木曜日, 9月 14, 2006

シュールなたろパパ

私がデジカメの準備をしていると、太郎が「撮らせて」といいました。できあがったのが、この「シュールなたろパパ」です。太郎は、これをみて、「キャッ!」とか笑い転げておりました。このように機嫌のよい時はいいのですが、少し気に入らないことがあるといきなり怒ったり泣いたり、・・・私としてはもう少し落ち着いた気性に育ってほしいところです。

とは言え、このように感情をコントロールするためには、相手の気持ちを察するセンスを育てることと自分の気持ちを表現する訓練が必要です。折しも、先日の都教育委員会のまとめによる小学生の校内暴力の増加といったニュースに続いて、全国でも同様の傾向がみられると報じられています。こうした子どもたちの暴力について、マスコミでもブログでもいろいろな意見が出されています。教師が学力向上という目標に追われて子どもたちと向き合えていない、とか、食生活の乱れで低血糖の子が増えていることが原因という方もいます。

私は、先の日記で「教師と家庭の連携が必要」という意見を書かせて頂きましたが、つまるところ、丁寧に子どもを育てるということをしていない親があまりにも多すぎるということに尽きるように思います。子どもと同じ高さの目線に降りて向きあうことをしていないということでしょう。そして、これは現在の私たち日本人のあり方の結果であって、それが学校という場で悪く現れているという言い方もできると思います。

話をする、あるいは書き言葉を交わして意思疎通を行う、つまりコミュニケーションには、相互の立場性が深く係わります。支配・被支配といった関係では一方通行の命令的な言葉が主役でしょうし、対等な関係では双方向の言葉が中心となるに違いありません。交わされる言葉の内容も立場性に規定されるでしょう。・・・そのように考えると、私たちの身近にも、「この人とは必要最小限のこと以外は話したくないなあ」と感じる人もいれば、逆に「お願いしてでもお話ししたいなあ」という人もいます。この違いは大きいと思います。

もうひとつは、心が育つということとコミュニケーションの能力は表裏一体で、コミュニケーション能力は「訓練」、つまり根拠と計画性のある練習によって伸ばすことができるということです。これまでこの日記で何度も触れてきたトリン・フォー・トリンのプログラムなども、相手と自分の違いを認めて、それぞれ表現する練習をしていくところに核心があります。

核家族の増加、塾や習い事に追いまくられて子どもたち同士が自由に遊ぶ時間も場もない状況、親たちは仕事や家事に忙しく、教師たちですらゆっくり子どもと向きあわない・・・こんな状況で、子どもたちの心がどのように「育つ」というのか、果たしてひとりひとりの子どもたちの心がどうなっているのかすら「わからない」というのが実際ではないでしょうか。本当に大変な時代になってきたものです。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 Rパパです。
 自民党総裁選で教育問題が語られますが、最有力候補の安倍氏の考え方に不安を感じています。
 昨日のNHK日曜討論で、安倍氏は学校間競争の重要性を強調する一方、「人が集まらない学校は放置するのではなく、むしろてこ入れをして、結果的にすべての学校のレベルが上がるようにしたい」という趣旨のことを言っていました。
 しかし、不人気校に対する「てこ入れ」を、具体的にどうするのか、限られた時間だったせいか、よく分かりませんでした。もし不人気校に予算を十分手当して改革を進める、というのであればよいのですが、そうすると、人気校に人が集まり、結局、お金が集まることを競争原理とする安倍氏の考え方と矛盾するようにも思われます。逆に、不人気校には予算を与えず、改善しろと言うだけでは、固定化しがちな不人気状態から脱却することは困難のように思われます。
 個人的には、谷垣氏が言う、子どもたちは地域で育つのであって、安倍氏の言うような学校間競争は望ましくない、という考え方に共感を覚えます。
 といっても、安倍氏の総裁就任=首相就任がほぼ確実視される中、いったい子どもたちに平等な教育を保障できるのか心配になってしまいます。

たろパパ さんのコメント...

Rパパ様、いつもコメントをありがとうございます。
いや、実は「パパをホウチョウでころしてやる!」という太郎の言葉に逆ギレして私のほうが家出状態になっておりまして、なかなか教育問題に頭が向かないトホホ状態です・・・。
とは言え、不人気校の件、周りの誰かが言っていたのですが、品川区では一定以下の生徒しか集まらない不人気校は廃校にする、つまり取りつぶしの手法になっているといったことを聞きました。もちろん、安倍氏の考えと品川区の取り組みが関係あるということではないと思うのですが。
また、教育問題ではありませんが、少し前に発売された『論座10月号』の特集『安倍晋三「美しい国へ」の軽さと危うさ』を興味深く読みました。安倍氏の主張に改革の視点は少なく、小泉後継というのは政治路線としては偽りといった点など、なるほど、と思う指摘が少なくありません。とくに高村薫さんの、「臭いも懐疑もない人間が権力を手にして『闘う』というのは、ほとんど『近づくな、キケン』のレベル」という批評には思わず脱帽でした。

匿名 さんのコメント...

 再びRパパです。
 あらあら、家出ですか。大丈夫ですか。とりあえずカプセルホテルなどで、何とか凌いでいるのでしょうか。
 もちろん太郎くんの言葉は、年齢に照らしても本気でないことは明らかですが、それにしても最近の子は、テレビ報道等で物騒な言葉をよく知っており、時々こちらが慌てるようなことを言いますね。特にこのところ家庭内の虐待や親殺し等の報道が多く、親としては気が滅入ります。子どもは大人社会を映す鏡とは、よく言いますね。
 安倍氏の「美しい国へ」を読まれましたか。読むべきだろうとは思いつつ、評論家からは中味がないなどと言われており、今ひとつ食指が動きませんでした。
 きっと外交や軍事などについては「かっこいい」建前論を声高に主張し、地味な経済や社会保障などについては官僚任せにするのでしょう。

たろパパ さんのコメント...

はい、話せば長くなりますので、またいずれ機会があれば、ということにしますが。先ほどようやく「父帰る」となりました。ヤレヤレ!
「美しい国へ」を読むつもりはありません。安倍氏の立場にそもそも反対でもあるのですが、ベストセラーを読むという習慣がないかもしれません。あの養老猛さんのご本もまったく読んでいないし・・・。
帰ってみると、太郎たちは水泳教室に行っているようです。「パパへ ナイフでさすって言ってごめんなさい。」というメモがありました。