金曜日, 11月 06, 2009

十円玉


今朝、銀行のCDに小銭を入れたところ、故障で処理が止まってしまった。
原因がこの十円玉。
充分過ぎるほどスリ減り、厚みさえ少ない感じだ。
よく見ると「昭和二十八年」とある。うん、何とこの硬貨は僕より1年「先輩」だった!
世の荒波を幾星霜、・・・乗り越えてきたという訳だ。

思うに、いよいよ僕らの世代(ポスト団塊)も、世間との格闘で身も心もボロボロという方が目立つようになった。
少し先輩になるが、昔、籍を置いた会社でお世話になった奥村真さんが、先日亡くなったという。
もちろん僕らは、まだ守りに入る年齢ではなく、またそれが許される状況でもない。
CDが十円玉と認めてくれなかった硬貨を見ながら、わが行く末を思う朝だった。

日曜日, 11月 01, 2009

毘沙門の落日

三浦の毘沙門港あたりまで遠出した。
釣具屋によると、どの磯も釣果が芳しくないという。
この日の満潮は午後3時。海は少し荒れて、砕ける波が釣り人の足許を洗うようになった。
大物を狙う欲と波が砕ける恐ろしげな轟きを両天秤にかけて、慎重に足場を選んだ。
これで釣ったのが下のウミタナゴ、・・・22センチあった。
(先輩の釣師の皆さん、笑わないでください、・・・これでも僕には「大物」です)
振り向くと城ヶ島の向こうに夕陽が落ちるところだった。

火曜日, 10月 27, 2009

秋天晴日 a nice day in autumn blue sky


Ogikubo, Tokyo metoropolitan city(2009.10.27)

この一年ほど、いろいろなことがあった。
4月に太郎は小学五年となり、ますます私の言うことを聞かなくなった。
いつもベンチを温めているようすだが、少年野球チームの練習に欠かさず参加している。
仕事では、1年半ほどの「社内起業」の試みがゆきづまり、私自身も20年近く籍を置いた会社を辞めることとなった。
この時には、たくさんの方々から励ましを頂いた。
とくに旧くからの先輩である岡部喜重郎氏が「千葉さん頑張れ、失敗してもあまりめげずに、成功を目指して頑張って」と書いて頂いたことが心に沁みた。
三浦の海には変わらず通い続けている。
もっとも、三戸浜のビーチバムを含め、相模湾一帯の海岸線は、先日の台風18号(メーロー)でボロボロになった。5月にみんなで遊びに行った黒崎の鼻の手前の浜では、砂が削りとられて先に渡れなくなった。
仙台では、父が92歳、母が86歳となり、変わらず二人だけの暮らしを送っている。

・・・私は落ち込んでいる訳ではない。そういう余裕もない。
前よりもっと集中して働いている。さらに計画的になっている。
しかし、この20年間のような、ただガムシャラに走るような働き方は止めよう、と思う。
人生の第三ステージの目標は15年後(70歳)くらいに置きたい。
皆さん、よろしく。そして、ありがとう!
頭をあげ、笑顔をつくり、・・・さて、出発としよう!


館山にて 2009.8.5






木曜日, 1月 22, 2009

いや、失敗、失敗・・・

今日(1月22日)、中野区の警大跡地開発計画の事業者説明会が開かれ、私もご縁があって会場の一席に座らせて頂いた。会の経緯については、またどなたかが報告されることと思うので省かせて頂くが、どうもこの計画はイケナイ、・・・実質的な事業主体である東京建物の説明も何かウツロな響きがした。彼ら自身がこの計画の実現性に確信をもっていないのではないか、・・・そんな疑問が胸をよぎった。
会場で配られた資料には「平成21年度着工(予定)」とあった。でも、なぜ「予定」なの?
土地代だけで1,400億円という、いかにも「時代に相応しくない」巨大プロジェクトがこのまま計画どおり進行する保証はどこにもない。21年度着工、24年度竣工という「予定」を守れなかった場合、そのリスクは誰がとるのだろうか? この「予定」はいかにもあり得ないものに思える。
区民の立場として、計画が頓挫した場合(その可能性は決して小さくない)、いかなる意味でも区に負担や尻拭いを求めないという一札を東京建物に求めるべきであると思う。

私自身はこの会場で、かなり緊張してしまった。
・・・いや、まだまだ修行が足りない。
番小屋のお母さんにこのお話をしたら、「名優は無茶苦茶緊張するもの」と聞いたようなことをいう。
知った間柄のグループで話すのとは違う、好意も悪意も入り混じった場で生き生きと自己主張する訓練をしよう。某大国の新大統領には敵わぬとしても、ね・・・