金曜日, 9月 29, 2006

オオカマキリの交尾

もうすぐ10月、リビングでハラビロカマキリ1匹とオオカマキリ2匹をそれぞれケースで飼ってきましたが、今朝、思い立ってオオカマキリを交尾させてみることにしました。数日前にバラビロで試した時は、両方ともメスだったようで、ひとつのケースに入れた途端にバトルが始まり、ほぼ一瞬で勝負が決まりました・・・つまり、負けた方はあらかた食べられてしまったのです。

【写真】後ろがオス、オスの尻尾の先がメスの尻尾の先に入っている(2006.9.27)

今日のオオカマキリの場合は、大きさが異なるので、たぶんうまくいくだろうという予想はあったのですが、大きなケースに入れると、すぐお互いに組み合ってカマで相手を捕まえる態勢になったので、「こりゃ、マズイ!」と焦りました。ただし、本当に不思議なもので、ハバヒロの時のように、同性同士ならすぐ相手を食べ始めるのに、今日は両者ともジッと相手を見極めるように動きません。そして、5分ほどすると、やおら態勢を変え、オスがメスの後ろにまわって交尾を始めました。

カマキリの交尾は、オスが尻尾の先を曲げ、メスの尻尾につなげるようにします。今朝は、このようすを太郎たち、登校前の子どもたちにも見せました。私も出勤してしまいましたので、その後の顛末はわかりませんが、よく言われるように、交尾が終わればオスは食べられてしまうのでしょう。たろパパも、カマキリの交尾をみるのは初めてで、自然の営みの確かさ、といったものに大変感心しました。オオカマキリの卵が無事、産みつけられれば、来春、たくさんの赤ちゃんが生まれることでしょう。

【1日後の追記】丸一日半が過ぎました。昨日の朝、交尾したオオカマキリたちは、その後も「平和共存」しており、時々、交尾をしたりしています。うーん、カマキリが交尾するとオスは食べられてしまう・・・というのは、ファーブル昆虫記にも記述があるらしく、ある程度「常識」となっていますが、実際にはすべての場合にそうなる訳ではないのでしょう。ネット上の記事をいくつかみましたが、、やはり、食べられずにうまく「逃げる」こともあると書いている方もいます。また、交尾後、産卵するまでの間には一定の時間があるようです。それがどれくらいなのか、まだわかりません。太郎くんの家のオオカマキリの場合は、オスを含めてノンビリしていますので、まだまだ先かもしれません。
ところで、今度はハラビロカマキリのメスのお腹が大きく、もうケースの蓋にとまっていられないほどなのですが、どたなかオスを譲っていただけたら嬉しいのですが。・・・どうするのかは、言うまでもないですね!

月曜日, 9月 25, 2006

鈴虫

週末になって太郎と行動とする度に「トラブル」となってしまい、私のほうがかなりメゲています。・・・昨日は三鷹で国際交流フェスティバルという野外の催しがあって、太郎を誘って出かけようとしたのですが、太郎のほうは釣り堀に行きたいといいだし、道端に座って動きません。ではジャンケンで決めようと太郎が言い出したのですが、そのジャンケンで太郎がズルをして私が怒り、もうどちらも止めて家に戻りました。・・・もうほとんど子ども同士のケンカと変わりませんね! 太郎はママに「パパがいじめたー」と大泣きしてみせています。
【写真】鈴虫(2006.9.21)

太郎は母親を動かすコツを心得ていて、母親はこれに抵抗できません。一見、不思議に見えますが、その通りなのです。母親は時々、太郎を叱ったり、場合によっては感情を「爆発」させることもありますが、基本的に太郎に対決することができないために、叱ってもあまり「効果」がありません。したがって、今の太郎は、家の中では「小皇帝」状態で、人格として対立するのは私だけとなります。

ところで、今朝、子どもたちの登校の時、太郎も加わった言葉や態度でのいじめがありました。この間、いじめに遭っているのは決まった子で、太郎たちが道路に石墨のような石で「○○のバカアホ・・・」と書いたり、その子が文字を消そうとしている間に、いじめる側が「(○○を)置いていこう」と行ってしまったりしました。今朝は、気がついた母親たちが介入しましたが、状況は改善していません。私が知っている限りでは、昨年の後半から同じようなことが繰り返されてきたようです。

新しい首相となる安倍氏が教育改革を唱え、民主党や共産党もこれを巡って賛否の論を唱えていますが、結局のところ、政治家や官僚たちには教育の現場がどうなって、何が問題なのかということすらわかっていないように思われます。私たち、子をもつ親にとって、例えば「このようないじめを知った場合、具体的にどのように対処すべきか」といったことをしっかり周知して頂くことの方が、観念的な「教育改革」論議より百倍も大切に感じられます。

仮に3人の子がいじめに関係していれば、その3人の各学級担任、それぞれの両親、学童に行っていればその先生たちの全員が、いつ、誰が誰にどのようないじめをしたのかといったことを知っていなければなりません。そして、必要に応じて場を設け、子どもと大人たちが事実を確かめ、子どもたちの一人一人に「いじめをどう思うか」「なぜいじめがいけないか」「謝罪と反省の必要」といったことをわからせていくことが必要です。例えば、私の場合では、いじめを見聞きしても、具体的に(誰に何を知らせるなど)すべきなのか、何もルールを知らされていません。たぶん、そのようなルールなどないのでしょう。

このような中で、先頃もあったように、いじめられて自殺するような子が出た場合、それこそ学校の不作為による犠牲者だと思わざるを得ません。こうした事件が起きると、校長先生などが「いじめがあったとは知らなかった」などと述べるのがニュースに流れますが、知らないこと自体、本当に恥ずかしいことです。無責任だとも思います。もちろん親の責任も大きいと思いますが、今の日本では、学校と親が協力していじめに対応していこうとする場合、まず教師側がリーダーシップをとらないことには事態は変わらないでしょう。・・・しかし、私の周囲の状況、繰り返されるいじめや子どもの自殺のニュースをみる限り、残念ながら、悲しい気持ちで自ら命を絶つ子どもたちの列はまだまだ続きそうです。

金曜日, 9月 22, 2006

カブトムシが死んじゃった!

昨日、都教育委員会による日の丸・君が代処分を不当とする東京地裁判決が出ました。ごくあたり前の常識的見解だと思いますが、にも係わらず、けっしてこれが、現在の学校教育の世界の常識になっていない点に、あらためて深い絶望を感じました。

【写真】もう、そろそろ「限界」(2006.9.18)

これまで何度か書いたように思いますが、とにかく現在の教師たちの「口の重さ」はなんなんだ(!)ということです。とにかくお互いに話をしない、議論をしない、対立をしない・・・、要は「自分の考え」を持たない、ただひたすら決められた職分をこなすだけ、じゃないでしょうか。僕がNYパパを羨ましいというのは、少なくともあちらでは「学校は親と教師が話し合いながら運営していく」という基本が明確だからです。日の丸・君が代という一種の踏み絵で教師や生徒をしばりつけようという、ほとんど江戸時代のキリシタン弾圧みたいなことがまかり通る陰惨な世界に、子どもを行かせたくありません。

教師が自分の言葉を失っていて、どうして子どもたちが育つでしょうか? ・・・まあ、絶望だけしていても仕方ないのですが、新首相になるべき人が言っている教育改革を含めて、私は現在の公教育を改革あるいは再生させようというのは、基本的に無理だと感じています。これだけ頑固にもつれにもつれて積み上がった巨大な制度は、一度、徹底的に解体した上で、すべて原理からつくり直す以外にないはずです。それがどんなに困難に見えても、です。

【写真】これはムック、・・・じゃなくて、死んでいくカブト虫たちが残した幼虫(2006.9.20)

Rパパさま コメントありがとうございます。
 > 「命の洗濯」という前向きな表現は相応しくなく、何重もの
 > 鎧を脱ぎ捨てて、孤独感、不安感、劣等感のなかで人生と向
 > き合う。密かに憧れますね。
Rパパにして「劣等感」なんですね! いや、こちらが家出で得るものがあったとか言っても、妻などは「子どもの世話を人にさせて、なにを極楽トンボみたいな・・・」とか思っているんでしょう、きっと。

火曜日, 9月 19, 2006

チャドクガ

いや、大変な週末だった。鷲田清一先生のご本に、確か「言葉というものがなければ人が争うこともなかろうに」といった意味のことが紹介されていたが、太郎のあの一言がなければ、たろパパが怒って「家出」することもなかった、とは思う。でも、このことはもういい。太郎くん、きみのせいではないよ。パパはもう怒っていない。

【写真】ザリガニ釣り(2006.9.9)

でも、たろパパは「家出」をきっかけにいろいろなことを考えた。まるまる二日間、誰とも話さず、電話もとらず、街を歩き、椅子の上で寝た。ちょうど『マルテの手記』にあるように、21世紀はじめの東京もまた「死につつある街」にみえた。・・・家出を反対にすれば「出家」となる。今昔物語の仏教説話を読むと、釈迦が出家するまでのいきさつが事細かに描かれていて興味深い。また、釈迦が出家したあと、釈迦は高弟を実家に使いに出して母(妻)を説得し、自分の子(男子)を仏道に入れようとしたらしい。みんなには心配を掛けたが、たろパパには何か収穫があったと思われる「家出」だった。

話はいきなり変わってしまうが、9月の初め頃、2回にわたって玄関先の木にチャドクガの幼虫が発生したため、焼いて駆除した。あまりチャドクガの写真を載せたりしたくないのだが、確認のためにも小さいサイズで示しておく。

【写真】チャドクガの幼虫(2006.9.9)

この8月には東京の下町方面でも広い範囲でアメリカシロヒトリの食害が出たようだ。信州出身の方に聞くと、あちらでは毛虫が出れば、たとえその木が他家のものであれ何であれ、直ちに駆除してよい(駆除すべき)ものとなっているとか・・・。そう言えば、この夏には柳橋保育園でもチャドクガが発生して駆除したが、あれには困ると園長先生が言っておられた。家では一昨年、チャドクガが発生した時には強力な殺虫剤を使ったが、化学薬品の影響が心配になって今回は焼却にした。因果関係があるかどうか、たろパパにはわからないのだが、今年の春、先に強力殺虫剤を使った木の根に近い位置にぽんぽこ池を拡張したところ、この池に放したメダカなどはすべて数日で死んでしまった。

この件があったからということではないが、今、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』を読んでいる。さすがに、DDTを頭からかける、みたいな荒っぽいことこそやらなくなったが、複合汚染の恐ろしさ、環境ホルモンの問題など、社会をあげて、注意深く、かつ真剣に取り組まなければならないという点はまったく変わらない。今、私たちの周りでは、社会が軋み、人の心が病んでいるだけではない。同時に私たちは、自然環境を汚染、破壊しつつあるのだ。そして、その「報い」は必ずやってくるに違いない。・・・世界はあらゆるところでつながっているのだから。

木曜日, 9月 14, 2006

シュールなたろパパ

私がデジカメの準備をしていると、太郎が「撮らせて」といいました。できあがったのが、この「シュールなたろパパ」です。太郎は、これをみて、「キャッ!」とか笑い転げておりました。このように機嫌のよい時はいいのですが、少し気に入らないことがあるといきなり怒ったり泣いたり、・・・私としてはもう少し落ち着いた気性に育ってほしいところです。

とは言え、このように感情をコントロールするためには、相手の気持ちを察するセンスを育てることと自分の気持ちを表現する訓練が必要です。折しも、先日の都教育委員会のまとめによる小学生の校内暴力の増加といったニュースに続いて、全国でも同様の傾向がみられると報じられています。こうした子どもたちの暴力について、マスコミでもブログでもいろいろな意見が出されています。教師が学力向上という目標に追われて子どもたちと向き合えていない、とか、食生活の乱れで低血糖の子が増えていることが原因という方もいます。

私は、先の日記で「教師と家庭の連携が必要」という意見を書かせて頂きましたが、つまるところ、丁寧に子どもを育てるということをしていない親があまりにも多すぎるということに尽きるように思います。子どもと同じ高さの目線に降りて向きあうことをしていないということでしょう。そして、これは現在の私たち日本人のあり方の結果であって、それが学校という場で悪く現れているという言い方もできると思います。

話をする、あるいは書き言葉を交わして意思疎通を行う、つまりコミュニケーションには、相互の立場性が深く係わります。支配・被支配といった関係では一方通行の命令的な言葉が主役でしょうし、対等な関係では双方向の言葉が中心となるに違いありません。交わされる言葉の内容も立場性に規定されるでしょう。・・・そのように考えると、私たちの身近にも、「この人とは必要最小限のこと以外は話したくないなあ」と感じる人もいれば、逆に「お願いしてでもお話ししたいなあ」という人もいます。この違いは大きいと思います。

もうひとつは、心が育つということとコミュニケーションの能力は表裏一体で、コミュニケーション能力は「訓練」、つまり根拠と計画性のある練習によって伸ばすことができるということです。これまでこの日記で何度も触れてきたトリン・フォー・トリンのプログラムなども、相手と自分の違いを認めて、それぞれ表現する練習をしていくところに核心があります。

核家族の増加、塾や習い事に追いまくられて子どもたち同士が自由に遊ぶ時間も場もない状況、親たちは仕事や家事に忙しく、教師たちですらゆっくり子どもと向きあわない・・・こんな状況で、子どもたちの心がどのように「育つ」というのか、果たしてひとりひとりの子どもたちの心がどうなっているのかすら「わからない」というのが実際ではないでしょうか。本当に大変な時代になってきたものです。

月曜日, 9月 11, 2006

昆虫写真家としてデビュー

・・・というのは冗談ですが、昨日の柳橋保育園のバザーで、あるパパから「自分で創りあげたビオトープで(虫たちの)写真を撮るというのは、ほんとうに楽しいでしょうね」みたいに言われ、妙に納得しております。確かに、「子どもたちのため・・・」などといいながら、実は自分で楽しんでいます。これはこれでいいのでしょう。
【写真】オオシオカラトンボ(2006.9.10 どんどこ池で)

バザーは、(とても暑かったけれども)天候にも恵まれ、例年にもまして盛況でした。太郎と同級の子どもたちも10人以上顔をみかけました。中には卒園以来という子もいて、その成長ぶりにビックリ。太郎を連れて行かなかったのが悔やまれました。

園外から来ている子どもたちに「ザリガニ釣りをしてみたい」という声があるとのことで、1回10円でやらせてみました。ちゃんと釣れたのは写真の1匹だけでしたが、延べ20名ほどの子どもたちがザリガニ釣りに熱中。バザーでザリガニ釣りがいいのかどうかという話はあるかと思いますが、この他にも、輪投げや「トレビの泉(水槽の底の容器に10円玉をうまく入れると賞品がもらえる)」もあり、園庭には、レトロな子どもの遊びが並ぶことになりました。まあ、レトロといえば、この園のバザー全体がとってもレトロな雰囲気です。

【写真】この日の唯一の「釣果」(2006.9.10 どんどこ池で)

・・・ということで、昨日は、子どもたちの釣りざおに餌のサキイカをつけてやりながら、なんとなく釣り堀のオヤジにでもなったような不思議な気分でした!

土曜日, 9月 09, 2006

太刀魚

ご近所の方が静岡のほうに釣りに行き、大漁とのことで、太刀魚を頂きました。珍しいものが好きな太郎くん、さっそく図鑑で太刀魚を探しあてると、今度は絵を描き始めました。

今日は、いつもの仲間と柳橋保育園でザリガニ釣りをした太郎くん、大小8匹のザリガニを釣り上げました。その間、たろパパはジャブジャブ池の掃除に汗を流し、ダイエットにかなり効果がありました(ような気もします)。太郎くんは、保育園に行く時、途中で少し大きめのカマキリをみつけて持ち帰りゴキゲンです。

うーん、なかなかの力作(?)のようです。この絵を描いている時、地球温暖化問題のテレビをやっていましたが、太郎くんが言うには、「(温暖化で気候変動が大きくなる)100年後まで、どうぞ(僕が)生きていませんように・・・」だそうです。たろパパが、「そんな情けないこと言うなよ、僕が地球温暖化を止めてやる、くらい言ったらどうだ?」と突っ込むと、「温暖化は止められない、無理・・・」とクールな対応です。うーん、結構、悲しい感じの会話になってしまいました。

金曜日, 9月 08, 2006

柳橋保育園のバザー

9月10日(日)、柳橋保育園恒例のバザーが開かれます。夏休み明けの大きなイベントで、準備をする保護者家庭や保育士の皆さんのご苦労も大変なものですが、掘り出し物がたくさんあるという評判で、毎年、大勢の方が詰めかけます。ご都合のあう皆さま、どうぞお出でくださいますようご案内申し上げます(午前9時30分から。なお、車での来場はできません)。

【写真】「どんどこ池の花と生きもの」(ハガキ 2006.9.8)


去年の秋、「どんどこ池の四季」と名づけて6枚組のハガキセットを頒布しました。それなりの評判を得たのですが、今年は時間に余裕がなく、この写真のハガキだけ50枚ほど印刷してみました。表には、どんどこ会のネットワーク(掲示板)を「はてな」のグループに移行しましょうという呼びかけを入れました。これもバザーで配りたいと思っています。

木曜日, 9月 07, 2006

金魚玉

昨日の日記「秋きぬと・・・」で引用した蕪村の句に出てくる「硝子(びいどろ)の魚(いを)」は、どうも金魚玉ではないかと気づきました。私は金魚玉を見たことも聞いたこともありませんでしたが、NHKの番組『美の壺』などによると、江戸時代に風鈴職人がつくり始めたものとのこと。ビニール袋が普及するまでの間、縁日で買った金魚はこの金魚玉に入れて持ち帰ったとのことです。そもそも金魚をつくりだしてこれを楽しんだり、・・・こういうのは「菊と刀」の「菊」ですね。でも、江戸の庶民は、金魚玉で持ち帰った金魚を桶や鉢などに放つほかに、そのまま吊しても楽しんだのでしょうか。蕪村の句は、軒先に吊したまま少しのあいだ忘れていた金魚が、秋の風の音に驚いているというイメージとみえます。

【写真】NHKの番組『美の壺』File11「金魚」で「江戸の風流の極み」と紹介されている「釣りしのぶ」と金魚玉のコンビネーション

さて、今日は肝生検の腹腔鏡検査(手術)からちょうど1週間で、夕方から抜糸に行く予定です。だんだんわかってきましたが、B型肝炎ウィルスというのもなかなかやっかいな相手のようです。そもそも肝炎というのは、ウィルスに取りつかれた肝臓細胞が、ウィルスを排除しようとする免疫機能の攻撃で細胞ごと一緒に破壊されてしまうこと、だそうです。もうちょっと丁寧にウィルスだけを取り除くようにはできないのですかね!

火曜日, 9月 05, 2006

秋きぬと・・・

硝子(びいどろ)の魚(いを)おどろきぬ今朝の秋(与謝蕪村)
この蕪村の句は、千人万首で藤原敏行による「秋きぬと・・・」の【主な派生詩歌】として挙げられています。この「魚」はたぶん川魚だろうと思いますが、私は伊豆の海でみた砂色をしたナイフのような魚影を思い出しました。・・・朝夕はだいぶ涼しくなってきたようです。

【写真】稲穂が出揃いました(2006.8.30)

昨日の「小学生の校内暴力」にNYパパからコメントを頂きました。ありがとうございました。そのお返事にも書きましたが、学校の基盤となる文化あるいは社会の原理が、日米では基本的に異なるのですね。例えばアメリカで地域に病院がほしいとすれば、ボランティアのグループが寄附を募って設立の呼びかけをするところから始まります。大学などもそうでしょう。公立の小中学校も、地域社会に支えられているのであって、けっして日本のように、国や行政が、施設も財政も丸抱えでつくるものではないのだろうと思います。

肝生検の手術から間もなく一週間になります。お腹の3つの穴もだいたい塞がり、ほとんど違和感もなくなってきました。改めてB型肝炎について、雑誌の記事などを読んでいます。読むほどに恐くなってきますが、このウィルスと、いずれ長いつきあいが始まりそうです。

アゲハなど蝶の飼育プロジェクトを準備しています。たくさんの子どもたちに、蝶が卵から幼虫・サナギへ、そして美しい蝶になるようすを身近でみる体験をしてほしいと思っています。これについては、改めて書きたいと思います。今週末(10日)には柳橋保育園のバザーがあり、楽しみにしています。・・・ご近所の皆さま、一緒に行きませんか?

月曜日, 9月 04, 2006

小学生の校内暴力

【写真】大バッタを狙うカマキリ。獲物が大きすぎ、手出しをあきらめた(2006.9.2)

9月1日の朝日新聞(第2東京)によると、昨年度の小学生の校内暴力が前年の1.7倍の60件に増加したとあります。
「オレばっかりじゃねー」。7月、多摩地区の小学校で2年生を担任する女性教諭が、おしゃべりしている男子の1人に注意すると、いきなり暴れ出した。抱いて落ち着かせようとしたが、腕をかまれ、歯形が残って内出血をした。「反抗というより、感情を爆発させるという感じ。幼さゆえだと思う」(記事より)
太郎も、家ではこんな感じでキレて私にぶつかってくることも少なくなく、状景が目に浮かびます。まったくのところ、この年齢の子どもたちを40人も相手にしている先生たちのご苦労は計り知れません。

記事は、教師が学力向上に駆り立てられて余裕をなくしていること、担任と子どもの関係がこじれることが「荒れる」きっかけになりやすいことなどを指摘しています。確かに、そうした面があるでしょう。しかしながら、この記事でひとつ抜けている視点は、教師と親の連携ではないかと思います。自分自身の反省をこめて書きますが、自分の子が通う学校の具体的な状況について、実際のところ、よくわかりません。太郎が1年生の時の公開授業を見に行きましたが、それだけで実状はわかりません。せいぜい学期ごと(?)の担任との面談の結果を妻から聞くだけになります。

親たちにしても、仕事や家事に忙しく、とくに問題でも生じなければ、学校のことは基本的に先生任せにしがちな方が多いのではないでしょうか。他方、先生たちの側でも、父母の力を借りたいと思う場面はあるにしろ、必ずしも親たちと緊密な連携をつくりたいと望んでいる訳ではないだろうと思います。小学校のクラスというのは、いわば「担任を権力者とする閉じられた系」で、学校と先生たちご自身が相当な意識改革に努めない限り、この小宇宙への父母側の「介入」を招きかねない緊密なコミュニケーションは避けたいというのが本音ではないか、と感じます。

例えば先日紹介した「五者面談」、あるいは教育方針、授業内容についての担任と父母の定期的話し合い、・・・教師と父母がいつも連携していて、その基本的な考え方や態度が一致していることを子どもたちが理解すれば、子どもたちの行動も大きく変わることは間違いありません。・・・でも、そうなるには、この日本では非常に長い年月が必要になるように思います。日本の先生たちの腰は石臼より重い、・・・これが私の誤解であればいいのですが。

日曜日, 9月 03, 2006

思ったより苦しかった腹腔鏡の検査


【写真】朝のラジオ体操(2006.8.30)

3泊4日の検査入院が終わり、昨日の午前、無事退院しました。腹腔鏡による肝生検(肝臓の一部を採取)は、想像していたよりキツかった! 局所麻酔で5ミリ大の穴が2個、10ミリ大の穴が1個。「肝組織を採る時には息を止めてグッと我慢していただきます」という先生の説明どおりではあるのですが、腹の中に炭酸ガスが詰め込まれている時の苦しさが何とも言えない。時間は穴あけから採取、縫合まで15分から20分ほどで短いのですが、もう一度やると言われたら、きっと躊躇するように思います。最近は炭酸ガスを使わない「釣り上げ式」による腹腔鏡検査も普及してきたようです。たぶん、こちらの方が患者の負担は少ないように思われます。

検査は大変でしたが、病室での入院生活はいたって快適でした。食事のメニューが超シンプルでしたが、これも肝臓食と思えば我慢できないことはない。4人部屋で、私など病気の内にも入らないほど大変そうな方々ばかりで、3泊で退院してしまうのが申し訳ないような気がしました。入院・検査の総費用は15万円ほど、本人3割負担で5万円弱を支払いました。B型肝炎の臨床面での研究はまだまだ途上のようです。今回はインターフェロンを使わない方針で行くそうですが、これからまた長い治療が始まります。以上、簡単ですが、ご報告まで。