火曜日, 5月 01, 2007

ウグイスの鳴き音に

結局、釣れた魚は、2日目の朝、キャンプ場の対岸の流れ込みのあたりで10センチほどのマスの幼魚2匹だけだった。・・・しかし、今回は充分楽しませてもらった。

河原から駐車場までは50メートルほど坂道になっている。釣り竿とタモ網だけだが、ひどく息が切れた。ようやく車にたどり着き、運転席に横座りして飯盒のカレー雑炊を食べた。日焼けと寝不足(ゆうべは寒くてロクに眠ることができなかった)、1人にしては多すぎる装備の上げ下ろしに、体が疲れているのがわかる。大きな飯盒の3分の1ほど食べ、ようやく腹が落ちついた。午後4時だ。6時には家に着きたい。車のエンジンがかかった。この瞬間、私は「都会の人」に戻る、・・・そんな感覚にとらえられた。

【写真】川井キャンプ場から(2007.4.29)

このキャンプ場は、期待したとおりの申し分のないところだった、・・・とは言い難い。何よりも宿泊がキャビン中心でテントサイトが整備されていない。テントサイトまで車を乗り入れることができない。この点は都会人の贅沢かもしれないが、ぜひ何とかしてほしい。料金やスタッフの対応はよい。地形からキャパシティの限界はあるのだろうが、立地環境はよいのだからもう少し投資してほしいと思う。

1日目、荷物をテントサイトまで運び終わって一息ついているところへKさん一家がやってきてくれた。サトくんは一年生、マコちゃんはそろそろ年長さんくらいかな。パパたちはかつて四万十川でキャンプしたというアウトドア派だ。・・・今回は、私が無理矢理お誘いして来て頂くような形になった。いや、感謝、感謝である。Kさん一家が来てくれなかったら、たろパパは寂しくて奥多摩の流れにドボンと飛び込んでしまったかも知れない。

夕方、陽も傾きKさんたちが帰る頃になって、サトくんが「たろう君のパパとお泊まりする!」と言い出したので思わず笑ってしまった。ファミリー用の大きなテントをのぞいてみて、寝てみたくなったようだ。「明日の朝、迎えにきて」「ママのケータイを(連絡用に)おいていって」とかいっている。・・・「夜になるとクマさんがワーッといって出てくるかもしれない」「ここはケータイが通じないところなんだ」とか、いろいろ説得してようやく納得。いや、かわいいなあ。

日が暮れると素晴らしい夜がやってきた。東天からはもうすぐ満月という月があがり、月あかりに河原が広くみえる。時計の文字盤も読める。これだけの月夜なのに北斗七星までみえる。風はほどんどなく、時折り弱く草木をゆするくらい。飯盒に米を入れて焚く。焚き火が弱くなると暗闇が星空と共に降りてくる。薪をたして炎が大きくなると暗闇がひいていく。

午後8時10分頃、青梅線の電車が通った。対岸の10メートルほどの崖上を走る夜の電車は銀河鉄道のようだ。イスに座り焚き火をみていて、何も不足するものがないことに気がついた。不思議な満足感。周りには誰もおらず、遠く林間にキャビンの明かりがみえるだけ。今回は太郎もついてきてくれず、寂しいといえばそうなのだが、それとはまた別に何かしら個としての充足を感じる。・・・これは何だろう。




【映像】鶯のさえずりで目が覚めた(2007.4.30)


夜はあまりの寒さに眠れず半睡になったが、明け方、テントのすぐ裏で鶯が一羽大きな声で鳴くので目が覚めた。火をおこし、このウグイスの声を録っておこうとカメラをセットした。この上のムービーは静止画風だけどそうじゃない。後半は焚き火となっているのでおわかりになるだろう。それはともかく、ウグイスをはじめ、鳥たちの朝は騒々しい。

上流を目指して、釣り人が一人、二人と行く。私も朝食を簡単にすませて仕掛けの準備をする。流し毛針、これはあまりよくない。というか、テントの目の前には魚がいないようだ。今度は素朴な浮き釣りでやってみよう。家の近所で買った千円の万能竿に球ウキとハリス止めをつけ、少し大きめの針を一本だけつけた。食料箱やリュックをテントに放り込んで片づけ、いざ出発。キャンプ場にそって下り、吊り橋の下、流れ込みの付近で小魚の群をみつけた。

餌はぶどう虫、これをチョイ掛けにして2メートルほどの高さの岩から眼の下の淵をねらう。メダカの親分みたいなのが群れているが、彼らにはぶどう虫は大きすぎる。中に少し大きめのがいて、簡単に食いついてきた。手にとってみると10センチにならないほどだ。ニジマスの幼魚のようにもみえるがよくわからない。・・・これが一匹目。

今度は場所を変えて、流れ込みの合流点をねらった。姿勢を低くしてソロソロと近づき砂利の上にそっと座りこんだ。いる、いる! さっき釣ったのと同じほどの幼魚が数百匹も群をつくっている。動きは実に素早い。餌をつけるために竿をたてただけで群がサーッと逃げていく。ここでもまた一匹。

キャンプ場から、瀬をわたって六年生くらいの男の子が二人寄ってきた。釣りに興味があるようだ。やってみるか、と声を掛けて竿を渡し、投げ方を教えると交替で釣っている。魚は釣れなかったが、10分ほどすると、落ち着いた声でありがとうございますといって竿を返してきた。・・・いい子たちだ。

こういう河原のキャンプ場に連れてこられた子どもや青年たちを放っておくと何をして遊ぶか、・・・そこに日頃の生活や教育のレベルがはっきり表れる。小さい子たちは川に足を入れることもしないで、とにかく小石を放り込むことに熱中する。この日は、高校生くらいの子たちが、朝、私が淵をねらった岩の上から水中にジャンプして騒いでいた。因みに水温はかなり低い。川に飛び込むのはいいが、高校生がやるのは少し幼くないか。

この日は、30人ほどの大学生と思しきグループも来ていた。中にはミニスカートにヒールの高い靴を履いている子もいて、それはそれで、よく石だらけの河原を歩けるものと感心した。ただし、このグループに限らないが、マナーは実によくない。他の利用者の通路をふさぐような場所でバーベキューをやって平然としている。ポリ袋が飛んでも拾おうともしない。まったく親の顔をみてみたいというのはこういう場合だ。・・・こんな若者たちとはあまり関わりたくない。いや、本当はこういう連中は追い返したいのだが、まあ、そうもゆかぬ。何よりそんな元気も体力ももはや私には残っていないのだ。

一方で、サイクリングで来たらしい親子連れの父親が、テントの張り方を中学生くらいの子に教えているところもみかけた。・・・そうだ、私も、太郎がもう少し大きくなれば、野外生活の方法をひとつひとつ教えてみよう。テントサイトの設営、火のおこし方と管理、トイレの掘り方、野外の歩き方、荷物のパッキング、そして、釣りや野外での遊び方。

自然の中で育とうが育つまいが、人は人となるものだろうが、そこにはやはり何か目に見えぬ違いがあるような気がする。それは何だろう・・・内に抱え込む「自由」の大きさということだろうか。あるいは人と自然に対する興味、生きることへのモチベーションの質だろうか。

帰途の渋滞を抜けて家にたどりついた時にはもう本当にヘトヘトだった。こんなに気持ちよく疲れたのは何十年ぶりだろう。仕事で徹夜をいくつ重ねても、こういう充実感のある疲れには至らない。



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