金曜日, 10月 27, 2006

失われた記憶

この10月18日の朝日新聞に、作家カズオ・イシグロ氏のインタビューが掲載されています。この記事で、木村伊量記者の問いにイシグロ氏が次のように答えているくだりがあります。

・・・甘美な少年少女期の追憶は、イシグロさんのモチーフの一つですね。
「子供はだれしも、世界は美しいと考えたがるものです。もちろん、大人になれば世界はそんなところじゃないと気づくし、子供の頃にそう思っていたことさえ忘れ去ってしまう。私はその記憶を大切にしたい。世界に対するナイーブな見方の中に、失われた理想や感動的なもの、美しいものをみるのです」

【写真】ウニの殻から頭を出す南伊豆産のイソギンボ(2006.9.24)

うんうん・・・そうだなあ、と共感しました。しかし、それと同時に子どもたちが世界に美しいイメージを求めようとするのを見るのは痛ましい思いがするものです。スピルバーグ監督の映画『太陽の帝国』で、出撃する零戦に敬礼するジム少年の抱く「憧れ」。あるいはルソーが『孤独な散歩者の夢想』に記していたように記憶するけれども、幼いルソーが何のあてもなく放浪生活に入っていった時に示した健気さ。・・・いずれ子どもたちは「現実」と格闘し、ボロボロになりながら、あるいは成長し、あるいは挫折を繰り返しながら大人になっていくのです。

この間、北海道(滝川市)や福岡(筑前町)でのいじめによる子供の自殺をきっかけに、改めて「いじめ」に関心が集まっています。その中で文部科学省が「いじめを隠すな」と指導文書に明記したといったこともありました。学校でのいじめにあう子について、先に私は「学校の不作為による犠牲者」といった表現をしましたが、その後の奄美市や蕨市の事例などもみますと、実態は「不作為」ではなく「学校ぐるみ」でいじめが構造化されているのでは、という印象が強くなってきました。

いじめにもさまざまなレベルがあるでしょう。しかし、例えば児童・生徒千人あたり1件以下とか、せいぜい数件とか、そんなものであるはずがありません。現在の国内の小中学校では、よほど熱心に対策に取り組んでいる少数の例外を除けば、ほとんどの学校のすべての学級に、程度の差こそあれ、いじめがあるだろうと思います。文科省は先の文書に「いじめはどの学校でも起こりうること」と書いているとのことですが、「起こりうる」ではなく「ほとんどの学校で、少なからぬ件数のいじめが現に起こっている」のだろうと思います。

【写真】イソギンボのむこうには江戸前のイワシがみえる(2006.9.24)

これまで何度も繰り返してきたように、私は現在の学校をベースにした「改革」によって教育を生まれ変わらせることができるとはまったく考えていません。端的に、これをお読みの先生たちに問いたいと思います。過去1年間に、学校内でのいじめをなくすための対策について職員会議で議論したことがありますか? もし議論したことがあるとすれば、それにどれくらいのエネルギーを割いていますか? あるいは「いじめ」に限らず、先生同士で教育というものについて熱く議論を交わしていますか?

恐らく、私のこの問いに対して「希望を持つことができる答え」を返してくださる先生はほとんどいないだろうと思いますが、どうでしょうか。・・・あまり「絶望」ばかり書いても現実から離れてしまうだろうという点は、私も反省しなければなりません。しかし、本気になって取り組めば「いじめ」を大幅に減らすことは可能であるのに、現在の学校や先生たちが手を拱いているかにみえることに、親としてのいらだちは募るばかりです。私が聞きたいのは先生たちの「肉声」なのだということでもあります。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

NYパパです。

『いじめ問題』『履修漏れ問題』は親、子供に問題があるだけでは駄目で、学校、先生に問題がないと文科省は動かないようですね。非常にわかり易い、非常に残念な仕組みです。

テレビ番組で、誰かが政治家、文科省、教員、教育委員会等で働く人の子供は全員公立の学校にいくことを義務付ければ良いと言っていましたが、如何でしょうか?

先日も申し上げましたが、主役は子供です。誰の責任かどうかが一番の問題ではなく、子供が楽しく学び、遊べる学校にするためには
どうすればよいのかということだと思っています。

私は子供の頃リトルリーグに入って野球をやっていましたが、当時は酷いものでした。練習も大変でしたが、レギュラーになると上級生にいじめられたのを覚えています。グローブ、バット、弁当を隠されたり、今から思えばかわいいいじめですが、親たちの目がなかったのでやりたい放題でした。コーチたちもいわばセミプロみたいな人たちだったので、野球のこと以外は殆ど関与せずという感じでした。今の少年野球は昔と違い、親が一緒に練習に参加するようなので、非常に良くなっているのではないでしょうか。

例えば、保護者が学校に参加する機会、ボランティア活動をどんどん増やすのは如何でしょうか?

たろパパ教室なんていうのはどうですか?

taropapa さんのコメント...

NYパパさま お早うございます!
「主役は子供」であるべきと、私も思います。でも、日本の学校は基本的に「大人の都合」のためにあります。ここでは、子供のため・・・というのは建前に過ぎません。TVのニュースで、いじめで自殺した子が出た学校の校長のインタビューなどをしばしばみますが、ああこの人には同情できるなあと思える方はほとんどいません。何よりも「いじめをなくす」ために、本気になって取り組んでいないのがミエミエです。だから、今の学校をつくり変えるというのは基本的に無理だと思うのです。

ところで太郎が入った少年野球チームは、拍子抜けするほど「非」体育会系で、まあ、これなら太郎でもやっていけるかなと思った次第です。日曜日の練習試合の時も、子供たちより多いくらいのパパやママたちが見に来ていました。実際のところ、本来の学校とは異なる場で、子供たちは目標をみつけていっているのですね。