木曜日, 11月 30, 2006

ヤンキー先生、ちょっと違うのでは?

ヤンキー先生こと義家弘介さんの活動について、これまで私は、ごく外面的な印象に過ぎませんが、どちらかといえば好意をもってみてきました。ただし、昨日来のニュースで流されている「いじめをする子はクラスで影響力がある、こうした子は別に指導することにして、他の子どもたちを(いじめをする子の影響を除いた形で)指導していかなければならない」という義家さんのコメントは頂けないと思います。
【写真】フジツボの殻を家がわりにするイソギンボ(2006.11.30)


小中学校のいじめは、1)子どもときちんと向きあえていない家庭、2)いじめはいけないことを子どもたちにしっかり教えない教師、3)いじめられた子がいじめる側に変わるといったこと、あるいは、学級の中がいじめる子たちといじめられる子たち、傍観する子たちという重層構造になってしまうこと、など、原因・態様は複雑です。私自身は、この間、繰り返してきたように、デンマークの国民学校で行われている「五者面談」のような取り組みがまず基本にあるべきだと思いますが、日本でこうした取り組みが難しいのは、まず教師自身が親や地域社会と相談しながら学校教育をつくっていこうという姿勢が薄いからだろうと思います。

なぜ先生たちは「自分の意見」を持たないのか。議論をしてものごとを進めていくことは、達意の文章を書くことと同様に、練習をすればできることでありながら、どちらも教員養成過程ではほとんど重視されてこなかったのだろうと思います。指示がないと動けない先生たち、自分の頭で考えない先生たちがあまりにも多すぎるのではありませんか。こういう先生たちが、どうして子どもたちの心に芽生える意欲を注意深く育て、表現する仕方を教え、みんなで話し合いながら学校生活をつくっていくことができるでしょうか。

私は、もとより安倍首相の唱える「教育再生」など、まったく信用も支持もしておりませんが、少なくとも現在の学校教育の現状が、根本からの再生を必要とする状態であることだけは信じて疑いません。それだけに、熱心に教育というものに取り組んできた義家さんのような方のあの意見には、正直、大変がっかりしました。

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