お店や学校などさまざまな団体の電話番号や住所など電話帳その他で公開された情報をウェブのサイト情報とともに地図上(日本ではゼンリンが提供元らしい)に表示させることができるのです。これは、情報がお互いに関連づけられて、世界のどこかにあるグーグルのコンピュータに整理(インデックス化)され保存されているからです。
 1998年秋に設立後、2004年夏には株式を公開して数十億ドルもの資金を集め世界の話題をさらったグーグルですが、その後もGメールやグーグルアースなどつぎつぎとサービスを展開して検索のトップを走り続けています。本書は、そのグーグルについて、その起源から検索の未来までを縦軸とし、ビル・グロスを典型とする米国ネット企業人の素顔を横軸として、「いまだ進行中の物語」を大変的確に描き出しています。検索とネット企業の興亡というテーマにも興味をそそられますし、視点や分析にも鋭いものを感じます。
 とくに著者が最終章「完全なる検索」で強調している点、つまり、ウェブのすべての情報が時間軸にしたがって保存されていく時代が来つつあり、現代が歴史、文明の転換点となるだろうという予想は確かだろうと思います。この現代にアレキサンドリア図書館を、しかも人類の歴史とともに今度こそ滅亡することのない途方もない情報の城を築こうという試みです。この点に、たろパパは一番感心もし、関心も深めました。これは、グーグルが開始し実証したことですが、仮にグーグルが倒れても、必ず誰かがさらに大規模に取り組んでいくという気がします。
 因みにこのブログ「たろパパ日記」もグーグルのサービスを利用して公開していますが、この書き込みもまた世界のいずれかのサーバに保存されて長い旅を続けるのかもしれません。そうなると、2050年のある日、アフリカで昆虫の研究をしている太郎の息子の小太郎くんが「たろパパ」と検索するとこのブログが出てきて「そうかあ、たろジイの時代にはまだ21世紀アーカイブがなかったんだ!」と「発見」してもらえるようなことにもなるでしょう。どうお?小太郎君、たろジイの時代のことが少しはわかったかな?
【原著】The Search by Jhon Battele(2005/5)
【邦題】ザ・サーチ グーグルが世界を変えた ジョン・バッテル(2006/11)

【写真】たろパパの家では、去年の春、日曜大工でつくった小鳥の巣箱にシジュウカラの夫婦が住みつき、約10羽ほどのヒナを育てました。巣立ちの日、残念ながらヒナのうちの1匹はカラスに襲われて食べられてしまいましたが、残りのヒナは元気に近所を飛び回っています。今年の春、ここでまた営巣するかどうか、気になっています。(2005年5月14日、たろパパ写す)

木曜日, 2月 23, 2006

コサギは吉兆?

 たろパパ日記の第1回でも使わせて頂きましたが、今日は、今年の正月にどんどこ池にやってきたコサギの写真をお贈りします。その後、最初に飛来した時に目撃したママや園長先生などのお話を聞きますと、写真からも伺えるとおり大変美しい鳥だとのことです。どんどこ池にはやはり餌を探しにきたようです。それから、このコサギが餌をとる時には、水深の深いところに隠れている魚を足で浅瀬に追い込んでからとっていたというような興味深いお話しも聞きました。どんどこ池は、人間界のみならず鳥界でもだんだん有名になってきているのかもしれませんね。
 どんどこ池の周りの環境についてご存じない方は、この写真だけをご覧になるといかにも自然あふれる環境にあると誤解されるかもしれません。小金井公園などに比較的近いといったことはありますが、どんどこ池は西東京市内の交通量の多い幹線道路沿いにあり、周りは住宅地となっています。

【写真】どんどこ池にやってきたコサギ(2006年1月4日 いずれも園の先生が撮影したもの)

水曜日, 2月 22, 2006

夢の1兆円プロジェクト

 正直にいうとここ数日、いや2週間くらいかな、仕事が手につかない。何人かのクライアントは焦って電話で督促を入れてくる。が、できないものはできないのだ。電話口で必死に言い訳をしている。実に困ったことだ。そして、たろパパのこういう時の奥の手は散歩。今もこの奥の手を使ってきたところだ。桃井第二小学校の先から善福寺川の脇の歩道を下流にむかっていく。30分ほど歩くと善福寺川緑地に入る。これくらい歩くと滞った頭の思考(あるいは身体が?)がほぐれ、自分の思考の糸を自分で操れるようになる。あるいはアイデアに勢いがつき、適度なコントロールの下に思考の切りかえができてくる。こうなるとシメたものではある。戻るまで約1時間、気分が落ち着き余計な思考の凝りが消えると不思議にすーっと作業に戻ることができる・・・場合もある。
 で、今日は非常に残念なことにこの奥の手の効果なく、こうして今日2度目のブログを更新している次第。せっかくだから(!)、こうした気分転換の散歩で思いついた夢の1兆円プロジェクトについて書こう。それは『善福寺川を都心の里川に』プロジェクトだ。写真でもわかるとおり、善福寺川は典型的な現代の都市河川で、両岸はしっかりコンクリートで固められている。また、西荻窪駅の北側の善福寺公園内の池に発し、環状七号線と山手通の中間あたりで神田川と合流する。全長約20kmほど。プロジェクトは、この幅10メートルの善福寺川の両岸をそれぞれ10m幅で買収し、コンクリート護岸を撤去、自然河川に似た生態系を築くことを目指す。目的は東京のヒートアイランド化を少しでも防止することだ。また、子どもが水浴びできるほどの水質を確保することで「川ガキ」復活を図る。
 まあ、実際にはこの川の水量は乏しく、仮に水質がよくなっても子どもたちが泳ぐほどの水量を確保するのは難しいかもしれないが、この辺は「夢」だから許していただく。しかし、泳げなくても、川遊びができ、メダカを捕ることができる川が住宅やビルが密集する東京の中心部にあることだけでも凄くないか! 夏の夕方、仕事から戻った人々が夕涼みを楽しむことができる川が、今の東京にどれだけ貴重か考えてほしい。元気な子どもたちを育てるという意味でも、スローライフの実現という意味でも、これはみんなの夢、目標になるのではないか。そして、善福寺川だけではもちろん充分ではないだろうが、幾筋かの川筋に沿って冷気の回廊が都心に流れ込めば、ヒートアイランド対策としての一定の効果を見込むことも出来るだろう。費用は両岸40万m2の買収費だけで6,000億円。実現までどれくらいの年月がかかるかわからない、障害となる課題も山ほどあるが、誰か「俺に任せろ!」という元気な奴はいないものか。
【写真】グーグル・アースで出力した善福寺川一帯。手前が桃井第二小学校、上方が善福寺川緑地。なお、東京における水と緑環境の再生・復活の取り組みには世田谷北沢川のせせらぎ復活、渋谷川を舞台とした「川遊び×SHIBUYASCAPE」など数多くあるようだ。

子どもの木登りについて

 2月19日の書き込みに「柳橋保育園の卒園児は個性が強い」と書きましたが、この園の保育実践については、まだまだ紹介すべきことがたくさんありそうです。そのひとつが園児に木登りをさせるということです。年輩の方々のなかには、子どもが木登りをするのはあたりまえと思われている方もいるかもしれませんが、今の時代、日本の幼稚園や保育園の多く(とくに公立施設)で「木登りは禁止」です。これは言うまでもなく事故が起きた際に責任を追及されることを恐れてのことです。先週のどんどこ会でも、ある園で子どもが乳歯を折ったことについて親が園を訴える騒ぎになっているということが話題になりました。もちろんこれは少し極端な例かもしれません。
 しかし、転落や溺死など乳幼児の事故死亡率についてみると、日本は14の先進国中、かなり高い(安全性が低い)ことが昨年(2005年)の国立保健医療科学院の調査で報告されています。それによると「0歳児の不慮の事故による死亡率」は10万人あたり18.3人で14カ国中で3番目、11番目のドイツ(5.6人)の3倍以上の高さとなっています。1歳から4歳児の事故死亡率もほぼ同様の傾向で、日本は10万人あたり7.2人で第5番目の高さです。因みに両方の年齢区分でもっとも事故死亡率が高いのはアメリカです。
 それでは柳橋保育園がどうしてそのような保護者とのトラブルのリスクがあっても子どもの木登りを認めている(全員にやらせている訳ではありません)のかといえば、そこには「自分の身を守る力を養う」「集中力と身体能力を育てる」という狙いがあってのことと思われます。別の言い方をすれば、保育士などがしっかり見守っている環境の中で、子どもたちを少しずつ(転落などの)危険にさらしていくことで、何に注意すべきなのか、どうすれば危なくないのかを子どもたち自身に覚えさせる、身につけさせるということでしょう。そういう観点から見れば、事故の責任追及や賠償のリスクを恐れて「木登り禁止」にしている多くの園が、子どもたちの安全について本当に責任を果たしているのかという点については、逆に疑問を感じるところではあります。
 とは言え、実際に子どもたちが木に登っている間、保育士の皆さんはまさに「魂が消える」ような思いで樹上の子どもたちを見守っているとお聞きしました。そこまでハラハラ、ドキドキしながらも子どもたちの木登りを認めている園の考え方を支持したいと思います。たろパパの子ども時代はどうだったろうと思い返してみると、秋になると庭の柿の木に登ってかなり沢山の実をもいだ記憶があります。柿の木は比較的折れやすい、なんていうのも実際に折れて手足に傷をつけてみなければわからないことではあります。もう少し大きく(小学校高学年くらいに)なってからの木登りで1度は結構な高さから落ちてしばらく足を引きずるほど痛めたようにも覚えています。太郎が生まれて、子の安全を願う気持ちについては人後に落ちないほどですが、最近ようやく、太郎自身に危険を避ける力、危険を見抜く力を養う以外に親ができることは少ないのだろうと思うようになってきました。さて、子どもたちを事故から守るということについて、皆さんはどのようにお考えでしょうか。
【写真】木登りする子どもたち(いずれも2004年秋、柳橋保育園の園庭で、園児の母親が撮影したもの)

火曜日, 2月 21, 2006

GREEN LIVE 「モンゴルの夕べ」

 おとといの書き込み「NHKスペシャル(異常気象/地球シミュレータの警告)」についてひとこと追加しますが、あの番組の内容には何か粛然と今の僕らの生活を見直すよう促す力がありました。かつて僕らの世代は、親たちを「家族帝国主義」とかいって批判したつもりになっていた訳ですが、今度は僕らが太郎たちの世代に「地球環境を破壊した!」と糾弾される運命なのかもしれません。あの番組を見ていた時も、照明はもとより床暖房とエアコン、そしてTVをつけっぱなしで居眠りしてた訳で、将来、そういうふうに責められても言い訳はとうていできません。困った困ったと、ただ迷うばかりです。ほんとにどうすりゃいいんだろう?
【写真】子どもたちと一緒にカブトムシを発見! (どんどこ会が去年の夏に行ったセミの羽化観察会で)
 さて、ご承知の方もおられるかと思いますが、西東京市には「東大農場のみどりを残す市民の会」という自然環境運動に取り組んでいる皆さんがいて、どんどこ池の建設をリードしてきたタクさんこと大森さんもそのメンバーのお一人なのですが、このタクさんからタイトルの「モンゴルの夕べ」という企画のご案内を頂きました。私自身が直接関わっておりませんが、ご案内のまま紹介致します。

■第1回 GREEN LIVE 「モンゴルの夕べ」へのお誘い
日時:2月25日(土)17:00より 
場所:「まったなしスタジオ」 田無町「橋場」交差点前のビル2F
第1部 朗読「青いナムジル」(モンゴルの絵本)
 山口由里子(アニメの声優として有名)
 北野まこと(馬頭琴演奏)
第2部 交流会 モンゴルの特産”牛乳酒”の試飲など(第2部参加費は実費)
 モンゴル出身の方も参加していただき、現地のお話をしていただく予定です。
なお、予約制で先着50名です(たろパパにメール下さい、中継します)。
■「GREEN LIVE」について
 昨年10月、西東京市在住の演出家ナガノユキノさん(注)、夫の俳優青沼神対馬(かずま)さんの主宰する「オーガニックシアター」が、田無町「橋場」交差点前のビル2Fに、「まったなしスタジオ」を開設しました。神対馬さん、ユキノさんお二人を中心に演劇・文化、みどり・環境保全等に関心のある人が集まって、地域の人たちが、和気藹々と集えるような企画を検討してきました。月1回定期的に「GREEN LIVE」と称し、リーズナブルな料金(1,000円程度)で、朗読、芝居、コンサート、演奏などを楽しもうということになり、第1回目を2月25日(土)に行うこととなりました。目的は、演劇・文化、みどり等を通じての「地域の人々の交流(「まったなしスタジオ」のコンセプトは”心の緑”)」にありますので、芝居等を鑑賞し、その後、交流会(実費、アルコールあり)も開きます。絶対に楽しいですので、仲間を誘って是非お軽にご参加ください。
【注】ナガノユキノさん 1984年から89年までニューヨークで演技・演出を学ぶ(昔、子役としてNHK朝の連続ドラマ「鳩子の海」等に出演)。帰国後、ビデオジャーナリストをしながらミュージカル等の脚本・演出、翻訳、演技講師等を続ける。こもれびホールでのミュージカル「Mice」、原爆をテーマにした井上ひさしの二人芝居「父と暮らせば」(青沼神対馬さん出演)等を演出、地元と密着した活動を展開。3月には、俳優座での演劇(青沼神対馬さん出演)も演出。

月曜日, 2月 20, 2006

もうちょっと続けてみようかな

 みてみると、この「たろパパ日記」は先週の日曜日に始めたから、昨日から2週間目に入っているということになります。最初は控えめに「せめて三日くらいは」とか書きましたが、これからもずーっと毎日というのは難しいにしても、もう暫くの間は続けてみようと思います。週末にはアクセス・カウンタもつけてみました。毎日10人くらいの方の眼には触れているようです。アクセス元は国内がほとんど。USと香港からそれぞれ1人ずつ、これはサーフィンの途中でカスったくらいの話でしょう。まだ、いずれの検索エンジンのクロールも受けていないようですので、この10人ほどの皆さんはきっと最初にご案内を差し上げた知人・友人の方々でしょう。これからもどうぞよろしくお願いします。
 それから、最初の方でも書いたとおり、どうぞブログを始めてみましょう! 僕も始めるまでは「大変そう」とか感じていましたが、実際は電子メールを書いて写真を添付するのとほとんど変わりません。技術的なことで私にわかることであればどうぞ遠慮なくお聞きください。私も一緒に始めたという仲間がいれば心強いです。それから、もしこのたろパパ日記に、コメントではなく独立した投稿を共同でやっていって頂ける方がいれば、どうぞご連絡下さい。「たろパパ日記」を始めて唯一失敗したなと思うことがあるとすれば、こういうチームメンバーが参加しにくい名前にしてしまったことです。
【写真上】冬枯れのどんどこ池(2006年2月18日 柳橋保育園のビオトープ)先週土曜日のどんどこ会の作業の際に確かめましたが、池中の小魚のうち比較的大きなものはこの正月にコサギの餌食となったようですが、5センチ以下クラスはまだかなりの数が生き残ったようです。
【写真左】今やザリガニも棲みつき、こちらの方はタクさんがせっせと捕獲作戦を展開中です。

日曜日, 2月 19, 2006

昨晩のNHKスペシャル(異常気象/地球シミュレータの警告)見た?

いやー、びっくりした♪
どんどこ会で久しぶりに力仕事をして(右の写真)、ビールで出来上がり、ソファでウトウトしてたらいきなりこういうチョー心配な問題を取りあげていました。「将来、温暖化は人類に何をもたらすのか。(略)スーパーコンピューター「地球シミュレータ」は、私たちの未来に横たわる危機を子細に予測している。百年後、世界のCO2濃度は倍増し、気温は最大4.2度上昇する。東京は奄美大島付近の気温になり、真夏日の日数は100日以上に増加。(略)台風やハリケーンなどの熱帯低気圧は巨大化する。カトリーナ級の台風が本州を襲い、暴風による被害が激増」(NHKスペシャル番組ホームページより)
とくに、この地球シミュレータの予測がいくつかの仮説のひとつではなくて、かなり正確そうだという点が強く印象づけられました。なにかここ数年の日本の台風被害がひどいなあと感じていたところです。でも、どうしたらこうした悲惨な未来を回避できるのか、あるいはそもそも回避は不可能なのか、その辺りはどうなのだろう?

さて、昨日の午後、パパやジージたちが保育園の園庭で汗をかいていた頃、園のホールでは昨年3月に卒園した約20名の子とそのママたちがお茶会に参加していました。園が呼びかけ、このクラスの担任だった保育士の先生たちが企画をしました。柳橋保育園では毎年やっているようです。この園の卒園生は「個性が強い」としばしば言われるとのことです。こういう取り組みが他の保育園でも普通なのかどうか僕にはよくわかりませんが、まあ多少茶化していえば出荷後1年目の「製品検査」ではあります。園としては、園の保育/教育方針・実践の検証といった意味合いがあるのかもしれません。親としては、卒園後1年の時点でしっかり子育てについてアドバイスしてくれる貴重な場であったようです。この園の卒園生はすでに6,000人を超えており、園は地域社会の貴重な財産として大切にされています。お茶会の後、園長先生は「今日は(子どもたちから)大変な元気をもらいました」と笑顔で感想を述べておられました。

【写真】「君んとこの小学校どうお?」「まあまあだね」といった会話があった...かもしれません。ホームメイドのパティセリが美味しそうです。(卒園後1年目のお茶会で)

土曜日, 2月 18, 2006

悲しいできごと

 長浜市で幼稚園児が2人殺されるという悲しいできごとがあった。容疑者は動機を語らないらしいが、要は「糸が切れた」、溜まりに溜まったものが「決壊した」ということであって、直接の「動機」の内容自体は大きな意味を持たないように思われる。異文化のなかで子供を育てることの大変さが背景にはありそうだし、経済環境、家庭環境、そして容疑者の体験と成長の経緯もあるだろう。いつもこうした事件が起きるたびに考え込んでしまいます。
 去年は、自分の母親を毒殺した(らしい)女子高生の事件があった。予備校の講師が生徒を殺す事件もあった。広島と栃木(茨城)では小学生の誘拐事件。人というのはそれほどまでに容易に「迷いやすい」システムなのだと思うしかないようにも思う。


 さて、リンク欄に今日(2月18日)朝日新聞日曜版にも紹介された、子育てと仕事のネットワーク<ムギ畑>へのリンクをつくってみました。また、作家の村上龍さんが編集長となっているJMMのメルマガ申し込みサイトへのリンクもつくりました。たろパパはこのJMMメルマガで、造形作家の高田ケラー有子さんのレポートを読んでいます。このレポートは去年『平らな国デンマーク「幸福度」世界一の社会から』という新書となって出版されたようです。

【写真】今日はこれから「どんどこ会」の作業で力仕事をします。写真は、去年、たろパパの家につくった猫の額ほどのポンポコ池のようす。これでも立派にメダカが棲み秋には稲が実ったミニ・ビオトープです。

金曜日, 2月 17, 2006

均霑化って、知ってる?

<たろパパのオフィス・トリビア No.00002>

 自分で蒔いた種でいかに自分の知識が浅薄かということがバレてしまいましたが、これをまたしても切り抜けた勢いで、トリビアの2つめを公開してしまいます。今度は今流行の「漢字」に挑戦です。もし、勉強に集中できない受験生の皆さんがご覧になっていれば、明日の試験に役立つかも。

1)参酌標準(さんしゃくひょうじゅん)
 これは「基準とすべき目標」のことです。ただし、ほとんどお役人の書く行政文書、とくに霞ヶ関あたりの皆さんが書くものにしか、実際は出てきません。大学の試験にはでないだろうなあ。

2)喫緊(きっきん)
 重大なとか、緊急の、といった意味でしょう。「喫緊の課題」などと使います。まあ、トリビアに入れるほどではないかもしれませんが、かなり年輩の方でもこの語を知らない方がおられます。

3)均霑化(きんてんか)
 意味は「(生物が等しく雨露の恵みに潤うように)各人が平等に利益を得ること(広辞苑)」だそうです。さすがにこれはたろパパも最近、友だちから教えて頂いたものです。結構「へえー度」が高いと思いません?

 受験生の皆さん、役にたちそうですか? えっ、全然役にたたない? もう知ってたの、スゴイね。でも、もし残念ながら4月になっても行くところがなかったら、たろパパの勤務先に入って一緒に「明日のビルゲイツ」を目指しませんか?

(続)エクセルのシート名に「履歴」という語は使えない

いやー、世の中広いね、というかたろパパの知識が浅薄だったね。
とんびさんのご教示を得て、あわててエクセルのヘルプを調べたところ、次のようなことがわかりました。

1)ツール→ブックの共有のコマンドでブックを複数ユーザの共有に指定すると、誰がどういう変更をしたか(保存したか)という記録が残る
2)この記録をシート上に出力する場合のシート名が「履歴」となる

エクセルをデータベースのように使おうという発想はかなり昔からあって、ブックの共有もその解決方法のひとつだったということでしょう。確かに会社内などで、経理情報をそれぞれ分担を決めて処理するといった場合などは便利かもしれない。でも、これも人数が多くなったりするとかなり面倒なことには変わりない。その点、今はむしろウェブ上で情報を共有したいといったニーズが大きくなっています。

ということで、エクセルってスゴイでしょ? 現在のエクセルは単なる表計算ソフトではなく、ほとんどエンタープライズ化しているということですね。たろパパは、エクセルで計算するだけじゃなくて、レポートを書いたり、地図を描いたりするのにも使っています。まあ、エクセルによるレポート作成についてはいろいろ異論を言う方もいるのだけれど、だからといって僕自身はワードを使いこなそうとは思いません。

さてさて、またしても「欠陥を機能にする術」で切り抜けてしまいました。偉大なるワインバーグ先生に感謝♪ そして、コメントを頂いたとんび氏にはさらに深く感謝致します♪

木曜日, 2月 16, 2006

エクセルのシート名に「履歴」という語は使えない

<たろパパのオフィス・トリビア No.00001>

 今日、東京は雨です
 巷に雨の降るごとく、わが心にも・・・(後略)←実は覚えていない
 みたいな。で、今日はたろパパが仕事でみつけたオフィス・トリビアをお贈りします。

 それは、この投稿のタイトルのとおりなのですが、エクセルが得意なたろパパも10年来、初めての経験でビックリしてしまいました。やってみてください。エクセルのシート名を変えるには、普通、タブ(シート見出し)の部分をダブルクリックし、既存のシート名の文字を反転させた状態で文字を入力します。そこで「履歴」の2文字を入れてみてください。

 ここで「予約語」というのは、(たぶん)エクセルのソフトウェアとしての機能の中で不可欠のものとして利用されている語、あるいはセキュリティ上、不都合な語ということでしょう。そして、どうもIE(インターネットエクスプローラ)のセキュリティ上の欠陥にも関係しているようです。マイクロソフト社が提供するヘルプの中から、この予約語に関する部分がごっそり抜けている(たぶん一度つくられたヘルプから該当部分が削除された感じ)のをみた記憶があります。

 ね、できないでしょう?
 えっ、できた? そんなバナナ、いや、そ、そういう場合もあるんです。
 こういうのを「たろパパもエクセルの誤り」と申します(←自分の欠陥を機能にする話:G・M・ワインバーグ先生の『コンサルタントの秘密』P49を適用)。なお、オフィス・トリビア No.00002以降については、いっさい予定がありませんので悪しからず。

水曜日, 2月 15, 2006

みんなブログを始めようよ!


 まあ、3日更新が続いたからもうほとんど勝ったようなもんだと気分をよくしています。そして、僕がブログを始めてよかったと思うのは、心が思いのほか元気になったことです。昨日引用したワインバーグ先生の「プレスコットのピックルス原理」にも関係しますが、コンサルタントとしてだけでなく、ひとりの人間としても、同じクライアントや同じグループに長くそして深く関係し過ぎるのはあまり望ましいことではないのだろうと思います。とくに日本人の社会においては。

 これまで(そしてたぶんこれからも)僕は3つのクローズドなネット上のグループに属しています。それぞれ目的や性格が違い、活発・不活発の違いはあっても僕にとってはみな大切な仲間、友人たちのネットワークです。ところが、こうした(いずれも日本の文化習慣をもつ)グループの中ではなかなか本音のやりとりというのができにくい。別にケンカをしている訳ではなくても、なんとなくシックリこなくなります。これはたぶんあのR・ベネディクトが『菊と刀』で指摘した日本人の社会性の欠如と関係することだろうと思います。とにかく私たちには忌憚なく議論する(それを楽しむ)習慣がありません。

 そこへ行くと、グーグルをつくった二人(ラリー・ペイジとサーゲイ・プリン)のように、いきなりケンカ腰の議論で相手を試しながら認めあって意気投合し、以来、わずか10年でIBM、マイクロソフトに続く超巨大企業を築くなどということは日本では起こりにくい(起こらないとは言いません)ということだと思います。3つのネットワーク・グループについては、これからも積極的に関わって行こうとは思いますが、以上は、それらとは別にこのブログを僕が自分を取り戻す場としていきたいと思う由縁です。

 昔に較べれば日本もずいぶん風通しがよくなりました。でもまだまだです。そういう意味で、実際には難しいことかも知れませんが、一定の年齢になったら太郎をどこか外国に留学させたほうがよいのでは、と密かに悩むたろパパではあります。何よりもこういう「沈黙」の伝統が支配する社会習慣に太郎を染めたくないと願います。

 話がそれました。どうです、皆さん、ブログで元気になりませんか?(なによりタダというのがいいね♪)

【写真】たろパパの勤め先は荻窪。今日の昼飯は、出先から帰る途中、この荻窪北口の「新宿ねぎし」で食べた。麦とろは好きだが、グルメじゃないので味の評価は控える。なにより去年秋の出店ということでインテリアが新しいのがいい。トイレもきれいだったが、便座と蓋が自動開閉したのは驚いた。でも、この立地は、長いことスタンド風の寿司店があったところで、そのお店は結局鳴かず飛ばずというか地味だった。経営としては難しいところという感じもする。20店舗ほどの独立系のチェーンのようですが、どうぞ頑張ってください。

※このメール、一度は普通の電子メールに写真添付ファイルで送ったのですが、さすがにダメで、サイドブロックが表示されない、タイトルが文字化け、写真なし、みたいなことになってしまいました。また研究課題ができてしまったわけです。

火曜日, 2月 14, 2006

コメントのつけかた

何人かの友人の皆さんからこの「たろパパ日記」に応援メッセージをメールで頂きました。ありがとうございます。
ところが、このページでは今のところ投稿ごとにコメントをつける方法がない。そして、自分で言うのもなんだけど、このページに対するコメントのつけかたに関する設定方法がよくわからない。このメインページの一番下まで行って頂いて「x comments」をクリックしてコメント頂くことはできるのだが、投稿ごとにどうしてコメントできないのか。試行錯誤中ですのでもう少しお待ちくださいませ。

バタフライ効果をねらう?


 申し遅れましたが、たろパパの職業はコンサルタントです。この「コンサルタント」というのはとくに日本では実に怪しくかつ説明困難な仕事で、僕も人に聞かれた時は、「あ、いや、シンクタンクの研究員です」とか適当に誤魔化す場合もあります(別に嘘をつく訳ではないし)。で、私がコンサルタントになれたのは、ある日『コンサルタントの秘密』(G・M・ワインバーグ著、1990年共立出版)という本を読んだからです。ついでに言うと、この超便利な虎の巻を一度読めばだいたいの方は「私の職業はコンサルタントです」と言うことができるようになります。もちろんそれで喰うに足るだけの仕事をつかめるかどうかは(言うまでもなく)努力次第ですが。ところで、ワインバーグ先生は、私の知り合いの優秀なプログラマに言わせると「神の領域の人」だそうで、1970年代の名著『プログラミングの心理学』は、当時のコンピュータ・オタク連のバイブルだったとか。
 話がちょっと寄り道しましたが、この『コンサルタントの秘密』にはそれはもうたくさんの真理中の真理ともいうべき「○○の法則」や「××の原理」というのが詰まっておりまして、僕がみるところ、その中でももっとも重要なもののひとつが「プレスコットのピックルス原理」というやつです。実はこの虎の巻の内容をバラすことは(例えその一部であっても)ワインバーグ先生から堅く禁じられていて、このピックルス原理についても職業倫理上これ以上具体的には書きたくないのですが、絶対にこの場だけに限定した話として書くことにします。それは「大きなシステムを、長期にわたる継続的接触を通じて変えようとする小さなシステムは、むしろ自分の方が変えられてしまう可能性が高い」というものです。
 僕も若い時代には「世の中変えてやる!」とまさに畑から採れたてのキュウリのように元気だったのですが、いやもうすっかりほど良く漬かったピックルスになってしまいました。ただ、そうは言っても若い時分の夢や志向、そしてそれをねじ曲げられたか漬かったかして貫くことができなかった無念は消えるものでもありません。歴史はさまざまな矛盾に満ちていて、あの当時、力づくで変えようとしても変わらなかったものが、今や変えようとする者もなくなった時代に自壊しようとしています。
 まあ、そのようなことで、「進取気鋭の言論」は難しいけれども、気長にバタフライ効果をねらって書き続けようというのが僕の考えです。人生は短いけれども、取り組むべきことはまだまだたくさんあるのですから。

【写真】集団登校のようす。実際にみてみると、集団登校というイメージとはちょっと違う。子どもたちがぞろぞろと井戸端会議しながら行く。今日のテーマは「僕たちひとりひとりの誰はどのポケモンキャラにふさわしいか」でした。

月曜日, 2月 13, 2006

せめて三日は・・・


お早うございます
とむさん、さっそくコメントをもらいありがとうございます
でも「進取気鋭の言論」というのはちょっと重い、だいたい子どもの頃の日記帳なんて三日坊主があたりまえでしたから、という訳で「せめて三日くらいは」休まず更新しようというのを目標にしたいと思います
僕は素朴なグーグルファンで、この「ブロガー」を選んだのもそのためですが、実際にブログを開こうとするとやはり英語の壁がちょっと、という感じはありました。でも、その障害を差し引いても思ったより簡単です。また「チーム」メンバーを追加したり、自分で適当にご案内メールを出したりといったことで多少時間を喰いましたが、それを差し引くと実質2時間いや1時間くらいかもしれない。実を言うとこの「チーム」というのがまだ僕にはよくわかっていません。えい、誰か教えてくれい♪

【絵】太郎くんのペリカン、2004年1月初めに描いたもの(太郎はもうこの絵を描いた頃のことをすっかり忘れているようですが、パパとしてはこれが太郎の一番よい絵だと思っています)

日曜日, 2月 12, 2006

初めまして/たろパパです


太郎はすでに7歳。子どもの成長は早いものです。もうすぐキッズ・ギャング年齢、親より友だちが大事になって、僕とも遊んでくれなくなるんでしょう。でもまだ少しは楽しむ時間もありそうです。太郎とそして周りの子どもたちといっぱい遊びたいと思います。

そして、いよいよ私もブログに挑戦です。子どもたちとのことに限らず、硬派の主張も軟派の悩みもたくさん書いていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

【写真】太郎の通っていた保育園にはどんどこ池というビオトープがあります。今年のお正月には、な、なんとコサギがやってきて池の魚を食べてしまったのです。(2006/1/5 保育園の先生が撮影したもの)