水曜日, 12月 31, 2008

たろパパ、大晦日にボラを3匹釣ること

なにやら『今昔物語』風のタイトルだけれども、昨日(30日)から三浦半島・湘南に釣りに出かけた。昨日は暖かく、午後に強くなりかけた風も夕方には収まり、今日は今日で穏やかな釣り日和となった。


この夕陽が今年最後・・・(31日、久留和漁港)



昨日はこの一年よく通った「黒崎の鼻」へ。昼すぎ、だんだん風が出てきて波も荒くなってきた。わずかに手のひらサイズのウミタナゴのみで撤退。ビーチバムさんで今年最後のランチを頂いた。そして、昨晩は、急遽、平塚の姉の家に泊めてもらった。・・・釣り宿代わりにしてしまい、本当に申し訳ない! でも、久しぶりの四方山話が楽しかった。

今日は大磯漁港から江ノ島の磯、そして葉山の少し先にある久留和漁港へ。結局、この日釣れたのはボラ(イナ?)、ボラの幼魚(イナッコ?、スバシリ?)の3匹のみだった。この季節、ボラは脂がのり、刺身は濃厚な味わいがする。

今日は富士がよくみえた(31日夕刻、久留和漁港から)



ボラのウロコは落ちやすいが、イナセの語源というとおり、姿は美しい


ボラは出世魚とか・・・。大晦日に大中小のボラを釣るのは縁起がよい、と勝手に思う。この秋以来の経済の崩壊、ガザの空爆による大量殺戮、・・・暗いニュースばかりが飛び交う時代。何とかこの時代そのものが変わるように・・・、本当の「チェンジ」が到来するように。



チェンジ アンド スマイル、・・・ちょっと唐突な書き方だが、これが「新年のスタンス」ではないだろうか

日曜日, 12月 07, 2008

葡萄、ブドウ、ぶどう

今年のこの「日記」は今日で5回目、・・・これでは日記ではなく、月記でもなく、季刊になってしまう。回数からみれば、今年は最少の年、ブログの運命は「風前のともし火」といってもよい。

孔子様は四十を不惑としたけれども、僕は五十をいくつか過ぎてもまだ迷ってばかりだ。

太郎は小学4年。邪気がなさすぎと感じられることも多く、年齢の割りに幼いとも思う。
【父子の会話】
父 (太郎が感心にも机で勉強しているのをみて)うん、頑張ってるねえ。でもパパが子どもの頃は家で勉強したことなかったなあ。学校で授業を一生懸命聞いてるだけでオール5だったね!(と自慢したが・・・)
太郎 それで普通のサラリーマンか・・・


どうもこの絵柄には「お手本」があるらしい・・・


先日、母方の叔父が逝った。強い個性の人で、私などにも折に触れて声を掛けてくれた。卆寿を越えた大往生だが、とりたてての葬儀はせず、遺志どおりの家族葬だという。時代は、家族のあり方、終末の迎え方、墓の持ち方、・・・それぞれに大きな変化のただ中にある。

私の両親もまた仙台で、今にも折れそうになる細枝が二本、支えあうように暮らしている。もういつ何があってもおかしくない、・・・そういう覚悟はあっても、いざそうなれば、あれを聞いておくんだった、これを聞いておくんだったと、後悔が重なることもまた間違いない。


「黒崎の鼻」の磯(2008年11月)


今年、勤務先の三年ごしの経営難はようやく終わりがみえてきた。あまりに深かった「谷」の負債を背負いながらも、徐々に状況は好転しつつある。自分についても、よくも倒れずここまで踏ん張り抜いたと静かな自信を感じながら振り返っている。

2008年の師走。後で振り返れば、結構大きな人生の節目の年ということになるかもしれない・・・

月曜日, 11月 03, 2008

鳥の死

今日、出勤してみると、席の外のベランダに鳥の死骸が落ちていた。ムクドリだろうか、・・・ちょっと違う気もする。イマドキは(鳥インフルが怖く)鳥の死骸にうっかり触ることもできない。でも、雀やシジュウカラ、逃げ出したインコなど、普段見かける鳥たちはどこで死ぬのだろう? 普段見かける鳥たちの数に対して見かける死骸が少ないのはなぜだろう?


夜、母親が太郎に算数を教えている。・・・が、どうも太郎はイヤイヤで興がのらない。母も強情、太郎も強情、互いのやりとりがだんだんトガってくる。母親の努力が空回りしているようだ。私はそばでみながら、算数ぎらいをまたひとりつくらなければよいがと案じる。


昨日も「黒崎の鼻」にひとり釣行となった。ご近所や太郎の保育園時代の皆さんを誘ったが、残念ながらどなたも都合がつかず。トナリのシュウシュウはすごく行きたかったのに、朝になってみるとたろパパの車がなく、ワンワン泣いたとのこと、・・・シュウシュウ、ごめんなさい。「鼻」はやや波が高かったが、先のほうで25センチクラスのチンチン(クロダイ)を上げている方もいた。

勤務先の経営危機はまだまだ安心できないけれども、少し落ち着いてきた。このブログ、以前のようにはいかないだろうが、また少しずつ書いていきたいと思う。

土曜日, 8月 16, 2008

残暑お見舞い申し上げます

皆さまにはすっかりご無沙汰してしまいました・・・



太郎は元気に「10年目の夏」を過ごしております
残暑見舞いのお返しに使いたいと思い、写真のハガキを欲しいと頼んだら、「それは一番よく描けたものだからダメ」と断られてしまいました、・・・実は私もこの一枚の色づかいがよいと目をつけていたのです

太郎については気がかりなこともあります、・・・これについてはまたいずれ改めて書きたいと思います。明恵上人が「我すでに老いたり」と記した年頃、少年としての完成期にさしかかった太郎にも「嵐の時代」はまもなくやってくるでしょう。ロクな親でもありませんが、よくよく心していきたいと思います。

今年は3年に1度の介護保険計画見直しの年でもあり、この盆の最中ですらまったく休みもとれません。皆さまにはさまざま欠義をし、ご迷惑もお掛けしています。いま暫しのご猶予、お許しを頂きたくお願い致します。

日曜日, 3月 23, 2008

想像の魚

【絵】想像のさかな、・・・だそうです(2008.3.23)

3学期が終わり、太郎が学校で描いた絵を持ち帰ってきた。色づかいがよいと思ったので、太郎に「許し」を得て(彼はこういうことに結構ウルさい、・・・誰に似たかな)、仙台のおばあちゃんに送った。この仙台の(私の)母が急に痔の手術をすることになり、忙しいためお見舞い代わり、という意味もあった。ついでに勤め先のPCのデスクトップの背景に入れたが、色づかいが強すぎて「ちょっと疲れる」感じもする。これまでのペリカンの方がまだ落ち着いていてよかったかなあ・・・


この1月末以来、土日休日を含めて1日も休めない繁忙が来た。仕舞には某特例市の高齢福祉課の連中と激しいバトルになってしまい、食事ができない(食べ物を受け付けない)、連続下痢状態になった。自身の「怒りの感情」が、これほど強く身体に影響することに、改めて驚いた。このあたりはコンサル業務の宿命かとも思うが、そういって納得ばかりもしていられない。今もまだ数時間単位で気の抜けない過程が続いている。


年度末の繁忙が来たのも数年ぶりだが、今年はいくつか心から興味をもつことができるプロジェクトに係わることができたことがうれしい。まだ、余裕をもって振り返る段階ではないけれども、いろいろなところで応援して頂いた皆さんに、心より感謝したいと思っている。・・・とりあえず、報告と更新停滞のお詫び(言い訳?)に代えて書いておきます。・・・と、それにしても「釣り」に行きたいなあ・・・



土曜日, 1月 26, 2008

福田さんは世界の指導者にはなれない・・・

今晩のTVで、ダボス会議での福田首相の演説が流されていたが、「ああ、これはいけないなあ」と、そのつまらなさ、内容の薄さにすぐチャンネルを切り替えた。草稿は誰が書いたのだろう、首相ご自身か官僚の手助けがあったのか、・・・いずれにしろ、緊張感のない、人を惹きつける工夫のない言葉の続きように、私は聞く気を失った。確か、昨年暮れの温家宝中国首相の演説だったか、中国語もまたできない私にはまったく聞き取れないながら、一語一語に意を込めて両国民に語りかけるかの態度に、さすがに言葉の大国の政治家と感心したことが頭をよぎった。

言葉は政治家の最大の道具ではないのか。もちろん政治家だけではないだろう、社会というものをつくって生きていく人間一般(!)にとって、言葉以上に重要な生活の要素を探すことは簡単ではない。内容の薄い言葉をタレ流すかのような政治家は、実は何事かをなそうとしていないのではないかという疑念を抱かせる。あの演説の調子から、福田首相が地球温暖化に真剣な危機感をもっていると信じられるだろうか。・・・あるいは、洞爺湖サミットを自身がホストの立場でリードすることをどこか信じていないのではないか。そんな「憶測」すら生みかねない演説だった。

【写真】樹氷のライトアップ(2008.1.3 蔵王、地蔵岳山頂)

今年初めての記事となりました。本年もよろしくお願いします。