日曜日, 12月 31, 2006

「たろパパ日記」を振りかえって

今日は大晦日。今年(2006年)の2月に始めたこの「たろパパ日記」の一年を振りかえってみたいと思います。

【写真】南房パラダイスの蝶飼育棟で(2006.11.27)

★1 たろパパの家出事件(9月) 

これを読んで、ずいぶん驚かれた方もいたようです。50男は見た目よりはるかに複雑・・・・・・です。いや、ご心配をお掛けしました。

★2 太郎が少年野球チームに!(10月)

これには、こちらが驚きました。遊び半分といった感じですが、一応、続いています。

★3 那須高原キャンプなどアウトドアにチャレンジ(8月)

奥多摩(秋川渓谷)で川遊び(5月)、仙台への帰省の途中、那須高原でキャンプ、ご近所で道志川にデイキャンプ・・・ナナフシみつける(7月)、南伊豆の多々戸浜に海水浴・・・イソギンボ(8月)、名栗渓谷でキャンプとウッド・カヌーに挑戦(10月)などなど、今年は、太郎くんの家のアウトドア元年となりました。来年は、皆さま、ご一緒しましょう。どうぞ、お誘いください。

★4 ボラの幼魚と海水槽(5月)

5月の連休に葛西臨海公園の人工海浜で何種類か幼魚を捕まえたのがきっかけで、5月末には船橋近くの三番瀬で潮干狩りに行きました。ここで、ボラやハゼの幼魚、ウニ、ヤドカリ、カニなど数十匹をつかまえました。この魚たちを飼うために、ほとんど成りゆきで海水槽を始めました。結局、大晦日の今日まで生き残ったのは、ボラの幼魚1匹と夏の多々戸浜でゲットしたイソギンボ2匹、それに若干の巻貝くらいですが、海の生きものを飼うことは、予想外に楽しい体験でした。これも来年、どなたかチャレンジされませんか?(なお、ずーっと「イワシ」と書いていたものは、実はボラだったようです・・・訂正させてください)

★5 今年もシジュウカラが誕生(5月)

去年に続き、今年も4月から5月末まで、玄関先の巣箱にシジュウカラが営巣。ヒナたちが巣立ちました。残念ながら、巣箱をかけたゴールドクレストがあまりにも大きくなってしまったため、巣立ちの後にこの樹を伐りました。でも、シジュウカラの他に、今年もたくさんの生きものが太郎くんの家にやってきて卵を生んだり、サナギから羽化したり、大きな幼虫になったり、逃げ出したりしました。カマキリ(20匹以上!)、カブトムシ、クワガタムシ、キアゲハ、クロアゲハ、ヤモリ(!)、スズムシ・・・・・・。

★6 いじめ問題について

今年は、いじめと子どもたちの自殺について、とくに大きな関心が集まった年でした。最初、私の印象では、学校の先生たちは何とかいじめをなくそうと努力しているのだが、問題はそれ以上に深刻なのだ、といったところでした。でも、だんだんわかってきたことは、あちこちで教師の発言や行為がきっかけで深刻ないじめが起きて子どもが自殺したり、校長先生や教育委員会がいじめを隠したり、といったことが例外ではないという、驚くべき事実でした。問題の根は深いところにあります。

こうしたいじめ問題とも関連しますが、日本人の社会性、コミュニティのもち方、コミュニケーションの特徴といった点、あるいは子どもたちが成長過程でぶつかる問題などについて、河合隼雄先生のご本から学ぶものが多かったことは、ブログに取り組んだ成果だったと思います。8月には先生が脳梗塞で倒れるというニュースがありましたが、早くご快復されるようお祈りしたいと思います。

★7 のびたけおライブ(11月)

もうずいぶん前から予告があり、一生懸命準備を重ねていたのびさん、ホント格好よかったです。・・・私も思わずレポートに力が入りました。

★8 ポンポコ池にソーメン流し水路完成(6月)

ポンポコ池には5月くらいから手を入れて水を溜めていきましたが、メダカを飼うために水道の塩素飛ばし効果があるのでは・・・とつくってみたのが「ソーメン流し水路」でした。これがご近所で大評判(と思っているのは私だけ?)。結局、メダカや野山北六道山公園のクチボソなどは長生きしませんでしたが、名栗渓谷のハゼ系の数匹はしぶとく生き残りました。また、ポンポコ池に植えた稲は大きく成長して実り、年末の「稲穂のリース」になりました。来年も、稲を育ててみたいと思います。

★9 たろパパ、B型肝炎治療を始める(6月)

ひさしぶりに武蔵野赤十字病院に行き、新しい診療システムの優秀さに感心したりしておりましたが、8月末には腹腔鏡による肝生検、10月から新しい抗ウィルス剤エンテカビルの服薬治療と進みました。幸い薬効あらたかというか、だるさなども少なくなって参りました。治療は今後も長期にわたって続くことになります。皆さまには、いろいろご心配を頂きました。ありがとうございました。

★10 鮭の卵がつぎつぎと孵化(12月)

大晦日の今日まで、(残念ながら)孵化した21匹の稚魚のうち2匹が死にましたが、19匹は元気に成長し、泳ぎまわることも多くなりました。この稚魚たち、来年の2月初めに多摩川で放流され、遠くオホーツクの海にむかって旅立つことになります。今年は春から夏にかけて日照不足で河水の温度が低く、また水量も少なめで野川のメダカの成長が大幅に遅れました。これなども、だいぶ心配したものです。今、太郎くんの家の淡水槽には、名栗渓谷のハヤ(?)の幼魚、ギギ系、ドジョウ、野川のメダカなどが数十匹、元気に泳ぎまわっています。来年は、カヌーで川の旅をしてみたいなあ、などと考えています。・・・・・・ご経験のある方、どうぞアドバイス下さい。

★番外 ブログ「たろパパ日記」の更新200回に迫る!

この大晦日の投稿を含めて195本の投稿を行ったことになります。今年は、ミクシィの利用者が400万人とか、日本においてもブログが本格的に普及した年でした。グーグルの株式時価は創立8年目で15兆円を超えました。「はてな」の近藤淳也さんは、「東京にいては自分が成長しない」とか言ってシリコンバレーに移住してしまいました。たろパパは、もう近藤さんほど頑張る元気はありませんが、それでも何とか知恵を絞ってやっていきたいと思います。

このブログを始めた頃、ずいぶん「炎上」したらどうする、とかご心配を頂きました。別の場では、何度も失敗をしましたが、幸いにもこの「たろパパ日記」では大きな失敗もなく(・・・私が知らないだけ、という声はあります)、逆に、自分に対して大変大きな意味があったと感じています。この自分の経験から言えば、どうぞ皆さまにもブログに取り組んでみたら・・・とお勧めしたく思います。

この一年も、またまた大変お世話になりました。また、来年もよろしくお付き合いのほど、お願いします

土曜日, 12月 23, 2006

魚づくし

鮭の稚魚たちはみんな元気。覆いをとって、水槽を明るいところに置くと盛んにグルグル廻りをやります。
                                         
                                         

鮭の稚魚。目がくっきり、お腹の栄養のかたまりに血管がはっきりわかりますね。
                                         
                                         
                                         
                                         


こちらは、秋に名栗渓谷で捕まえてきた川の魚(クチボソかな?)。この他に、エビやドジョウなどもたくさんいます。
                                         


お馴染み、フジツボを家代わりにするイソギンボくんです。夏に南伊豆でとってきたもので、2匹とも生きていて、少し大きくなりました。
                                         
                                         
                                         
                                         

こちらは、これまで「イワシ(ママカリ)」と紹介してきましたが、背びれの形などからボラの幼魚のようです。訂正します。5月に東京湾でとらえた50匹のうち、最後に生き残った1匹です。子どもたちは「運命の1匹」とか呼んでいます! かなり大きくなってきました。

この他、玄関先の冬枯れのポンポコ池には、これも名栗渓谷「出身」のハゼ似の5センチ級が2匹ほどいます。・・・今日はたろパパの「魚づくし」でした。

日曜日, 12月 17, 2006

サケの卵が続々と孵化


【写真】昨日の2匹に続き、今日も次々と卵殻を破って誕生(2006.12.17)

鮭の受精卵が、どんどん孵化しつつあります。今日、一日かけて計16匹になりました。残りの卵は5個です。脱ぎ捨てられた卵殻は透明で水中でだんだん見分けがつかなくなっていきます。少し見ていると、生まれたての稚魚が時々動きます。グミの実のような(太郎もこう言っていました)栄養の塊りをお腹につけたまま、ヒョイッと跳びあがり数センチから10センチくらい泳いでみたり、砂を巻き上げながらグルグルまわりをしたりします。動かないときはじっと砂に横たわっています。

水槽は長さ25センチくらいの小さなもので、ごく簡単なポンプを回しています。観察しないときは厚紙で覆うようにしています。

もし大部分が2月はじめの放流日まで生き延びるなら、何匹かはこの水槽(あるいは海水槽)で育ててみようかと考えています。また、鮭は放流された川を覚えているだけでなく、どの地点で放流されたかというところまで覚えているとのことなので、野川で放流してもいいのではないでしょうか。そのうち、どんどこ会の秋の行事で「野川を遡上するサケを捕まえよう」なんて企画ができたりして・・・。

土曜日, 12月 16, 2006

とうとう生まれた。ぴくぴくうごいた

さきほど隣の畳の部屋で、太郎が「あーっ、うまれた!」と叫んでいるのが聞こえました。駆けつけると、鮭の受精卵のひとつから太さ1ミリ長さ8ミリほどの尻尾が出ています。もうひとつの卵では、透明な卵殻のなかで時々さかんに動きがみられました。孵化はどんどん進行していて、それから約50分ほど経過した今ほど、この2匹目からも尻尾が飛び出し、1匹目は頭も出てきました。太郎は水槽に貼りついています。

太郎が受精卵と一緒に頂いてきたプリントをみると「多摩川にサケを放流する府中の会」とありました。
これをみると、1)水温は低く(最高でも17度まで)管理すること、2)エアレーションをしたほうがよいこと、3)生まれた後はしばらく動かないこと、など大変参考になることが書いてありました。
また、サケの卵は、孵化してから1か月ほどで数センチに成長するとのことです。そして、2月11日(日)・・・太郎の学校では前日の10日(土)10時半に、多摩川の是政橋の下流側で放流する計画とあります。プリントには「(放流後)数日かかって、東京湾まで行きます。・・・この後、3、4年間、太平洋を遠いアラスカのほうまで旅をして大きくなってもどってきます」と書いてありました。いつかこの写真のサケが大きくなって多摩川に戻ってくるとすると、・・・本当に楽しみですね!

太郎が水槽に貼りついています。太郎には、昨日の朝から「観察日記」をつけるようにさせました。
・・・・・・こういう観察の機会をつくってくれた皆さまに、本当に感謝です。

一番奥の卵から尻尾が伸びているのが写真でみえますでしょうか?
この後、頭も出てくると、透明な卵殻が外れてお腹に栄養の塊をつけた稚魚となります(今、ちょうど2匹目の卵殻が外れようとしているところです)。

太郎の観察日記。左上が昨日の朝・・・小さな目のようなものが二個ある丸い卵の絵と「生まれそうだけどまだだった。ざんねんだった。」下が先ほど書いたもの・・・太郎くんのおちんちんみたいな絵(卵から尻尾が出ているところ)と「とうとう生まれた。ぴくぴくうごいた」とあります。

金曜日, 12月 15, 2006

鮭の卵

鮭の卵、つまりイクラです。今日、太郎が隣のクラスの先生から20個ほど預かってきました。太郎によると、無事、孵化して稚魚になったら、また学校にもっていくとのこと、・・・ひょっとして多摩川に放流する計画でしょうか。
【写真】イクラ・・・いや、鮭の受精卵です(2006.12.14)

ネットを検索すると、鮭の卵を孵化して稚魚を川に帰そうというのは、小中学校のプログラムにあるようで、すぐにいくつかブログやホームページがみつかりました。


雫石川を鮭でいっぱいにしよう大作戦

すぐにみつかったホームページの中では、これが一番本格的です。何と、本物の鮭を河で捕まえるところから「大作戦」が始まっています! 地方都市のいいところは、こういうことがやれるところですね。とくにホームページの末尾にある、子どもたちの感想がよかった。

【写真】「雫石川を鮭でいっぱいにしよう大作戦」ホームページより


鮭の卵、孵化直前!
これは、つい一週間ほど前のブログです。ほとんど同時進行ですね。こうしたブログをみると、とくに世話をしなくても孵化するところまではなんとかなるようです。問題はその後なんでしょう・・・。

鮭の卵が孵化しました・・・
この方は江戸川に近い学校にお子さんが通っているようです。12月6日のブログですから、こちらもほぼ同時進行。さて、どうなることやら・・・                                               

木曜日, 11月 30, 2006

ヤンキー先生、ちょっと違うのでは?

ヤンキー先生こと義家弘介さんの活動について、これまで私は、ごく外面的な印象に過ぎませんが、どちらかといえば好意をもってみてきました。ただし、昨日来のニュースで流されている「いじめをする子はクラスで影響力がある、こうした子は別に指導することにして、他の子どもたちを(いじめをする子の影響を除いた形で)指導していかなければならない」という義家さんのコメントは頂けないと思います。
【写真】フジツボの殻を家がわりにするイソギンボ(2006.11.30)


小中学校のいじめは、1)子どもときちんと向きあえていない家庭、2)いじめはいけないことを子どもたちにしっかり教えない教師、3)いじめられた子がいじめる側に変わるといったこと、あるいは、学級の中がいじめる子たちといじめられる子たち、傍観する子たちという重層構造になってしまうこと、など、原因・態様は複雑です。私自身は、この間、繰り返してきたように、デンマークの国民学校で行われている「五者面談」のような取り組みがまず基本にあるべきだと思いますが、日本でこうした取り組みが難しいのは、まず教師自身が親や地域社会と相談しながら学校教育をつくっていこうという姿勢が薄いからだろうと思います。

なぜ先生たちは「自分の意見」を持たないのか。議論をしてものごとを進めていくことは、達意の文章を書くことと同様に、練習をすればできることでありながら、どちらも教員養成過程ではほとんど重視されてこなかったのだろうと思います。指示がないと動けない先生たち、自分の頭で考えない先生たちがあまりにも多すぎるのではありませんか。こういう先生たちが、どうして子どもたちの心に芽生える意欲を注意深く育て、表現する仕方を教え、みんなで話し合いながら学校生活をつくっていくことができるでしょうか。

私は、もとより安倍首相の唱える「教育再生」など、まったく信用も支持もしておりませんが、少なくとも現在の学校教育の現状が、根本からの再生を必要とする状態であることだけは信じて疑いません。それだけに、熱心に教育というものに取り組んできた義家さんのような方のあの意見には、正直、大変がっかりしました。

火曜日, 11月 28, 2006

南房・館山小旅行

週末を利用して、房州・館山に遊びに行ってきました。天気に恵まれず、期待していた坂田港の観光定置網漁も見学できませんでしたが、晩秋の海をそれなりに楽しんできました。

【写真】東京湾アクアライン「海ほたる」から東南方向(2006.11.26)

「海ほたる」は羽田の先と木更津を結ぶ海底トンネルと海上道路をつなぐ人口島です。この日は西日本方面から低気圧が接近しており、昼前というのに厚い雲に覆われていました。やや雲が薄くなったところから射す日の光が海面を鈍く照らしだしています。

【写真】インコの餌やりを手伝い(南房パラダイスで 2006.11.27)

館山の先、太平洋に面した海岸に「南房パラダイス」があります。ここにはポニーやラマが飼われていたり、子どもたちとが動植物に触れる体験企画もいろいろやっているようです。平日でしたので、他のお客も少なく、インコの飼育係りのお姉さんにいろいろ教えてもらいながら、餌やりをしてみました。この写真には数羽しか写っていませんが、インドネシアやオーストラリア産の鮮やかなインコが数十羽もいて、鳴き声もかなりうるさい感じでした。手を噛まれることもあるそうで、小さい子にはちょっと難しいかもしれません。

【写真】美しい色のインコが懸垂!(南房パラダイスで 2006.11.27)

これも同じインコのケージです。このインコの鳴き声はかなり大きく、人間の声にちょっと似ています。

【写真】蝶の館では数百匹の蝶が舞う(南房パラダイスで 2006.11.27)

この蝶の館では飼育係のおじさんに、指に密を塗って蝶をとまらせるやり方を教えてもらいました。・・・太郎くん、あまりうまくできませんでしたが。(なお、南房パラダイスは、千葉県の施設で、現在は指定管理者制度によって民間の会社が運営しているとのことです)。

この「たろパパ日記」を少しリニューアルしてみましたが、サイドバーに「どんどこいけであそぼ!(SNS)」「サンドロット(SNS)」という2つのリンクが追加されたことにお気づきでしょうか。いずれも主宰者の招待がないと参加できないメンバー制のチーム・ブログです。詳しい説明は他の機会にさせて頂きますが、こうした新しい考え方に基づく一種のSNSが、今後、かなり大きな意味をもっていくのではないかと考えています。それぞれ興味のある方はどうぞご連絡ください。招待メールをお送りします。

日曜日, 11月 12, 2006

伝説のロッカーのびたけお、熱狂の復活ライブ!

一部に熱狂的ファンをもちながら、長く公演活動をお休みしていた伝説のロッカー、のびたけおの復活をつげるライブが、今日(11月12日)高円寺のShowBoatで行われた。会場には、なんと、ももぐみさんから70歳代と思しき高齢ファンまで、実に幅広い年齢層のファンが100人以上も詰めかけた。一時は、熱狂した年若いファンがステージに駆け上がり、演奏が一時中断する騒ぎもおきた。
【写真】ライブの中盤、ギターをウクレレにもちかえ熱唱するのびたけお(2006.11.12)

自分のロッカーとしての歩みを振り返るトークが大うけ、会場は熱気とともに終始、クスクス笑いの絶えない和気あいあいの雰囲気に包まれた。そして、ついに「不滅のロッカー宣言」が出たのだった! のびは、今年引退を表明した日ハムの新庄やサッカーの中田英に触れながら、「しかし、のびたけおは絶対引退しない、死ぬまで歌う!」と迫力をこめて宣言、満場の喝采を浴びたのだった。

かぶりつきにはちびっ子ファンが最初から最後まで詰めかけ、身を乗り出すように「ノビタくーん!」と絶叫、「いや、ちゃうちゃう、ノビタじゃなくてノビタケオ!」と再三訂正するも、誰も聞いたようすがなかった。踊りだす子、一緒に叫ぶ子、・・・そうだ、やっぱりロックは「若者」の音楽なのだった。





【写真】狭いライブハウスに大音響のロックが響くなかでスヤスヤ眠る子たち(2006.11.12)



ノリノリの子どもたち、踊りだすパパやママ、保育士のお姉さんたち、胸をゆさぶるロックのリズムとともに、ステージは一気にエンディングに!

金曜日, 11月 10, 2006

近藤淳也著 「へんな会社」のつくり方

私の勤務先のごく小さなコンサルタント会社が、この秋、創立15周年となり、これを機に新分野で関連会社を起こそうという計画が進んでいる。・・・と言っても、もともとが数名しかいないところだから、それほど大きな事業を考えることもできないのだが。会社づくりマニュアルみたいな本も買ったが、ふと思いついて、近藤淳也著 「へんな会社」のつくり方 を取り寄せて読んでみた。近藤さんについては、今年の春に「はてなに入った技術者の皆さんへ」といったブログを読ませてもらい、大変優れたリーダーであることはわかっていたが、この本によって、さらに高い評価を与えるべき方だということを確信した。


【写真】もう一ヶ月ほど前のようす。このシーズンは恐らく延べ20匹くらいのカマキリを捕まえたが、もうすべて死んだ。後には、オオカマキリ、ハラビロ、コカマキリのそれぞれの卵胞が残された(2006.10)

この「近藤淳也という現象」で、もっとも注目したいのは、例えばある種のコミュニケーションの質について徹底してこだわるその個性と共に、子供時代の育ち方だ。盛り場も子供むけの施設もない田舎の原っぱで、近藤少年は毎日毎日、日暮れるまで友だちと遊びほうけていたらしい。具体的に書いてはいないが、いたずらっ子であったこともほぼ間違いない。この、ほとんど「野生児」としかみえない少年時代に、現在の資質が育まれたのだ。

ひるがえって、最近の「いじめ」をめぐる動きについてみていると、今の学校というシステム、先生たちが、もう大変に歪み、そして固まりきっているという印象がますます強い。文部科学大臣が、いじめによる自殺予告の手紙に大慌てで対応したり、東京都の教育長のメッセージが配られたり・・・。どうして、ここまで「いじめ」問題が焦点化しないうちにきちんとした対応をとろうとしなかったのか。ひょっとすると文部科学大臣にしても、東京都の教育長にしても、「問題」が一段落した後では、旧態依然とした態勢が続いても何も変えようとはしなくなるのではないか、・・・こうした疑問が拭えない。

私は、一般に学校教育が不要だとは考えない。あるいは(この日記でみてきたような)学校外で子どもたちにさまざまな体験機会を用意する試みも必要だとは思う。だが、近藤さんのような個性をみてしまうと、今の「教育」では、やはり何か大切なことが忘れられているような気がしてならない。あるいは、何が過剰で何が足りないのか、・・・はっきり指摘はできないが、何かが明らかに違う、ということは間違いない。

月曜日, 11月 06, 2006

室内用ヘリコプター

太郎がTVのコマーシャルで「ハニー・ビー」という全長20センチほどの室内ヘリコプターをみつけて欲しがりました。保育園の年長から去年くらいまでは、ゴムで飛ぶ飛行機やペーパーグライダーなどをつくって見せても、それほど興味を示さなかったのですが、このところ、昆虫やは虫類(ヤモリ!)と同じくらい惹きつけられているようです。少々高かった(3,999円)のですが、アマゾンで注文すると、2日ほどで届きました。

【写真】残念ながら、充電池の故障らしく、現在、修理中(2006.11.3)

大型のラジコンヘリなどにハマる方も多いようですが、こうした小型の「飛びモノ」も、最近人気が高いらしい。このハニー・ビーも、機体を軽くするためかなり工夫のあとがみられました。それだけに故障もしやすく、製品としてはなかなか難しいところだろうと思います。操縦もそれなりに集中力が必要です。・・・私としては、太郎が「パパ、教えて!」とか言ってくれるのがいいかな、とか(まあ、親バカではあります)。

話は変わりますが、いろいろな事情が重なって、勤務先が新しい事業分野で会社をつくることになりそうです。今、事業構想づくりに「ない知恵」を絞っているところですが、それにしても、ビジネスの世界において、思考の柔軟性や創造性といったことがいかに大切か、改めて感じています。「思考の柔軟性」といえば、はてなの近藤淳也さんが思い浮かびますが、「ぬるま湯のような東京に居ては自分がダメになってしまう」と言って(いや、表現はこれとはやや違ったと思いますが)、さっさとシリコンバレーに移住してしまったのはこの夏でした。すぐに結果は出ないかもしれませんが、こういう冒険をする若さももう自分には足りないのだと、いささか苦い思いも感じています。

いずれにしろ、いかに窮状とはいえ、この「場」から逃げる訳にもいかず、虚心になって(そして初心に返って)課題に取り組んでいくしかありません。

日曜日, 10月 29, 2006

少年野球

な、なんと、太郎が少年野球チームに入りたいと言い出しました! というのも、私の系も妻の系もスポーツには縁が薄く、太郎自身、トーマス幼児から昆虫少年になってきた途中で、あまり運動の才がありそうにはみえなかったからです。とは言え、いつまでも母親べったりの状態から、自分で「やりたい」といい始めたのは画期的です。この機を逃さず、さっそく手続きをすることにし、今日は、私も初の練習試合を見に行くことになりました。
【写真】まずは準備体操から(2006.10.29)

・・・いや、なかなか本格的でよかったです。監督や指導のパパたちの雰囲気もよく、あとは太郎が慣れるまで、いきなり大きな怪我などしてあきらめるなどということのないよう祈るのみ、といったところでしょうか。

30分ほど準備練習をしているうちに対戦相手チームがやってきました。なかなか統制がとれ強そうです。因みに今日の両チームは3年生までの低学年チームです。審判も2人いて、練習試合とはいえ、本格的です。
【写真】最初に全員が並んでプレイボール!(2006.10.29)


結果は10数点対2点というワンサイド・ゲームになり負けましたが、出場した選手たちはみな真剣にプレイし、大変な勉強になったようです。また、低学年チーム同士、これからよきライバルとして競い合うことになりそうです。
【写真】なかなか本格的な感じでしょう?(2006.10.29)








【写真】何点取られても力を抜かずに一生懸命投げていました(2006.10.29)

今日の試合でひとつだけ大きな反省点があるとすれば、太郎たち数人の新入くんたちが、ベンチから少し離れたところで試合そっちのけで遊んでいたことです。1、2年生では仕方ないかもしれませんが、「自分はどうせ出場しない」から試合もみないというのでは野球にも練習にもなりません。私も2度ほど太郎を脇にひっぱって行って強く注意しましたが、わかったんだかわかんなかったんだか・・・。

土曜日, 10月 28, 2006

学童まつり

今日、東京は少し暑いくらいの好天に恵まれ、太郎の通う小学校では「学童まつり」が開かれました。入口で1回10円×10回のチケットを買って、子どもたちが準備した楽しいショップめぐりをしました。
【写真】魔法の“スライム”は人気があって長蛇の列ができていました(2006.10.28)


【写真】サッカーのゴールのように番号をねらってケリます(2006.10.28)







【写真】チョコバナナはおいしい! たろパパもいただきました(2006.10.28)








【写真】“食べものやさん”はやはり女の子に人気があるようです(2006.10.28)











【写真】「ビビ、ビッとビンゴ」もけっこう人気でした(2006.10.28)







【写真】やはり(?)というべきか、太郎くんは「むしとり」係だった(2006.10.28)

金曜日, 10月 27, 2006

失われた記憶

この10月18日の朝日新聞に、作家カズオ・イシグロ氏のインタビューが掲載されています。この記事で、木村伊量記者の問いにイシグロ氏が次のように答えているくだりがあります。

・・・甘美な少年少女期の追憶は、イシグロさんのモチーフの一つですね。
「子供はだれしも、世界は美しいと考えたがるものです。もちろん、大人になれば世界はそんなところじゃないと気づくし、子供の頃にそう思っていたことさえ忘れ去ってしまう。私はその記憶を大切にしたい。世界に対するナイーブな見方の中に、失われた理想や感動的なもの、美しいものをみるのです」

【写真】ウニの殻から頭を出す南伊豆産のイソギンボ(2006.9.24)

うんうん・・・そうだなあ、と共感しました。しかし、それと同時に子どもたちが世界に美しいイメージを求めようとするのを見るのは痛ましい思いがするものです。スピルバーグ監督の映画『太陽の帝国』で、出撃する零戦に敬礼するジム少年の抱く「憧れ」。あるいはルソーが『孤独な散歩者の夢想』に記していたように記憶するけれども、幼いルソーが何のあてもなく放浪生活に入っていった時に示した健気さ。・・・いずれ子どもたちは「現実」と格闘し、ボロボロになりながら、あるいは成長し、あるいは挫折を繰り返しながら大人になっていくのです。

この間、北海道(滝川市)や福岡(筑前町)でのいじめによる子供の自殺をきっかけに、改めて「いじめ」に関心が集まっています。その中で文部科学省が「いじめを隠すな」と指導文書に明記したといったこともありました。学校でのいじめにあう子について、先に私は「学校の不作為による犠牲者」といった表現をしましたが、その後の奄美市や蕨市の事例などもみますと、実態は「不作為」ではなく「学校ぐるみ」でいじめが構造化されているのでは、という印象が強くなってきました。

いじめにもさまざまなレベルがあるでしょう。しかし、例えば児童・生徒千人あたり1件以下とか、せいぜい数件とか、そんなものであるはずがありません。現在の国内の小中学校では、よほど熱心に対策に取り組んでいる少数の例外を除けば、ほとんどの学校のすべての学級に、程度の差こそあれ、いじめがあるだろうと思います。文科省は先の文書に「いじめはどの学校でも起こりうること」と書いているとのことですが、「起こりうる」ではなく「ほとんどの学校で、少なからぬ件数のいじめが現に起こっている」のだろうと思います。

【写真】イソギンボのむこうには江戸前のイワシがみえる(2006.9.24)

これまで何度も繰り返してきたように、私は現在の学校をベースにした「改革」によって教育を生まれ変わらせることができるとはまったく考えていません。端的に、これをお読みの先生たちに問いたいと思います。過去1年間に、学校内でのいじめをなくすための対策について職員会議で議論したことがありますか? もし議論したことがあるとすれば、それにどれくらいのエネルギーを割いていますか? あるいは「いじめ」に限らず、先生同士で教育というものについて熱く議論を交わしていますか?

恐らく、私のこの問いに対して「希望を持つことができる答え」を返してくださる先生はほとんどいないだろうと思いますが、どうでしょうか。・・・あまり「絶望」ばかり書いても現実から離れてしまうだろうという点は、私も反省しなければなりません。しかし、本気になって取り組めば「いじめ」を大幅に減らすことは可能であるのに、現在の学校や先生たちが手を拱いているかにみえることに、親としてのいらだちは募るばかりです。私が聞きたいのは先生たちの「肉声」なのだということでもあります。

月曜日, 10月 23, 2006

武蔵野市のプレイパーク

武蔵野市がプレイパークにトライするという。武蔵野第六中学に隣接する八坂神社の敷地だ。今回は試行で、実際にできるのは2年後らしい。・・・「どれどれ、果たして武蔵野市はどこまで本気なのか?」と、日曜の午後、太郎を連れ、焼きミカン(!)の用意をして出かけた。(※今日は詳しく説明しないが、焼きミカンって、実はすごく美味しいんです)
【写真】泥んこになって遊ぶ子どもたち(2006.10.22)

だが、やはり「ちょっとがっかり・・・」だった。「本部」と書かれたテントに座っていた方たちに、「焼きミカンやりたいんですけど」と申告したが、火を燃やしてはいけないとのことで、あっさり「却下」。プレイパークの準備にあたってきた皆さんには大変申し訳ないが、改めて言うまでもなく、「火」は「水」や「土(泥)」と共に、子どもたちにとってもっとも興味をひくもので、プレイパークの核だと言ってもいい。「近所から苦情が来たらいけない」というのが理由だそうだが、試行であれば、そこまでやらなければ試行にならない。試行でやらずに実際にやれる訳がない。

【写真】神社の社の周り(写真左手側)は木が混みすぎて暗い(2006.10.22)

まあ、試行ということで、何か「プレイパークっていうのは、こういうふうに遊ぶんだよ」みたいな仕掛け(手作りのブランコやロープのジャングルなど)もよくできていて、これはこれで準備が大変だったろうなと感心したが、やはり火を使えないということが釈然としない。それに、本部テントの方たちやプレイリーダーの皆さんが、詳しく説明してくれようとしなかったことも何とはなしに気に掛かった。まさか行政の体質が伝染った訳ではなかろうが。

先にキッザニアについても同じようなことを書いたが、子どもたちというのは、たぶん大人が期待するところを見事に裏切ってくれるものなのだろう。中には大人の期待を察知して、大人を満足させるように振舞ってくれる子どもたちもいるが、その子どもたちが本当に大人たちの視点から「見える」ように感じているのかどうかは怪しい。そうした意味で「子どもを育てる」というのは、無茶苦茶困難な技に違いない。難しいことばかり言うようだが、そのような意味で、キッザニアも今回のプレイパークも(少なくとも今のところ)あまり成功しているとは言いがたい。

金曜日, 10月 20, 2006

ヤモリかっていいですか。

・・・うーん、そう聞かれても、パパとしては困るんだが。
昨晩、遅く帰宅すると、太郎のメモがあった。そりゃまあ、虫や生き物に興味をもってもらいたいと仕向けたのはパパだが、ヤモリはないだろう! ちょっとやりすぎだ。・・・でも、どこでヤモリを捕まえるんだろう? ヤモリなんて飼うのは難しいんだ、とか思いつつ寝てしまったが、朝になってビックリ。実はその時すでに、2匹のヤモリがリビングの飼育カゴにいたのだ!

実を言うと、パパはヤモリとイモリの区別がよくわからない。子どもの頃、キャンプに行った森の中で、黒っぽい身体の腹の部分に赤い文字状のもようがあるのを見たが、あれがイモリか? それから、古い藁葺き屋根の農家で、夜中にボトッと落ちてきたのはヤモリだったか? 今回、太郎が学校の帰り(!)に捕まえてきたのは、図鑑などをみるとどうもヤモリのようだ。・・・でも、パパも本当に東京の住宅街でヤモリが堂々と(?)生きているとは思わなかった。
【写真】これ、本当にヤモリでしょうか?(2006.10.20)

太郎は「かっていいですか」とか殊勝そうだが、実際に飼育の世話をするのはパパなんだよ。・・・結局、今朝も、使っていなかった飼育ケースに土や石、半割りにした竹(昼間の隠れ場所)を入れ、近所の畑にヤモリが捕食するための虫をとりにいくことになった。そして、7、8ミリの生まれたてのコオロギやクモなどを捕ってきた。でも、カマキリなら秋で死んでしまうが、ヤモリはいったいつまで生きるんだろう?(餌をずーっと確保しなきゃならない!)・・・ということで、見方によっては「刺激的な暮らし」かもしれないが、かなり長くなりそうなヤモリとのつき合いが始まってしまったのだった。

木曜日, 10月 19, 2006

ハラビロカマキリの産卵

昨日の夕方、たろパパが散髪していると、携帯電話が鳴りました。太郎です。
「ぱぱーぁ、ハラビロカマキリが卵うんだよ!」と弾んだ声がします。
「おー、よかったねー!」と私。
前に書いたとおり、ハラビロのメスが2匹いて、オスを探していたのですが、結局、オスは見つからないままでした。しかし、メスの1匹は捕まる前に交尾していたようです。
【写真】ハラビロカマキリの卵と見守るハラビロの母(2006.10.18)

写真にみえるとおり、なんと卵は果実酒の容器の内側に産みつけられました。図鑑などでみると、ハラビロの卵は木の枝などに産みつけられるようです。ハラビロなりに、ここが「一番しっかりしている」と判断したのではないでしょうか。今朝、たろパパがショウリョウバッタを1匹入れてやると、このママ・カマさん、よほどお腹が空いていたようで、すぐ捕らえて食べていました。

・・・来春、またこの卵から蚊のようにみえる子カマキリくんたちがゾロゾロ出てくるのでしょうか。太郎くんの家には、この他にも、クロアゲハの越冬サナギ1匹、カブト虫の幼虫9匹がいて、来年の春には、鈴虫やナナフシも、新しい世代が誕生するかもしれません。なかなか楽しみなことです。
【写真】ウマノスズクサ(2006.10.1 むさしの自然観察園で)

楽しみといえば、この写真のウマノスズクサを増やして、来年はジャコウアゲハの羽化観察プロジェクトに取り組もうという楽しい考えもあります。この草はジャコウアゲハの食草なのです。最近、ナガサキアゲハが東京近辺(西東京市川崎市)で観察されたという新聞報道がありました。たろパパは、今日(2006年10月19日)、杉並区の善福寺川のそばでツマグロヒョウモンと思しき蝶を見かけました。いずれも昔、東京ではみられなかった蝶で、これは地球の温暖化の影響と考えられます。美しい蝶をみることができるのはいいのですが、やはり温暖化は困ったことです。ところで、ウマノスズクサはどこで見つかるでしょうか。詳しい方によると、樹木の下草などに混じっているとのことですので、どうぞ見つけた方、ご存知の方はたろパパに教えて下さい。・・・お願いします。

3枚目の写真は、柳橋保育園のどんどこ池で撮ったものです。確か、去年の秋にも同じ花を同じ場所で撮影した記憶があります。この花についても、どうぞ名前などを教えてください。
【写真】サフランを大きくしたような花ですね(2006.10.1)

水曜日, 10月 11, 2006

カマキリの生態について

太郎くんの家にカマキリが初めて「来た」のは、今年5月に多摩川でとってきたオオカマキリの卵から孵った子カマキリくんたちでした。この時も太郎くんは「カマキリを飼いたい!」と叫んでいたのですが、たろパパが「カマキリなんて、いったい、どう飼うんだ?」と反対し、子カマキリくんたちを庭に放したのでした。でも、結局、9月になると、成長したカマキリを何匹も飼うことになりました。
【写真】モンシロチョウ(2006.9.23 野川で)

9月になると、太郎くんたちが近所の畑や休みの日に出かけた公園などで、つぎつぎにオオカマキリやハラビロカマキリを捕まえてくるようになりました。たろパパも仕方なく飼育のために果実酒用のプラスチックボトルを買ってきたりすることになりました。それから、太郎くんの家には延べ10匹くらいのカマキリくんたちが交替で住みつくようになります。最後の脱皮に失敗して死んでしまったハラビロもいます。飼育ケースが足りずに、2匹にされた途端にバトルが始まったこともありました・・・もちろん、生き残ったのは1匹だけです。そして、ついにオオカマキリに交尾させるということになったのです。

それで、結局、わかったことは、「カマキリは交尾した後、メスがオスを食べてしまう」というのは神話だということです。この「常識」は広く普及しています。ブログ仲間の、のびたけおさん(11月コンサート、がんばってー!)も「父親の存在って何なんでしょうね。カマキリのオスは、子供生まれたらメスに食べられちゃいますからね」と書いていますが、そういうことも時々あるけれども、カマキリが他の個体を食べるのはこういうケースばかりではない、それ以外のケースのほうが多いかもしれない、ということです。
【写真】ハラビロカマキリ・・・たぶんメス(2006.9.21)

この間、太郎くんの家のカマキリに起こったことはつぎのようなことです。
1)同じケースに入れられたハラビロ同士は、あっという間にバトルとなり、1匹生き残った
2)大きなケースに入れたオオカマキリのオスとメスは数日間、繰り返し交尾していたが、餌を充分与えていたためか、バトルとはならず「仲良く」暮らしていた。
3)その後、大きなケースにもう1匹のオスのオオカマキリを入れたが、3日間くらいは3匹とも共存していた。メスは先のオスと交尾していた。
4)そして、先のオスが死んだが、攻撃したのがメスなのか、新しいオスなのかは不明。その後、メスは新しいオスと交尾。
5)人間たちがキャンプに行って留守にした2日間に(たぶん餌不足も影響して)、大きなケースのメスが死んだ。ただし、卵は産んでいない。オスは生き残った・・・オスがメスを攻撃した可能性がある。
6)同じく2つの果実酒ケースにそれぞれ2匹ずつ入っていたハラビロ(たぶんいずれもメス)は、人間たちがキャンプに行くまでの3日間は共存していたものの、帰宅してみるとそれぞれ1匹になっていた・・・つまり共喰いしたようだ。

結局のところ、カマキリは、相手がオスであれメスであれ、餌が足りなくなれば「目の前で動いているモノを食べる」ということのようです。これは、先日お邪魔したむさしの自然観察園の山崎さんという昆虫に詳しいスタッフの方からご教示頂いた内容と一致します。まあ、身も蓋もない真実ではありますが、男は「男がいかに哀れな存在であるか」をつい強調したがったりするもので、その材料にカマキリが使われてきたというのが真相のようです。・・・カマキリくんたち、ごめんなさいね!

火曜日, 10月 10, 2006

ついにカヌーイストに!

太郎が誕生して「たろパパ」となって以来、ビオトープ研究家とか、昆虫写真家とか、いろいろなものになってきた私ですが、今度はとうとう名栗渓谷でウッドカヌーにチャレンジ、憧れのカヌーイストになってしまいました!・・・つまり、子どもは偉大だ、ということですね。
【写真】名栗湖(有馬ダム)(2006.10.8)

10月8日から9日にかけて、青梅の北西にあたる名栗渓谷にキャンプに出かけました。もう2年ほど前、太郎は柳橋保育園の「杉の子」というグループでデイキャンプに行った場所ですが、もうほとんど記憶にないようです。片道3時間はかかりそうと思ったのですが、朝7時20分に家を出発し、約45kmの道程を2時間半ほどで行きました。

名栗湖は、北から南に流れる名栗川から西に分岐する有馬渓谷を堰き止めた人造湖です。ここには、NPO法人「名栗カヌー工房」があり、ウッドカヌーの製作や普及活動の中心になっています。工房代表の山田さんは、笑顔が素晴らしい方で、私たちをやさしく迎えて下さいました。残念ながら、この日は全国で大きな被害をもたらした低気圧の強風が吹き荒れ、カヌーを試すことはできません。そのため工房内の展示場を見学させて頂きました。私にも意外だったのですが、ウッドカヌーは非常に軽く(標準挺で約20kg)、操艇は難しくありません。
【写真】製作中のウッドカヌー(2006.10.8)

自分でカヌーをつくってみようという方も少なからずいるようで、工房には製作途中のカヌーがいくつもありました。一方、太郎は、この山中に捨てられて工房に保護されているシェパードのベルに興味をもったようです。山田さんたちに教えてもらい、コワゴワながら、ウィンナーを手から食べさせようとしていました。
【写真】工房の山田さんと(2006.10.8)

たろパパたちは、風がおさまった翌日、とうとうウッドカヌーで名栗湖に漕ぎ出しました。たろママも入れて3人で約30分、つぎはたろパパが一人だけで約40分の2回だけですが、うーん、何とも快い時間でした。たろパパは、一人で湖に落ちてくる滝の近くや有馬渓谷の上流に近い方などに行ってみましたが、シンとした静寂の中に鳥の声がし、静かにパドルで水をかいていると、つい、自分が西部開拓時代にカナディアン・ロッキーを旅する人にでもなったような気がしました。

話は戻って、結局、この1日目はカヌーをあきらめ、ダム下流のキャンプ場で釣りや魚とりを楽しみました。モツゴに似た幼魚やドジョウ、ハゼに似た魚を数十匹も捕まえました。みんな数センチ以下ですが、この魚たちは今、太郎くんの家の淡水槽に野川のメダカたちと一緒に入っています。

キャンプの楽しみは、焚き火と星空でしょうか。この夜はほとんど快晴でしたが、十七夜くらいの大きな月が8時ころ東天から現れ、残念ながら「満天の星」を堪能することはできませんでした。それでも、朝5時、まだ朝の黄金色がやってくる前、月が西の山の端に沈もうとする頃、南天には夏の星座、大オリオンが鮮やかに輝いていました。焚き火で暖をとりながら天の星々を探す・・・、これは間違いなく最高のキャンプの楽しみです。太郎くんは、・・・まだ寝ていました!
【写真】朝5時、沈もうとする月(2006.10.9)