金曜日, 6月 30, 2006

大物ハゼくんが死んでしまった!

今朝、サッパくんたち10数匹をたいらげ、あまりの大食漢ぶりに小水槽に移されていた大物ハゼくんが息絶えているのが見つかりました。一緒に小水槽のカラス貝のひとつも死んでいるのがわかりました。生きものはいつか必ず死ぬということはわかっていても、やはり悲しいことです。
【写真】家の中に迷いこんできたカメムシ(2006.6.24)

玄関の前のポンポコ池でも、毎日、移植したメダカが少しずつ死んでおり、最初10数匹だったものが数匹まで減ってしまいました。やはり水道水の塩素がよくない(「ソーメン流し浄水器」が機能していない)のか、元々、リビングの水槽でダメージがあったことが原因なのか、よくわかりません。魚などの水質の管理は難しいものです。逆に意外に元気なのが、海水槽のウニとカニです。ウニはあまり動くイメージがありませんが、数分で60センチ水槽の半分くらい動いてしまうこともあります。サッパくんたちも、さらに1匹がカニに襲われたようで、残り5匹となってしまいましたが、元気に泳ぎ回っています。

ところで、数日前、JANJANの『今週の本棚』欄に応募して、今度、『森のゆくえ』(浜田久美子著)という本の感想文を書くことになってしまいました。少し気合いを入れて書いてみようと思います。どうぞご期待ください!(笑)

【写真】元気なカニ(2006.6.21)

木曜日, 6月 29, 2006

化学物質について

昨晩、放映されたNHK「ためしてガッテン」であらためて環境ホルモンが取りあげられていた。影響を「否定」する環境省の発表によりマスコミなどの言及が少なくなっていたが、人体への悪影響を心配する専門家の研究は広く進められているらしい。・・・やはり、そうか、という感じだった。
【写真】大きく育った稲(2006.6.29 ポンポコ池で)

この番組があったからではないが、数日前からレイチェル・カーソン『沈黙の春(SilentSpring)』を読み始めている。環境保護運動の「聖典」ともいうべき書だと思うが、こうした警鐘を無視するように、この社会は化学物質の開発製造と使用を拡大してきた。僕らの生活は、将来の人間の種としての存続を危うくするような化学物質の使用を前提としているのだろう。

ふと思いついて、家にある虫よけスプレーの成分表示をみると「ディート」とあった。渡部和男さんという方のホームページ「環境汚染問題 私たちと子どもたちの未来のために」によれば、これは戦後米軍が開発した薬剤で、解説に次のようなサマリーがついている。
ディート(ジエチルトルアミド)は安全であると一般に信じられているが、重度の神経障害や皮膚炎などを起こすことが知られている。直接皮膚に使用する薬物であるので、製品の注意書きを守ることや、着衣の下に使用しないなどの注意が必要である。湾岸戦争症候群の原因物質の一つとしてディートは疑われており、ディートは他の農薬などと同時に使用すると、単独の化学物質が起こすより、重度の神経障害を招くことが知られている。ディートを使用する場合、他の薬物に被ばくしない注意が必要である。カナダでは厳しく規制することになった。
・・・なんだ、危ないじゃないか!という感じだ。子どもたちと野外活動をする場合、虫よけスプレーは「必需品」である。最近、虫よけスプレーには「天然成分のみ」といったものもあるようだが、実際にはディートを主成分とする製品が多く利用されているのだろう。

僕らの生活の周りから蚊をはじめとする虫がいなくなり、日本脳炎にかかる子もほとんどいなくなった。家の周りの水路は蓋がついた排水路に変わり、どじょうもとれなくなり、トンボや蝶も減った。こうした「健康な生活」を支えているのが何万種類という化学物質だとしたら、それは人間の浅知恵というものではないだろうか。・・・僕らはなんという世界をつくりだしてしまったものか。

【写真】ゴマフカミキリ(?)(2006.6.29 ポンポコ池で)

火曜日, 6月 27, 2006

これが「ソーメン流し」水路

この写真の左のほうにみえるのが話題の竹製浄水器・・・通称「ソーメン流し」です! 立川の加藤竹材籠店さんで7センチ径の竹を買いました。3メートルのものを4本、途中で折り返し、この中を水道水がチョロチョロと流れています。去年はホースで直接注水していたのですが、メダカなどを飼うためには塩素をもっととばさないといけないのではないかという発想です。これも写真にみえるバケツの中には浄水用の炭が投入されており、最後にこのバケツから池に流れこむ仕掛けです。
【写真】ポンポコ池と通称「ソーメン流し」(2006.6.27)

ポンポコ池には2日前の夜、リビングの水槽からクロメダカを移しました。熱帯魚センターで買ってきたメダカはほとんど死んでしまいましたが、この冬越しした(去年、野川などでとってきた)クロメダカたちは今朝も元気に泳ぎ回っています。ここで産卵して、何とか殖えてほしいものと思います。また、上の写真にみえるように、イネは約30センチ近くに育ち(バケツの手前)、ミニ睡蓮も3つの花が咲きました(開花はお昼前後のみ)。

【写真】ポンポコ池のクロメダカ(2006.6.27)

日曜日, 6月 25, 2006

太郎を平手で叩いてしまった

とくにどこに出かけるでもない曇天の日曜日、ご近所の方がアゲハの幼虫をもってきてくださったため、パソコンでゲームをやっていた太郎たちを無理やり止めさせたのが原因で大喧嘩になりました。太郎が夢中になって蹴ったりなぐったりしてきたので、「うるさい!」「もうやめろ!」と、太郎の頬を平手で叩いてしまいました。太郎はワンワン泣きながら「パパは出て行け!」「家に帰ってくるな!」とわめきちらします。

昨日、立川まで竹を買いに行きました。半割りにした竹を雨どいのように使い、ポンポコ池に水を流し込む水路をつくりました。ねらいは水道水の塩素対策です。3メートルほどの竹を4本使いました。一方、リビングの水槽では先日、熱帯魚センターで買ってきたメダカが数日来どんどん死んでいます。このため、夜になりポンポコ池の水が安定した頃をみて、生き残った水槽のメダカを10数匹(ほとんどが冬越しした野川などのメダカ)をポンポコ池に移しました。ここで卵を産み繁殖してくれるといいのですが。

【写真】虫取り隊が行く(2006.6.17 小金井公園)

昨日の「植物地図づくり」で紹介した柳橋保育園・どんどこ池のトンボなどの写真に、どんどこ会のリーダーである「オオモちゃん」こと大森さんから以下のようなコメントを頂きましたのでご紹介します。

(以下、大森さんの電子メールから)
(1)オオシオカラトンボ・・・・胴体が、塩辛が塩を吹いたように白くなっているのでシオカラトンボ。ブログの写真は、シオカラトンボより体がしっかりしていて、腹部の先が黒いのでこれは「オオシオカラトンボ」です。
(2)シロテンハナムグリ・・・・・成虫のえさは、名前と違い樹液です。カブトムシ、カナブン、スズメバチなどと同じ、クヌギの樹液に群がる姿がよく見られます。
(3)ボタンクサギ(牡丹臭木)・・・・ボタンクサギは、別名「ヒマラヤクサギ」、「ベニバナクサギ」といい、中国原産、樹高1mあまりの落葉低木です。枝先に集散花序を出し、赤紫色の花を多数つけます。葉に触ってみると、臭いにおいがします。クサギという樹木とまったく同じ匂いです。勿論、クサギとボタンクサギとは、葉も花も違いますが。花は、ガクアジサイの中央部の両性花と同じように小さな赤紫色の花がかたまって咲きます。これが遠くから見るとボタンのように見えるのでしょう。花はまったく違いますが。したがって臭い木でボタンの花のように見えるので、この名がある(と思われます)。ビオトープの水源(湧き口)の石を積んだところに、たくさん枝を伸ばしてきています。

土曜日, 6月 24, 2006

植物地図づくり

今日は梅雨の合間の晴れで、雲が多いものの野外作業にほど良い天気となりました。ちょうど柳橋保育園・どんどこ会の園庭作業日にあたり、少人数でしたが、昆虫ネット張りの仕上げやジャブジャブ池の清掃作業を行いました。子どもたちはザリガニ釣りとパパやママたちのお手伝いをしました。どんどこ池の真ん中には(たぶんこの池で羽化した)オオシオカラトンボと思われるトンボが止まっているのをみることができました。
【写真】オオシオカラトンボ(?)(2006.6.24 どんどこ池で)


先日、たろパパは「むさしの自然観察園」でビオトープ管理について指導を頂きましたが、その点を含めていろいろと話し合いがされました。その結果、保育士や保護者の皆さんが動植物に関心をもつためにも、まず園庭の植物について調べ、リストにしてみる、地図にしてみるといった作業に取り組もうという話になってきました。
話は変わりますが、どんどこ池には大きなカリンの木があります。カリンの花はもう終わりましたが、今日、その後にでき始めた実にカナブンがたくさん飛んできていました。図鑑でみるとどうもシロテンハナムグリに似ています。
【写真】シロテンハナムグリ(?)(2006.6.24 どんどこ池で)


どんどこ池の水源に近い位置にこの写真の花が咲いています。ゆっくり種類を調べている時間もありませんので名前を書くことができません。池の中や周りには数十種類の植物があります。年間を通じてみると恐らく100種類以上になるのではないでしょうか。園庭全体の植物の種類は、どれくらいになるかわかりません。みんなで協力しながら植物の状態を調べ、リストにしたり地図に描いたりしたいと思います。
【写真】これはなんという花でしょう?(2006.6.24 どんどこ池で)

金曜日, 6月 23, 2006

田原本町の放火事件

今週はじめ、奈良県田原本町で医師宅が全焼、母子3人が亡くなるという事件がおきました。これもまた、思春期にある若者が引き起こした事件です。こうした少年を簡単に類型化したり、一部の記事などをみただけで判断するのは賢明ではないかもしれませんが、あえて私なりの見方をまとめてみたいと思います。

この一家は、父親が医師、息子は優等生という点などをみると、やはり進路などを巡って父親があまりにも強く子に対して介入しことが直接の「暴発」のきっかけのように見受けられます。少年には恐らく自分自身の心の闇がみえていないのではないでしょうか。少年が放火した時、父親が不在だったことは偶然ではないように思われます。母親や弟妹を狙ったということではないにしろ、父親にとって何よりも大切な家庭を破壊することを通じて「復讐」を果たしたいといったニュアンスを感じます。

中学から高校の時期は、河合隼雄先生が何度も書いているとおり、子どもから大人への生まれ変わりの時期、象徴的にいえば「死と再生」の時期だと思います。子どもたちが出生以来初めて「存在の危機」に遭遇する時期だということでしょう。誰しも周囲の大人に心を閉ざし、依存と反発を繰り返しながら成長していきます。大事なことですが、この時期に、何をつかみ、どう生きていくかを決めるのは本人にしかできないということです。

しかし、この田原本町の少年の場合、ある面で父親が敷いたレールにのることで、自分自身が決めるべき困難を「回避」したとは言えないでしょうか。父親もまた、あまりにも厳格に息子に「医師になれ」という自分の願いを強いたのではないでしょうか。難しいことではあるけれども、進路に迷う少年に「自分の生きたいように生きなさい、決められなければゆっくり考えればいいよ」と寄り添う親であったら、まずこんなことにはならなかったろうと思います。

・・・親子、家族、家庭をめぐる事件が次から次に起こります。事件はひとつひとつ異なることはあきらかですが、この事件は私にこのようにみえました。

【写真】サッパくんたちが「最後の6匹」になってしまい、ついに大物ハゼを隣の小水槽に移した(2006.6.21)





【写真】メダカの餌なんか食えるか!と、砂を噛むような思いでサッパくんたちの水槽を睨んでいるようにもみえる(2006.6.21)









【写真】カニ・ウニ・ヤドカリ。今日のウニは小石を4つブローチのように身につけている(2006.6.21)

火曜日, 6月 20, 2006

梅雨の合い間に

昨日と今日の東京は梅雨の合間、蒸し暑い曇り空です。私、3月の健診で肝臓が要精密検査となり、今日、受診します。・・・というか、現在、呼び出し待ちの状態で勤務先に着席しています。武蔵野赤十字病院では、施設の整備に合わせて受診フローを見直したようです。昨日、電話を入れて「火曜日あたりは比較的受診者が少ない」と聞き、今朝8時半過ぎに受付に行ってみました。紹介状の窓口は行列もなく、数分で受け付け処理をしてもらいましたが、呼び出しのための待機開始が正午からということで、実に3時間20分もの空き時間が生じました。呼び出しのポケベルを渡されましたが、いくら病院内にいればよいということでも3時間以上をどう過ごせというのでしょうか。

【写真】柳橋保育園のどんどこ池。ザリガニが多く棲みついてしまい、ビオトープという観点からはあまり好ましくない状態になっている(2006.6.3)

私の場合、勤務先まで30分ほどですので、こうして仕事をすることもできますが、なぜ予約制にできないのかが疑問です。初診だからなのか、次回以降もこのように半日以上を通院に要するのかわかりませんが、いずれにしろこういうシステムは止めてほしいものです。武蔵野赤十字病院の医療技術は評価が高いと聞きますし、この間、組織のイノベーションにも努めているという印象をもっておりますが、せっかく導入した新しい受診システムがこのような状況ではやはり困ります。総合病院が置かれている矛盾が、新しい受診システムでかえってはっきりしてしまったといったことになるのでしょう。・・・さて、それではそろそろ参りましょうか。

・・・はい、行って参りました!
さんざん待たされた甲斐あって(?)、実際の診療、検査などはきわめて満足のいくものでした。とは言え、正午に待機に入ってから呼び出しのポケベルが鳴るまで25分、実際に診察が始まったのがさらに25分後の零時50分でした。実に受付をした午前8時30分から計算すると4時間20分かかっています。これだけ待たされるのは初診の時だけで、次回からはそれほどでもないようですが、それにしてもちょっと・・・という感じではあります。

説明書によると、武蔵野赤十字病院はこの5月から「地域医療支援病院」となり、救急を別として、紹介患者、予約患者優先の外来診療になったとのことです。確かに以前のように通院の度に2時間以上待たされてから慌ただしく診療という状況は改善されたように見えました。今回のような初診時の長時間待機といった点など、具体的な点ではいろいろ改善が必要とは思われるものの、大都市部の基幹となる医療施設として前向きな取り組みに期待したいと思います。

私が受診した消化器科も肝炎に強い先生が指導されているというお話しで、私自身の治療という点でも期待しております。この間の経緯からすると、どうも私の肝臓はしっかり調べて(肝生検)治療する必要があるとのことでした。こうした先生のお話もわかりやすく納得がいきました。結局、診察が約20分、続いて採血が約10分、支払いに約10分ということで、午後1時半過ぎに病院を出ることができました。私の肝臓の正確な状態は・・・もちろん、まだわかりません。

日曜日, 6月 18, 2006

むさしの自然観察園

昨日、ご近所の子どもたちと「むさしの自然観察園」に行ったときのようすをお知らせします。ここは武蔵野市の施設で、NPO法人「武蔵野自然塾」が運営しています。園内には、管理棟、魚や水生植物の池、蝶やホタルなどの育成ケージなどがあり、子どもたちの自然観察教育をはじめ、たくさんの活動の拠点となっています。
【写真】管理棟の昆虫標本(2006.6.17)




この日は、来年にむけてホタルを産卵させているところを見せて頂きました。このボールの中にたくさんのホタルの卵があります。
【写真】ボールの中には卵を産みつけるための水草、成虫の餌と思われるゼリーなどがみえる(2006.6.17)



ケージの中は蝶やトンボの天国みたいです。ここでは、天敵である鳥や蜂が入ってきませんので、蝶など産みつけられた卵の多くが羽化します。・・・普通の野外では、アゲハチョウの幼虫の95%はアシナガバチの産卵用になったり鳥に捕食されたりして羽化できないと聞いたことがあります。
【写真】イトトンボの仲間のようだ(2006.6.17)

先日、たろパパがひとりで訪れた時にはジャコウアゲハの幼虫がたくさん見られましたが、この日はキアゲハの幼虫を多く見つけました。少しずつ季節が移り変わっていくわけですね。
【写真】クロアゲハ(2006.6.17)





ホタルを飼育しているケージ内の池でトンボも育っているようです。この写真のトンボはどういう種類か、たろパパにはわかりません。アキアカネのメスでしょうか。
【写真】トンボの仲間(2006.6.17)





この写真は、セリ系の植物にとまるキアゲハの幼虫です。もようが美しいですね。食草と蝶の種類の関係について、たろパパはもっとよく勉強しなければなりません。
【写真】キアゲハの幼虫(2006.6.17)





この施設での今年のホタルの観察会はすでに終わっていますが、無数のホタルが文字通り乱舞するようすにたくさんの親子が大歓声をあげたとお聞きしました。なお、この写真でホタルが指にとまっていますが、この施設は昆虫などの繁殖を目指していますので、虫などを捕まえることはできません。この点、どうぞご協力くださいますようお願いします。
【写真】ホタルの成虫(2006.6.17)

野外の池とその周りにはアサザなど水生植物があります。また、カブトムシなどの養育堆肥場、日本ミツバチの巣などもあります。昨日の太郎たちは、蝶などを捕りたいのに捕れないということで不満を爆発させていましたが、この施設は子どもたち向けの自然体験施設であるとともに、ある意味ではそれ以上に、大人たちが自然観察教育について考え、取り組みを進めるために情報交換していく場であるだろう、というのが私の感想です。武蔵野自然塾の皆様、ありがとうございました。今後もよろしくお願い致します。
【写真】アサザ(2006.6.17)

土曜日, 6月 17, 2006

桑の実

今日は近所の子どもたちと「むさしの自然観察園」に行ってきました。「行ってきました」と簡単に書きましたが、これがまた大変。太郎を含めて小学校1年から3年生までの男の子たちをひとつの行動に参加させるのは、もう本当に一仕事です。そもそも自然観察園なんていう学校の延長みたいな名前のところに行って虫取りができる訳でもないだろう・・・なんて、子どもたちは行ってみもしないで猛烈に抵抗しました。
【写真】小金井公園の桑の実(2006.6.17)

・・・で、自然観察園の次には小金井公園で虫取りするから行こうと、強く誘ってようやく出発。行ってしまえば、自然観察園でゲンジボタルを手にとってみたり、蝶の幼虫に夢中になったりでした。ただし、昆虫をとってはいけないという点に大きな不満が残ったようです。続いて、今度は子どもたち自身に相談させて小金井公園に虫取りに行くことにしました。ここでは桑の実を集めているご夫婦に教えて頂き、子どもたちは桑の実採りにハマることになりました。少し前まで、「もう帰りたい」と愚図っていた子たちが、今度はもう少し、もう少しと粘ります。たろパパも桑の実を口に含み、昔、学生時代に歌った「桑畑」という唄をひさしぶりに歌い、しばし思い出にふけることとなりました。あれからすでに30年という歳月が過ぎたのです。
武蔵野自然塾のみなさん、ありがとうございました。どうもあまり躾けのできていない野生児たちを連れていってしまったようです。自然観察園の蝶の写真などは、また改めて紹介します。
【写真】大きな桑の木の下で実をとる子どもたち(2006.6.18 小金井公園で)

「寛容度ゼロ」生徒指導・・・への疑問

朝日新聞朝刊(2006.6.17)「私の視点」欄で論じられているアメリカ式ゼロトレランス(「寛容度ゼロ」)生徒指導の導入について考えてみました。明石要一さんは、「とことん面倒みる・・・が本質」として導入に賛成しています。明石さんの論稿では、問題を起こして本来なら出席停止になるべき生徒が校長室や職員室に隔離されているようすなどが描かれ、ゼロトレランスに基づく出席停止は、こうした生徒を放置するのではなく、専門家によるきちんとしたフォローを行うものであるとしています。

【写真】太郎が卵でとってきたアゲハの幼虫。どうもこれはナミアゲハではなくクロアゲハではないかと、(珍しくも)たろパパと太郎の意見が一致した(2006.6.17)

うーん、どうなんでしょうか。明石さんは、担任や生徒指導主事が定期的に家庭を訪問して子どもに反省を促し、読書などの課題を与えて学習をサポートさせる、あるいは、児童相談所や保護司と連携して地域での体験を通じて立ち直らせると書いていますが、本当にそんなことが可能なのでしょうか。担任の先生たちは無茶苦茶忙しそうだし、児童相談所は虐待問題にさえ対応できない現状です。保護司自体のなり手が不足している時に、問題を起こして出席停止になった生徒まで目が届くとは思えません。何よりも学校は、出席停止にした生徒たちの訪問指導をやろうとすれば、現状の運営体制を根本から見直さなければなりません。そうした改革に触れずにこのように論じるというのは、楽観が過ぎるように思われます。

加藤十八さんは、「日本は米国の成功に学べ」として、ゼロトレランス方式によるアメリカ国内の教育の再生のようすを描き、日本もこれに続くべきだと主張されています。しかしながら、私は、アメリカ人的なエゴ(我)を排除することで成りたってきた日本社会、とりわけ日本の学校という極端な保守的文化をもつ場で同様の成功が得られるとはとても思えません。加藤さんがお書きのとおり、ゼロトレランスは日本発の工場における品質管理手法で、日本人は工業製品をつくること、あるいは作物を育てることなどには非常に特異な才能を発揮しますが、人を育てる技術、あるいはよく考え抜かれたコミュニケーションを通じて自由な社会を形成していく技術を持ち合わせません。こうした日本社会の特性を踏まえた主張であるのかどうか、疑問をもった次第です。
【写真】第二次大戦下、北海でのイギリス戦艦とドイツUボートの攻防さながら、7匹まで(食べられて)減ってしまったサッパくんたちと大物ハゼ(左下)の睨み合いが続く(2006.6.17)

義家弘介さんは、「権威ではなく、情熱と愛情を持った教師集団の力で導くのが教育なのに、こうした教師集団を作らないままルールだけを厳格にしようとしている」と、ゼロトレランス導入を批判しています。私は義家さんのこれまでの実践とこの論稿を評価したいと思いますが、同時に、無数の不登校者を出し、引きこもり、あるいは家庭内暴力といった問題が蔓延する日本社会のあり方について、さらに原理的なアプローチを深めていってほしいと心からお願いするものです。みんなが苦しみ、みんなが解決を求めているのに、誰も本気になって解決しようとしていない、・・・あるいは解決できると信じていないのかもしれませんが、義家さんのような深い情熱をもった方こそ社会全体に影響を与える理論的な追求をしてほしいと感じました。

木曜日, 6月 15, 2006

ホタルの飼育について・・・訂正

今日の「ホタルの飼育について」を読んでくださった武蔵野自然塾の梅田理事長さんから、以下のような訂正のご指摘をメールで頂きました。梅田さんに御礼申しあげます。

(以下、梅田さんのメールから一部を抜粋、紹介します)

大きな間違いはございませんが、若干誤解を生むかも知れないので、出来れば少し訂正していただきたい箇所がございます。

すなわち、カワニナの稚貝がエサとする珪藻が生えるような日照条件と石が必要であり、水質には珪藻のためのシリカ分とカワニナの殻の成分となるカルシウムが必要となります。

この水質は、投入する石からその成分が溶出しますので、基本的にはカルシウムと珪素を含む石を投入することと、日光がよくあたる水路とすることが必要です。そして、珪藻以外の水藻やゴミ等が石に付着して珪藻の繁茂を妨害しますので、石の表面を常に珪藻が繁茂できる状態にするため、清掃が必要ということです。

・カワニナの飼育は、珪藻のための珪素やカワニナの殻形成に必要なカルシウム分を含む水質が大切で、そうした成分を保有する石の投入が条件となる。
・投入した石は、珪藻を繁茂させるため、ジェット水などで汚れを落とす必要がある。

ホタルの飼育について

先週末、調布市野草園でホタルの鑑賞会が開かれ、ご近所の皆さんと行ってきました。ゲンジボタルが音もなく飛ぶようすに大変感動しましたが、それでは実際に(例えば柳橋保育園のどんどこ池などで)ホタルを飼育することができるのか、できるとすればどのような方法によるのかといったことを調べるため、たろパパは、日曜日に「むさしの自然観察園」でお話しを聞きました。教えていただいたのは、この自然観察園の運営を受託している武蔵野自然塾の梅田理事長さんです。

梅田さんのお話しによれば、ホタルの飼育は簡単ではないが、同時に不可能でもないということでした。ポイントはつぎのとおりです。
・ホタルを飼育するには幼虫の餌となるカワニナ(巻貝)をたくさん飼育することが必要。
・カワニナの飼育は、シリカ分を含む水、珪藻がつく石などが条件となる。
・水は井戸水の掛け流しでよいが、充分な水量(3日以内に池の全量が入れ替わる程度)がないと富栄養化してしまう。
・カワニナがつく石などは時々ストレートの水流で汚れを落とす必要がある。
・ザリガニは粘土(底土)を崩し細粒にして水を汚す、水草や魚などを食べつくすため、完全に排除する必要がある。
【写真】イネの苗。これは植えた当初だが、現在では20センチ近くまで育っている(ポンポコ池 2006.5.27)

ホタルの飼育ができそうと聞いて、勇気づけられたたろパパですが、実際にやるとなればやはり大変そうです。どんどこ会の皆さんとも充分相談して取り組んでみたいと思います。なお、今年、むさしの自然観察園のホタルは数が多く、光が乱舞する中で子どもたちの身体にとまるホタルもあって、大変な歓声があがったそうです。みることができなかったのは大変残念でした。また、ホタルを飼育している大きなケージには、10種類以上の蝶が食草と一緒に飼育されていて、天気のよい日には蝶の乱舞もみられるとのことでした。今週末には近所の子どもたちを誘って、蝶をみにいきたいと思います。
【写真】去年植え、冬越ししたヒメスイレン(ポンポコ池 2006.5.27)

水曜日, 6月 14, 2006

村上春樹、河合隼雄に会いにいく・・・より(続き)

先日(6月8日)に続いて、このお二人の対談録から抜粋します。なお、以下の引用では省略部分を示さない場合があります。

(村上) 他人の語る物語に正面からかかわってみたいというか・・・。
(河合) ぼくらの仕事がまさにそうなのですけれども、(中略)お互いの関係が深くなればなるほど、場合によっては危険もあるんです。
(村上) 向こうの問題がこちらにうつってくる、というようなことがありますか。
(河合) あります。
【写真】サッパくんたちの「受難」をよそに、ヤドカリくんたちは元気だ(2006.6.10)

(河合) 自分がそうなっていって、ちょっとそれを横から見ているような自分がいないとだめなのですね。自分が相手をまるごと受けとめて、相手と同じ状態になってしまったら治療にならないですからね。

(村上) 結局のところ、自分の欠落を埋めることができるのは自分自身でしかないわけです。他人がやってくれるものではない。そして欠落を埋めるには、その欠落の場所と大きさを、自分できっちりと認識するしかない。

(村上) 物語というのが力を失った時代があって、いままた物語が復権しようとしているということがありますが、昔は、物語というのは、身体性とかいうことともまた関係なく、ただ自然にあったものではないか(略)。
(河合)ぼくの仮説ですが、物語というのはいろいろな意味で結ぶ力を持っているんですね、いま言われた身体と精神とか、内界と外界とか、男と女とか、ものすごく結びつける力を持っている。

(河合) ところが、心理の専門家でも、一定以上にそのタガが緩くなってしまうときがあるのです。そういう人が、自分の診ているケースを研究会などで発表するのを聞いていると、みなものすごくいらついてくるのです。そしてみんなものすごく疲れるんです。(中略)ところが、ちゃんとした人がやると、一般的良識とはずれているようなのだけれど、なんか一本の線が通っているという感じがあるんですね。(中略)いちばん大事なのは、その線をピターッと持っているということなんですよ。それを持たずにやったら、もう相手もぼくもおかしくなりますね。

【写真】これが「大物」のハゼ。今朝、海水槽をみると、サッパは10匹以下に減少していた(2006.6.10)

月曜日, 6月 12, 2006

日々是好日

東京は、数日前に梅雨入りしましたが、今日は曇り。先に今年の野川のメダカがまったく育っていないことについて書きましたが、仮にさほどのことではなくても、天候の異変が気になる時代です。昨日のサッカー、対オーストラリア戦は、マケーテクヤシイハナイチモンメではあります。日本チームはよく闘ったと思います。ところで、私の本業が捗りません。金欠、肝臓による体力低下、ウツ傾向といったあたりが3大原因ではないか、というのが私の上司の見立てです。もっとも、原因分析はともかく、やるべきことはやらねばなりません。

さて、下の写真の海水槽ですが、どうもサッパくんたちにとっては、日々是好日などと悠長なことは望むべくもない「恐怖の水槽」と化しているようです。本物の水族館でもイワシ3000匹が消えてしまった、などということが起きているようですが、こちらでも最初20匹くらいいたサッパくんたちが少しずつ消え、今はだいたい10匹くらいになってしまいました。食べたのは大物のハゼ(約7センチ)とカニです。たろパパとしては、ハゼを天ぷらにでもしようかと思うのですが、太郎くんはこれには反対しています。・・・どうしましょうか。

【写真】お洒落なウニは赤い海藻がお好み(2006.6.10)

土曜日, 6月 10, 2006

サナギへの変身

太郎くんが、3令幼虫くらいの時にグレープフルーツの木で捕らえてきたナミアゲハの幼虫だが、6月2日頃に5令幼虫になってから約1週間経った昨日の朝、サナギへの変身の過程が始まった。わずか2日ほどの間に、青虫から立派なサナギになった過程を半日ごとの写真で紹介する。
【写真1】6月9日朝、サナギになる位置を決める。この時にはすでに水分を大量に排出して、体の容積が大幅に小さくなっている。




【写真2】6月9日夜、位置が最終決定し、体が固まる。本格的に変身が始まる。









【写真3】6月10日朝、青虫からサナギの形に変化していく。この時には、まだかなり体がピクピク動く。








【写真4】6月10日夜、もうすっかりサナギに変身。色が黒ずむ。もうあまり動かない。

昨晩は、調布市野草園でホタルの鑑賞会があった。子どもたちを連れご近所で出かけたが、たくさんのホタルが音もなく飛ぶようすに、大人も子どもも感動した。ホタルを自分たちで育てるというのは難しいだろうか。・・・来年、どんどこ池にホタルが飛ぶ夢をみている。

スケッチ

(今日は、のびたけおさん風に・・・)

夜、たろパパがサナギに変身中のナミアゲハの幼虫をスケッチしていると・・・





たろうくん、「ケケッ、へたくそめ!」とか言いながら、僕が描いてやるとスケッチブックと鉛筆を横取りしました。








で、これがたろうくんの描いた幼虫です。あはは!






ついでに、これが、たろパパ。・・・オイオイ、もう少しちゃんと描いてほしいなあ。










オマケ・・・、カブトムシの幼虫。朝、ケースをみたらマットの上に出ていました。カブトくん、そろそろサナギになる準備をしたらどうでしょうか?

金曜日, 6月 09, 2006

生きもの動静(2006年6月9日)

太郎くんの家の生きものの「主役」になってしまった海水槽の江戸前くんたちだが、昨晩、思わぬ波乱があった。なんと【写真】のカニがイワシ系の1匹を捕らえ食べようとしたのだ。このサッパは、夜も遅く眠くてフラフラとカニの両腕の中に迷い込んだようにみえた。カニはすかさずサッパを両腕のハサミで捕らえ、その身を食べ始めた。1分ほどでようやく振りほどいて逃げたサッパくんだが、無惨にも腹の一部と尻尾に近い部分が傷ついた。水面近くをソロリソロリという感じで泳いではいたが、みるところ傷は致命傷のようだった。朝になって傷ついたサッパくんがみあたらない。恐らく襲ったカニか、エビに食べられてしまったのだろうと思う。この他の江戸前くんたちは元気だ。ウニは見かけによらず、水槽のなかをアチコチに移動している。ハゼ(大小各1尾)はどんどん大きくなっているようにみえる。

海水槽のとなりのメダカたちは元気だ。ただし、あまり卵を産んでいるようすがない。一緒にいるはずのヤゴ(1匹)がここ数日間みあたらない。さらにそのとなりの蝶の飼育箱ではナミアゲハの幼虫のうち1匹が、昨晩、サナギになる準備に入った【写真右】。つまり、挿し木にのぼりサナギになる位置につくと、大量の水分を排出して体を大幅に縮める。ほぼ5センチくらいの体長が4センチくらいになる。今日か明日にはサナギの形になって、10日ほど後に羽化するだろう。さきに卵の段階で太郎が採取してきた幼虫はもう間もなく青虫に変身するところまで成長した【写真下】。

カブト虫の幼虫の1匹はサナギに変身を始めた。もう1匹もその準備段階に入ったようだ。70匹もいるカナブンの幼虫はまだサナギになるようすがない。コクワガタも少しずつ成長しているようだ。ポンポコ池に「移住」させたモツゴくんたちは、たろパパがいろいろドジを踏んだために全滅してしまった(いや、スマン!)。そして、詳しい経緯は省くが、なんと今、ポンポコ池には金魚が1匹住みついている。池の端に植えた稲は少し成長が遅い気もするが、一応順調に育っている。5月に巣立ったシジュウカラの一家はまだ集団生活をしていて、時々、太郎くんの家の周りに餌を採りにくる。子鳥たちはいつ「自立」するのだろう?

木曜日, 6月 08, 2006

村上春樹、河合隼雄に会いにいく・・・より

このお二人の対談集、まだ、全編の3分の2くらいしか眼を通していないのですが、大事だと思われるポイントをいくつか抜き書きしておきたいと思います。

河合さんと差し向かいで話をしていて僕がいつも感心するのは、彼が決して自分の考えで相手を動かそうとしないところである。相手の思考の自発的な動きを邪魔するまいと、細心の注意を払う。むしろ相手の動きに合わせて、自分の位置をすこしずつシフトさせていく。(村上)

結局、それまで日本の小説の使っている日本語には、ぼくはほんと、我慢ができなかったのです。我(エゴ)というものが相対化されないままに、ベタッと迫ってくる部分があって、とくにいわゆる純文学・私小説の世界というのは、ほんとうにまとわりついてくるような感じだった。(中略)でも、最近になってやっと日本の文学自体の中で、言語的な流れが少し変わってきた気がする。(村上)

でも僕はもう以前ほど反抗的ではないです。というのは、(中略)反抗しようにも反抗すべきものがもうそこにほとんど残っていないからだと思います。僕が作家になったころから比べたら、日本の文壇の空気もずいぶん変わった。「こうあるべし」という無意味な業界的掟がどんどん消えていって、システムとしての風通しが前よりはよくなってきた。(村上)

おたずねしてみたかったんですけれど、夫婦というのは一種の相互治療的な意味はあるのですか。(村上)
ものすごくあると思います。だから、苦しみも大変深いんじゃないでしょうか。夫婦が相手を理解しようと思ったら、理性だけで話し合うのではなくて、「井戸」を掘らないとだめなのです。(河合)

芸術家、クリエートする人間というのも、人はだれでも病んでいるという意味においては、病んでいるということは言えますか?(村上)
もちろんそうです。(河合)
それにプラスして、健常でなくてはならないのですね。(村上)
それは表現という形にする力を持っていないとだめだ、ということになるでしょうね。それと、芸術家の人は、時代の病とか文化の病を引き受ける力を持っているということでしょう。(河合)

以上、私(たろパパ)の関心に合わせてメモしました。この対談集を読み終えたら、次は『ねじまき鳥クロニクル』に進みたいと思います。


【写真】海水槽は幅約60センチ。昨日バカ貝の大きいほうが死んだが、その身は、たちまち魚やエビたちに食べられてしまったらしく、ポッカリと開いた貝殻しか残っていなかった(写真は2006.6.3)

水曜日, 6月 07, 2006

太郎の俳句ブーム

ハイク・・・俳句である。
どうも子供むけの解説本を読んだらしい。
「季節のことばをいれる」
「5・7・5でつくる」
ことはわかったらしい。

で、太郎の初俳句を紹介する
・・・まあ、親ばかと笑ってください。

春のみち かえるがぴょん じゃんぷだ

カブト虫 なつの王だよ くわがたも

水そうで すいすいおよぐ めだかたち

こどもたち 元気にあそぶ ゆきがっせん

かぶと虫 なつにでている よるの木に

なつのよる 花火たい会 たのしいな

てつぼうの ちきゅうまわり した春は

雪がっせん たのしいふゆは ラッキー

なつのつゆ じてん車で行く 水だよ

のびさんの「悩める7歳」(2006.6.6)が微笑ましい。
「パパ、人間はなんで生きてるの?」
・・・という問題にこだわっているらしい。それに何とか答えようとするのびさんもいいなあ。

【写真】塩分「薄め」の海水槽で元気に泳ぐ江戸前くんたち(2006.6.3)

火曜日, 6月 06, 2006

物と心 アメリカで考えたこと・・・河合隼雄 『対話する人間』から

今日は、河合先生が1980年代の半ばにサンフランシスコで行った講演を軸に、西洋と日本、物と心といったテーマで書かれている章をみていきたいと思います。

「西洋で心理療法の訓練を受け、思想的には強く西洋の文化の影響を受けつつ、やはり日本人として抜き難い日本人性をもち続けている私は、自らを「片子」と同一視して物語を読んでいたので、片子の自殺という結末はきわめてショッキングなことであった」・・・河合先生は、このように書いています。ここで片子というのは、日本の昔話に、「半分人間、半分鬼の子」で、人間世界に住みつくことができず、果ては自殺してしまうという筋のものがあるといいます。そして、先生のこの講演について、日系の二世や三世の人たち、中国人の二世といった異文化で暮らしてきた人々のみならず、アメリカの多くの人々から「西洋人も精神と物質との間の片子の問題を抱えているのだ」といった意味の強い共感が寄せられたことが述べられています。

さて、村上春樹については『ノルウェイの森』を読んだだけということもあろうかとは思いますが、さきに内田樹先生が書かれたように「村上文学の世界性」と言われても、どうも私にはピンと来るものがありません。この小説は、1960年代末の東京の大学キャンパスを背景とする「恋愛小説」ですが、主人公ワタナベの周りで、幼い頃からの友人キズキ、その恋人直子、あるいはハツミがそれぞれ自ら命を絶ってしまいます。ワタナベは心を病んだ直子を必死に支えますが、最後までその命を守ることができません。・・・因みに、世代で言えば、村上さんは私などの5年ほど上の世代ですが、この小説のワタナベについて、私はほとんど違和感を覚えません。
【写真】今年の野川ではメダカなどがほとんどみつからない(2006.6.4 三鷹市大沢付近)

今年80歳になる私の母は、とくに知的というほどではないにしろ、羽仁説子の友の会運動に加わるくらいには社会の動きにも関心をもつといった主婦でした。私の一番初期の読書ではっきりと記憶に残るのはマテオ・ファルコーネでしょうか。あるいは十五少年漂流記、海底二万マイルといった物語も強い印象があります。中学生になってから、夏目漱石や森鴎外なども少しずつ読むようになりましたが、たぶん、その何倍も翻訳小説を読んだように思います。ワタナベが緑が寝静まった後の小林書店で読んだヘッセの「車輪の下」、これを読んだときの情感には独特のものがありました。ルソーの「告白録」、魯迅の「雑文集」などから次第に社会と人間の関係を見つめるようになりました。トロツキーの「わが生涯」を読んだのは高校かその卒業後くらいの時期だったと思います。・・・いずれにしろ、私の感覚の中では、もう特に日本文学と世界文学が截然と分かれ対立しているものではなくて、日本文学も世界文学のひとつといったとらえ方をしてきたように思います。

そうした意味では、私もまた片子たることをもう少し深く自覚すべきなのかもしれません。私の中に、河合先生がいう「抜き難い日本人性」といったものが果たしてあるのか、もしあるとすればそれはどんなものなのか。村上春樹にはあまり違和感を持たないものの、日本人のコミュニティや文化にしばしば違和感を感じてしまう私としては、そのあたりをもう少し見つめていきたい・・・こんなことを考えました。

月曜日, 6月 05, 2006

多摩地域子ども科学者連盟

・・・とでも呼ぶべきネットワークはつくれないものでしょうか。今、この日本社会には心を暗くするような事件が頻発しています。家庭、地域社会、学校などのあり方、大人たちの働き方と生活の仕方、大人と子どもの関わり、こうしたすべてに歪みが広がっているようにさえ思われます。子どもたちが本来持っているはずの輝きをみたいと願います。子どもたちが、毎日の身近な生活の中で、溢れるような自然体験を積み重ねることのできる地域でありたいと思います。働き過ぎの大人たちを休ませ、子どもたちと一緒に過ごす時間をたくさんつくるべきだと考えます。「多摩地域」に限らず、全国どこでもよいけれども、こんな地域社会を創るネットワークづくりを呼びかけたいと思います。
【写真】魚釣り(?)にいく子どもの像(2006.6.4 三鷹市大沢の野川の岸辺で)


「はてな」の近藤淳也さんが、雑誌『人間会議』による取材インタビューを音声で公開しています(約40分間)。近藤さんのお考えにはいつも感心させられますが、このインタビューでも非常に興味深いことを語っています。組織の運営に関連して、「密室」会議をつくらないこと、個別の社員との話し合いをすべて録音して社員だれでも聞くことができる仕組みとしていることなど、これまでの会社組織の運営の常識からはるかに離れたこともやっています。・・・もちろん、これはお話しの一部に過ぎません。興味を持った方はどうぞ全部聞くことをお勧めします。

それにしても、最初の「多摩地域子ども科学者連盟」といったネットワークを短時日のうちに築くためには「はてな」が持っているようなSNSの技術がどうしても必要です。「世界を変える仕組みとしてのインターネット」を語る近藤さんのような方に、ぜひ参加してもらいたいと願うものです。・・・まあ「世界を変える」といっても、その内容がお考えに合うかどうかはわかりませんが。ビジネスとまったく相容れないものとも思いませんが、その面での見込みができている訳ではもちろんありません。

日曜日, 6月 04, 2006

日曜日

たろパパのブログ・オン・ブログ No.016」で紹介させて頂いたyukikofjswさんのお母様への想いに触発されて、80歳になる母に会いに行こうと思う私ですが、母親とは実にありがたいもの、明日の私の誕生日を忘れず電話をよこしました。私が太郎に「仙台のおばあちゃんだよ、出る?」と誘うと、テーブルに着いたまま大声で「おばーちゃん! こんにちわー!」などと叫びます。この声、母に聞こえたようです。母は(太郎の育てかたについて)「あまり構いすぎないようにね」と言いました。何か脈絡があるわけもありませんが、母は母なりに、52歳になろうという息子の育て方を振り返ってこのようなことを言ったのかもしれません。あるいは母の遺言となってもおかしくない一言ではあります。
【写真】今年の野川は何か変!(2006.6.4 三鷹市蛍の里付近)

ところで、5月の潮干狩りで捕まえた江戸前のイワシ系の幼魚ですが、サッパといわれる種かもしれません。岡山あたりでいうママカリです。マイワシなら体側に斑点があるはずだし(もっとも幼魚にはないかもしれませんが)、キビナゴのような体側のラインもありません。いずれにしろ、約20匹ほどのサッパくんたち、元気に「メダカの餌」を食べています。だんだん大きくなってきたような気もします。

村上春樹は今年のノーベル文学賞の有力候補のひとり、だとか。ネット上を含めてあちこちで話題になっておりますので、ミーハーの私もひとつくらい読んでおこうと思い、『ノルウェイの森』(1987年)を読みました。内田樹先生は「村上文学の世界性について」と題して、「村上文学には「父」が登場しない。だから村上文学は世界的になった」とか、必ずしもわかりやすいとは言い難いお話しを書いておいでです。私の方はまだ何も村上文学を評論するほどのものはありません。手許に『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(1996年)という対談録がありますので、つぎはこれを読んでみたいと思います。

今年の野川のメダカはまったく育っていません。今日は野川公園の中と「ホタルの里」付近を探ってみました。去年よりかなり多く鴨の親子は見かけましたが、水中は惨憺たる状況です。先日の東京地方の豪雨などで水量はある程度回復しているようですが、生物の生産が極端に少ないのです。この間の日照の不足が原因でしょうか。野川だけの特殊事情であればいいのですが、絶滅危惧種(クロメダカ)が本当に「絶滅」してしまってはシャレになりません。危機感を煽るだけの言い方はしたくありませんが、今年の河川系はかなり変だという気がします。

さて、明日は私も52歳になります。公私ともに、波乱が波乱を呼ぶか、落ち着くところに落ち着くか、先が読めない転換点ではあります。

土曜日, 6月 03, 2006

イワシの飼育

5月の潮干狩りで捕えてきた魚たちを飼っていますが、こういう海水魚などの飼育というのは、意外に大変なことをやっているようだということが、だんだんわかってきました。ひとつには水質の管理がかなり難しそうということです。その道の愛好家のサイトなどによりますと、比重はもとより硝酸塩がどうこう、バクテリアがどうこうといったことなど、注意すべきことが山ほど書いてあります。残念ながら、とても読む気にもなれません。
【写真】いいかげんなヤツに捕まって、「こんなハゼ(ハズ)じゃなかった」と嘆いているかい?(2006.6.3)

それから、イワシの種類はなんと500種もあり、ハゼもまた種類が多いとのことです。UODAS(ウオダス=魚出す)というオヤジギャグ・ネーミングのデータベースをご存知でしょうか。これは国立科学博物館の魚類研究室が運営しているサイトです。このページで「種の和名」に「イワシ」と入れ「部分一致」で検索をかけると72種類ものイワシ系の魚が表示されます。さらに同様に「ハゼ」の場合は6435種類もあります。

そして、この右の【写真】の生き物は何? 海のカマキリみたいですね。体長は2、3センチほどで藻にくっついて来ました。すでに食べられてしまったかもしれませんが、最初は数匹いました。ひょっとしてシャコあたりの幼生でしょうか?・・・わかりません! この他にこの水槽にいる生物は、つぎのとおりです。ウニ、カニ、エビ、ヤドカリ、巻貝、バカガイ(青柳)、カラスガイ(コブつき)、そして、海草類が数種。海草を除く動物系だけでも10種類を数えることになります。

また、この魚たちが何を食べるのかといったこともよくわかりません。とりあえず与えたメダカの餌を実に「喜んで(=大騒ぎして)」食べます。また、更級そば1本をポキポキ折って入れてみたところ、ヤドカリはもとより、イワシたちもたくさん寄ってきて、翌朝までに影も形もなくなりました。彼らは雑食で、とにかく強靭です。飼育を始めた当初、2匹のイワシが死んだのですが、遺骸はエビを中心にきれいに片付けてくれました。

【写真】水槽は幅60センチほど、約24リットルの容量がある。
ごく普通の循環式の浄化装置をつけている(2006.6.3)

最後に、今後、この水槽がどうなるのか、いつバランスが崩れて生物が死滅に向かうのか、まったく見当がつきません。ようすを見ながら飼育を続けてみたいと思います。なにかアドバイスなどあれば、ぜひお願いします。