火曜日, 8月 29, 2006

いじめに有効な方策を

今日の朝日新聞、日経新聞は、共に1面コラムで今治市の中学1年生が首吊り自殺した問題をとりあげています。天声人語は「言葉が、取り返しのつかない悲劇を招かないよう、心したい」、春秋は「残された言葉を忘れてはならない」と、それぞれコラムを結んでいますが、一般社会への戒めとしてはともかく、教師や親にとってはあまりにも具体性のない空しい呼びかけに聞こえるのではないでしょうか。

【写真】ババ抜き(2006.8.23 踊り子号で)

その意味で、デンマーク在住の高田ケラー有子さんがJMMメルマガで紹介された「五者面談」のような取り組みが本格的に導入されるべきではないかと強く感じます。以下、かなり長くなりますが、引用します(『平らな国デンマーク/子育ての現場から』第27回「五者面談」 JMMメルマガ 2005年5月25日発行より ・・・は省略部分)

・・・そのかわり、半年に一度保護者との面談があるのですが、学年末のゼロ年生の面談は、三者ではなく、担任の先生と来年度の担任、そして生徒とその両親の五者面談という形でした。もちろん、両親共に参加できない場合は四者面談となるわけですが、息子のクラスではそのほとんどが両親共に出席する五者面談だったようです。
・・・この五者面談、前もってA4の紙面に書かれた質問25項目を、息子にしておき、それをもとに面談がなされるのですが、担任も同じ質問を、前もって生徒にしており、家庭でも同じ質問をしておいてさらに面談の場でどうした回答が出てくるか確認しながら進めて行くものでした。質問の内容は、学校は楽しいですか? というようなことから始まり、誰と一番よく遊ぶか、学校で何をするのが楽しいか、また楽しくないことは何か、学校で遊ぶ時間は十分にあるか(勉強する時間が十分か、とは聞かないところがゼロ年生ならではです)などなど続きます。また、お片づけはきちんとしているか、誰かが何かをしている時に邪魔をしたりするか、というような質問もある中で、とても重要な項目として、「からかわれたことはあるか?」また「他の子をからかったことがあるか?」と言う項目があり、「からかわれたことがある」と回答すると、それは誰か、またどんなふうにからかわれたのか、そのときどうしたか、またどうするのがいいと思うか、など担任の質問は続きます。学校でからかわれたのか、それとも学童でからかわれたのか、また他にはないかなど、かなり突っ込んで聞いてくれる中で、息子は同じクラスでも学年でもなく、2年生にからかわれたことがある、と回答したのですが(私たちももちろん把握しておりましたが)、大人に話すことが大切であることと、話を聞いてくれる大人がいることをしっかり感じ取っていたようです。
 こうした、あえて言うならいじめ情報は、担任同士の連携がしっかりしていることもあって、からかったという子供の名前は必ずその担任に知らせられ、注意を払うようにしてくれるようです。学校の中ではそうしたことをしていない子でも学童でしているケースも多いようで、そうした子供が抱える気持ちの問題を、うまく聞き出しつつ、からかう方の子供に対するケアも大切にするようです。大人(先生という言い方をせず、大人、と言う表現をしています)の目がいつもあることと、表面的には見えないことも、こうした面談から聞き出し、また連携を取ってケアする、ということで、からかうという行為が大きないじめにつながらないように配慮しているようです。(引用はここまで)

デンマークなど北欧諸国の小中学校教育については、この高田ケラー有子さんのレポートでも詳しく紹介されているとおり、日本の学校教育とは基本理念から教師と子どもの具体的関係まで大きく異なり、形だけ真似をすることは難しいかもしれません。しかしながら、デンマークでも公教育が導入された当時から現代のようなコミュニケーション・ベースの教育ではなかったといいます。いじめ対策を大切な目標の一部としながら、そこに留まらない教育の原理的な変革にむけて、いっそうの努力を集中すべき時だと思います。子どもたちが死を選ぶたびに「いじめをなくす」と何度唱えても無力であることは間違いありません。

※明日から検査入院のため、今週末まで、たろパパ日記の更新はお休みです。

月曜日, 8月 28, 2006

肝生検、腹腔鏡検査

そろそろ夏休みも終わります。道志川のデイキャンプ、セミの羽化観察会、那須高原のキャンプと仙台旅行、奥多摩の川遊び、伊豆・多々戸浜の海水浴・・・、太郎といっぱい遊んだ気がします。太郎が毎日少しずつ成長しているのを実感しました。同時に、太郎と距離が近づけば近づくだけ、私との間になにか「ちょっと難しい関係」が生まれつつあるような気もしています。

【写真】雨模様の森で(2006.8.17 東北大学植物園)

夏休みが終わって、今週はいよいよB型肝炎の検査入院です。腹腔鏡で肝臓の組織を採取するので、身体への負担はさほど大きくないものの、3泊4日の入院となります。皆さまには何かとご迷惑をお掛けしますが、どうぞよろしくお願いします。

日曜日, 8月 27, 2006

海の生き物

南伊豆、多々戸浜で捕まえてきたエビなどが加わって、海水槽は再び賑やかになりました。一見、熱帯魚風のスズメダイの幼魚がイワガニにすぐ食べられてしまったのが残念ですが、スジエビくんたちはみんな元気。イソガニくんたちは水槽から脱走してはたろパパに連れ戻されています。

新参の小さなハマグリを食べにかかるウニ。5月、三番瀬からやってきたウニは長命です。ウニは、この写真のシーンの後、ハマグリをこじあけるのを諦めました。




イソギンボは2匹います。これがイソギンボだということは、多々戸浜でやはり魚とりをしていた小学5年生くらいの先輩から教えてもらいました。






イソスジエビは大小10匹以上います。今のところイソスジエビがイワガニやウニの食餌になる気配はありません。








卵を腹につけたイソスジエビ。2匹ほど、抱卵しているイソスジエビがいます。

土曜日, 8月 26, 2006

伊豆、多々戸浜に海水浴

【写真】たいへんきれいな浜辺でした(2006.8.17 伊豆、多々戸浜)

8月16日から1泊で、南伊豆の多々戸浜に海水浴に行ってきました。天気にも恵まれ、美しいビーチで海水浴と海の生き物探しを楽しみました。太郎は浮き輪で「波乗り」をやり、「たのしーい!」を連発。海水の透明度が高く、波打ち際に10センチほどの魚が泳いでいるのを何度もみました。近くの岸壁でカニやエビを捕まえました。東京から少し遠いのが難ですが、海の美しさと、海水浴場としてよく管理されている点が、大変、気に入りました。

【写真】縞模様が美しいイソスジエビ(2006.8.17)

ゲットした生き物たちは、果実酒用のボトルに砂や海草と一緒に入れ、途中、浮輪用のポンプで何度も酸素補給をしながら持ち帰りました。イソスジエビ(2センチから5センチほど、約10匹)、イソギンボ(3センチ、2匹)、イソガニ(3センチ、3匹)、イワガニ(6センチ、1匹)、ハマグリ(2センチ、4個)、スズメダイ(2センチ、1匹)。ただし、ハマグリのうち2匹はさっそく古参の巻貝たちに食べられてしまい、スズメダイの幼魚もイワガニの餌食となってしまいました。サッパくんたちが残り1匹となり、寂しくなった海水槽でしたが、またしばらく賑やかになりそうです。

Rパパさま コメントありがとうございます。戦争の話を含めて父たちのメッセージをビデオに撮っておくというのは面白いですね!

火曜日, 8月 22, 2006

よくぞ、ここまで生き抜いた

わが父、千葉正男は、1918年宮城県築館町(現栗原市)に生まれ、満20歳の夏、仙台に本部を置く第二師団配下の現役兵としてノモンハン事件に動員された。戦闘には遭遇しなかったが、塹壕に籠もって火炎瓶でソ連戦車をねらう訓練を繰り返したという。父はこれを振り返って、「ああいう戦術しかないのではとても戦争に勝てないと思った」らしい。

その後、戦時で1年延期された兵役を終え国鉄に就職、それからの数年間が父にとってはもっとも自由に満ちた青春の日々だったようだ。母と結婚し、兄が生まれた直後の1945年6月、旧満州ハルピンにて現地召集。そのまま戦闘らしき戦闘もないまま敗戦となった。ソ連の捕虜としてバイカル湖周辺で強制労働に駆りたてられたが、1947年頃に帰還。

いま父は衰え、散歩で家の周りを10分ほど歩いてくる他は、自室で横になっている時間が多いが、それでも心は元気だ。昔のことを聞く私に、「よくぞ、ここまで生き抜いた」と笑顔で振り返ってみせた。小学校(仙台、通町小学校)時代の20数名の男子同級生のほとんどが世を去り、戦争では長兄(幸男)を失っている。父たちが負った戦争の犠牲が、同じ時代の他の人々に較べて重かったのか軽かったのかを一概にいうことはできない。父の人生だけが波瀾万丈だったのではない、時代そのものが波乱万丈だったのだ。

太郎くんへ
いつか君がこのブログを読む日がくるかもしれないが、君のおじいちゃんはこんな人だったんだということを、ぜひ覚えていてほしい・・・とパパは思います。

日曜日, 8月 20, 2006

太公望

今日は、腰の重い太郎をようよう説得して奥多摩に川遊びに出かけました。前に行ったことのある武蔵五日市駅近くの河原はバーベキュー客で一杯で、やむなく少し上流の河原に。2組のファミリーの間にタープを張らせてもらってから川に入ってみました。時々、小雨が降り、また陽も差して大変な蒸し暑さでしたが、川水の冷たさが心地よく、何度も川底に座って水浴びを楽しみました。

【写真】結構、気合の入った構えに見えます(2006.8.20 秋川渓谷)

お隣に陣取ったパパは本格的な釣人で、アユの友釣りをやっていました。数匹の形のよいアユを釣り上げたようです。たろパパは丸ウキのごく簡単な仕掛けで、ようやく10センチほどのアブラハヤを1匹釣り上げました。このパパの「釣果」に刺激されて、太郎が「釣りたーい!」と叫んで挑戦しましたが、やはりそれほど多摩川のお魚さんたちも甘くはありません。結局、太郎はボウズ。でも、夏の川遊びを存分に楽しんだ一日でした。

土曜日, 8月 19, 2006

『森のゆくえ』感想文

インターネット新聞JANJANの「今週の本棚」コーナーに応募した、浜田久美子著『森のゆくえ』感想文が公開されました。応募してから実際に感想文を書くまでにずいぶん長い時間が経ってしまいました。感想文としては、少々小難しく書いてしまったという反省もあります。しかし、よい本、そして、環境問題に関心をもつ方の必読書といってもよいかもしれません。お勧め致します。

【写真】羽化間近のアブラゼミの幼虫(2006.8.12 小金井公園セミの羽化観察会で)

金曜日, 8月 18, 2006

キャンプの楽しみ

那須高原でのキャンプと仙台の実家への旅行から戻ってみると、河合隼雄先生が脳梗塞で重篤とのニュースを聞きました。心配なことです。

【写真】オニヤンマを3匹ゲット(2006.8.15 那須高原)

那須高原でのキャンプは、心配した雨もさほど降らず、30数年ぶりにテント生活を楽しみました。期待をこめたクワガタ・カクテルは、降っては止む雨とやや時期をはずれたため空振りに終わりましたが、太郎はつぎつぎに飛来するオニヤンマを追うのに夢中になりました。到着直後から出発ギリギリまで、ずいぶんと長い時間、ヤンマと勝負していたようです。

利用したキャンプ・ラビットは大変よく整備、管理されたキャンプ場で、牧場が近いためかアブが多い点などを除くと、ほとんど満点に近いレベルです。とくに、地面にかまどをつくって直火を使えるのがよい点です。たき火は最高のキャンプの楽しみだろうと思います。小雨が何度も降りましたが、タープの少し内側にかまどをつくったため、ほとんど苦労なしに火を起こすことができました。

【写真】キャンプ・サイト(2006.8.15 那須高原)

太郎には、火のつけ方、薪火の扱い方を教えました。昼食時、私の火起こしを見ていた太郎に、夕食の火起こしをさせてみました。4つ折りされている新聞朝刊1部をかまどの底に敷いてその上に薪を何本か並べ、新聞の端になんども火をつけようとしています。これでは火はつきませんが、新聞と薪の上下は間違っていませんので、まあよしとしましょう。・・・新聞を1枚づつ小さく丸めたものに着火することを教えました。それから薪の置き方とウチワの使い方。太郎は、ウチワで風を送ると火がボウボウと燃えあがることに驚いたようです。太郎に火の番をさせて焚いた飯盒のご飯は焦げメシになってしまいましたが、太郎もまた火を焚く楽しみにはまったようではあります。

8月8日の「もう一度、子どもたちのコミュニティについて」にNYパパさんからコメントを頂きました。ありがとうございます。・・・そうですね。子どもは、家族と地域コミュニティを繋いでくれる橋のような役割りをしてくれます。現代という時代の変化の大きさを考えると、太郎たちの世代が活躍するこれからの時代に、ついつい心配だけが募ります。しかし、ひとりが果たせる役割りには限界もあります。自分に残された時間に、何をするのか。よくよく考えて、少しずつ取り組んでいきたいところです。

火曜日, 8月 15, 2006

日記の更新、お休みします

台風10号の影響で場合によっては荒天の可能性もありますが、これから那須高原のキャンプ、続いて仙台方面への旅行に出かけます。数日間、たろパパ日記の更新をお休みします。メール等も見ない予定ですので、いろいろご迷惑をお掛けしますが、どうぞよろしくお願いします。

【写真】道中、けんかしないで行こうぜ!

日曜日, 8月 13, 2006

クワガタ・カクテル

今日はのびたけおさん風に・・・(のびさん、ライブ決定、おめでとうございます!)

今週、那須高原に(太郎と二人で)キャンプに行くことになり、今日一日、その準備に追われました。準備の最後に、特製「クワガタ・カクテル」をつくることにしました。材料は、1)沖縄多良間島産黒砂糖、2)太平山生もと純米(清酒)、3)バニラエッセンスです。黒砂糖5に日本酒1を混ぜ、最後に酢を少し入れる、樹木に塗る時にバニラエッセンスを振り掛ける、というのが昆虫図鑑のレシピですが、今回はバニラエッセンスも一緒に捏ねました。

昨日のどんどこ会主催「セミの羽化観察会」は、午後、寒気団の通過と大雨、雷雨があり、夕方になってようやく晴れてくるという「絶妙な」タイミングでしたが、逆に、たくさんのセミの羽化などをみることができ、夜の森に子どもたちの歓声が何度もあがりました。アブラゼミが樹上をめざして登るところをいくつも見つけました。ツクツクボーシが羽化の途中でウマオイに襲われて食べられているところを見つけました。会の大森さんが貴重な写真をたくさん送って下さいましたので、いずれ改めてご紹介したいと思います。




クワガタ・カクテルは、材料をよくかき混ぜて完成です。たろパパも飲んでみたいような微妙な香りがします。キャンプ用品の中で1日寝かせ、明後日にはきっと那須高原中のたくさんのカブト・クワガタを酔わせることでしょう。太郎くんが、カクテルのボトルに貼るラベルを描いてくれました。今度のキャンプは、太郎くんにとって初めての本格的キャンプです。わざと電源のないサイトを選び、ご飯も飯盒で炊きます。夜中に「ママー!」とか泣かなければいいのですが・・・

水曜日, 8月 09, 2006

楽しい夏休みを!

柳橋保育園の卒園児たちが参加する「杉の子」というグループがあります。その夏合宿が4泊5日で神津島で行われ、太郎くんと同じ学年の子たちを含めて、一昨日、東京に戻ってきました。素晴らしい天気に恵まれ、皆、真っ黒に日焼けしてきたようです。私としては太郎を参加させたかったのですが、本人はそんなに長くお泊まりすることに自信がなかったようです。残念!


【写真】シロテンハナムグリ(2006.8.5)

昨年の秋、当初は「カブト虫の幼虫がいっぱいいる!」と喜んだのですが、これが、実はカナブンでした。幼虫は4、5センチほどでだいたい100匹近くいたはずです。このカナブンたちが、この夏本番の到来でつぎつぎとサナギの殻を破って羽化し始めました。太郎くんたちは、昆虫マットを慎重に探りながら、大きめのチョコボール大のサナギを10個ほど掘り出しました。中にはちょうど羽化したばかりのも何匹かいて、太郎くんたちが空に差し出した手からブーンと初飛行していきます。羽化したてのカナブン(シロテンハナムグリ)はピカピカ光って宝石のようです。

12日には「どんどこ会」によるセミの羽化観察会に参加し、来週初めには太郎と仙台に帰省したいと思います。下旬には伊豆に海水浴に行きます。皆さまも、どうぞ楽しい夏休みをお過ごし下さいますよう・・・。

秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(藤原敏行

火曜日, 8月 08, 2006

もう一度、子どもたちのコミュニティについて

8月1日に「子供たちのコミュニティー」を書きましたが、それからずっと、このことが気になり続けています。このこととは「今の日本の子どもたちは子どもの社会をつくらない」、あるいは「今の子どもたちに自由がないこと」といえるでしょうか。乳幼児期を過ぎてことばを使うようになるや否や、子どもたちは「関係」を意識し始めます。太郎たちの年齢(6、7歳)になれば、ほっておいても友だちの輪が広がっていき、そこに親たちが介入することを嫌うようになります。

今の日本の子どもたちが不幸だとすれば、それは物質的な不足ではなく、この子どもたちのコミュニティについて、親たちがあまりにも強く干渉し過ぎること、少子化や安全な環境が保証されないこと、あるいは塾通いなどで、子どもたちが自由に自分たちの「社会」をつくりあげる時間的地域的環境がないことがもっとも大きいような気がします。

【写真】関前公園の人工滝(2006.8.6 武蔵野市)

本来育つはずの子どもたちの社会では、親たちがそれぞれどのような人たちであれ、子どもたちは親は親、子どもは子どもと区別して捉えます。それぞれに親との関係に悩む子たちが相談しあったり支えあったりするものなのではないでしょうか。もちろん、争いもあり、協力があり、リーダーもいます。仲間を守ったり助けたりする者が慕われ、自分だけかわいがる者は嫌われます。子どもたちはここで、いずれ生きていくべき本当の社会の練習をするのだということもできます。・・・このような「子どもの社会」をつくる環境を、今の大人たちは用意しません。それが問題ではないでしょうか。

7月30日の朝日新聞朝刊に、作家の野田知佑さんが校長を務める徳島県の「川の学校」のようすが紹介されています。「この学校では、君たちは『自由』なんだよ」と語りかける野田さんのことばが印象的です。子どもたちが自分たちで社会をつくっていくのは大人の指示によるものではありません。本当の自由がなければ、子どもたちの奥底で眠っている意欲も目覚めません。大人にできることは、子どもたちが自分たちの目標を決めて行動していくことができる環境を整えること、放っているようでいて、どこかでじっと見守っていることくらいではないでしょうか。

※写真の「滝」は山奥ではなく、武蔵野市の住宅地の真ん中にあります。関前公園には、この滝と20メートルほどのせせらぎ、ジャブジャブ池、トンボ池などがあります。確かに都会のオアシスではありますが、莫大な予算を投じて建設、維持しているこの公園も、本当の自然には到底かないません。

月曜日, 8月 07, 2006

アスファルトはもう止めよう

東京は猛烈な暑さです。観測では33度とのことですが、アスファルトやコンクリートだらけの市街地の暑さは限度を超えています。体力の落ちた高齢者や乳幼児には本当に辛い時期となりました。・・・いったい誰がこのように街中をアスファルトで埋め尽くすことを「認めた」のか? このような都市をつくってしまったことについて、何かほとんど怒りに近いものを感じます。

この熱暑が地球温暖化の表れなのかどうか、それはわかりません。しかし、過去半世紀もの間、成り行きで東京など大都市への人口集中が起こったことの結果であることは間違いないところです。また、住宅地でも空き地はアスファルトで固めてあります。草が生えれば虫が住み、周囲から苦情が出るということなのでしょう。路地に雑草でもなんでも生えていれば雨水の地下浸透の入口となり、気温を抑える効果があることは明らかであるにも係わらず、です。

【写真】梅雨が明けて数日が経ち、稲穂が出てきました(2006.8.6 ポンポコ池で)

アスファルトで固められた市街地に大雨が降れば、越流水は排水路から河川に流れ都市水害を引き起こします。私の勤務先のあるビルでも、昨年夏の台風の際には地下駐車場に水が流れこみ何台もの車がやられました。一人一人の行動はやむを得ない、それなりの理由があることでも、数百万人が密集している都市では、その結果が恐るべきことになるということです。

そういう私は、今、冷房の効いた事務所でこれを書いていますが、冷房の使用が都市のヒートアイランド化を一層進めていることも間違いありません。かと言って、冷房なしにはとても居られないことも確かなのです。・・・私たちは、ほとんど「蜘蛛の糸」にすがる餓鬼の群といった状態にあるのではないでしょうか。

大きな道路などでは水が透過するアスファルトを使うようにできないでしょうか。生活道路や遊休地にアスファルトを使うのはもう止めようではありませんか。家の周りの道路に水たまりがあってもいい。車が少々汚れてもいい。幼児が遊ぶ道を40キロものスピードでとばす車がなくなる方がずっとよいのではないでしょうか。

水曜日, 8月 02, 2006

ナナフシハウス

ナナフシについて、いろいろ興味深いことがわかってきました。鎌倉にお住まいの「虫博士」のプラケースワールドによると、ナナフシは春から夏にかけて6回ほど脱皮し、単性生殖することがわかりました。なんと、オスがいなくても卵をテキトーにばら撒き、翌春には赤ちゃんが孵化するようです。オス不要というのはちょっと気に入りませんが、面倒がなくていいかもしれません。卵を産むかもしれないと聞いて、太郎くんも「ラッキー!」とか喜んでおります。

ということで、さっそく飼育箱に土を入れ、コナラの葉を入れてみました。ナナフシくん、身体をゆらゆら揺らしてなかなか満足そうです。
【写真】ナナフシがコナラの葉を食べている(2006.8.2)


ところで、このナナフシをみつけてきた山梨県の道志川は禁猟区に指定されており、釣りをしてみたかった私には不満が残りました。で、今週末(土日のどちらか)、奥多摩にもう一度、バーベキューに行こうかと考えております。もしご一緒できる方がいれば、どうぞメール(taropapa・・・gmail.com、・・・を@で置き換え)等でご連絡ください。今年は恐らく日照不足が原因で河水が非常に冷たく、魚の成育もよくないようですが、子どもを遊ばせるにはこの河原がいいよといったアドバイスがあればぜひお願いします。

【写真】土を入れコナラの葉などを入れたナナフシハウス(2006.8.2)

火曜日, 8月 01, 2006

子供たちのコミュニティー

おとといの日記にNYパパさんからコメントを頂きました。NYさんは、若い世代のワーキングプアの問題の大きな要因として学力の問題があるとみていますが、同時に、子どもたちに、自由に「子どもの社会」をつくる(人間関係を学ぶ)環境がないこと、「子供が安心して自分たちだけのコミュニティーを作れないことが今の一番の問題」としています。

【写真】ついにウニがカニを制す(2006.7.30)

NYパパさんが言わんとすること、非常によくわかります。例えば昔は「子どもの喧嘩に親が乗り出すのはルール違反」だったかもしれません。あるいは近所の路地で年齢の違う子どもたちが群れて遊び、夏ならば年長の子がリーダーになって川に泳ぎに行く、なんてこともありましたね。力の強い子、やさしい子、イザという時に知恵を出す頭のよい子、正義感の強い子、・・・それぞれ個性があって、お互いに感心したり激しくぶつかったり、そうやって社会というもの、人の気持ちというものを学び、また、自分の個性、ポジションをみつけていったというところでしょう。

今の子どもたちには、たぶん、そういう育ち方をする時間、環境が少ないのでしょうね。先日、ご近所でレインボープールに行った時、こんなことがありました。A君(小3)とB君(小2)は大の仲良しでもうほとんど親分子分みたいな関係です。C君(小3)は普段、大変聞き分けのよい子です。プールに行く途中で、A君がC君を、「パンツがみえた・・・」とか、さもないことでからかったのが発端です。B君はA君に同調しました。C君はしゃがみ込んで泣き出し「A君たちがからかった・・・」と訴えます。A君とB君は知らん顔で遊び回っています。

こんな時、皆さんならどうされるでしょうか。放っておくのもひとつの手ではあると思います。でも、この時、たろパパは、かなり強くA君とB君にC君をからかったことを謝らせ、C君には(この謝罪はかなりあいまいな感じでしたが)、これを受けいれるかどうか話をさせました。結局、C君が謝罪を受けいれることで「和解」が成立し、また一緒にプールに向かったのでした。因みにこの時は、3人のママあるいはパパが周りですべてをみており、大人たちの態度が一致していたことも助けになりました。・・・でも、その時、本当はどうすべきだったのかは、今でもわかりません。

まあ、それこそ昔なら、そもそも大人はこうしたトラブルの際、近くにいませんし、どんな解決法かは別として、年長の子を中心に「修復」がされるのだろうと思います。今は、小学校低学年や未就学の子たちが自分たちだけで遠くのプールに行くということ自体があり得ません。また、親たちと子どもたちの関係についても、時代と共に変わるのは避けがたいことだと思います。

そうした「時代の変化」を考えれば、日本の小学校においても、北欧諸国で広がっているトリン・フォー・トリンのプログラムに本格的に取り組むべきだろうと考えております。今朝のNHKニュースの中で、教師を対象としたコミュニケーション研修が取りあげられていました。これなど、現在の小中学校(とりわけ公立校)の絶望的な保守体質の中で特筆すべき試みだろうと感じたのですが、トリン・フォー・トリンのプログラムははるかにその上をいくものです。

そう言えば、いつか高齢ママさんが、小学校の先生とごく普通のコミュニケーションがとれないと嘆いていました。正解というものを前提としたテストの点数がよい方が学校の先生になっている訳で、答えることよりも問題を出すことのほうが百倍も重要だということに学校の皆さんが気付かれるまでに、さらにどれほどの時間が無駄に使われるのかを考えるとゾッとするところではあります。

・・・例によって話題が拡散してしまい、失礼致しました(笑って許してくださいませ!)。写真についての補足です。このカニが、すでに昇天した大物ハゼに次いで、これまで何匹ものサッパ(イワシ)を食べてきました。サッパはついに残り1匹となりました。動かざること山の如し(実は結構速く移動する)のウニが最後に笑うのかもしれません。