火曜日, 4月 11, 2006

「さなぎ」の時期 ・・・河合隼雄 『対話する人間』から

今日も河合先生の本から、「ユキコ現象」への一視角、「良い子」にしようと考えるな、「家出」の家が欲しい、といった章を読んでいきます。はじめの「ユキコ現象」というのは、1986年4月にアイドル歌手の岡田有希子(当時18歳)が自殺したことに続いて、思春期の子どもたちの自殺の報が相次いだことを指します。これらの章では、思春期の苦しみ、守りの必要、大人の役割りといったことが論じれられています。

【写真】 新宿副都心のランドスケープ(2006.4.3)

まず、鎌倉時代の名僧明恵(みょうえ)上人が13歳の頃に自殺を図り、「我一三歳にして既に老いたり」という有名な言葉を残したという逸話が紹介され、12歳から13歳の頃を「子どもとしての完成の時期」ではないかと指摘しています。そして、これに続く思春期を「死と再生」の過程、もっとも劇的な変化が進行する「さなぎ」の時期に譬え、この思春期を乗り越える苦しみが子どもたちにとっていかに深刻なものであるかを訴えています。たろパパの場合、どうだったかと振り返ってみますと、確かに思春期を通じて「我、老いたり」という感覚はあったように覚えています。それから、中学生の頃の「もう何がなんだかわからなくなった!」という不安で混乱した記憶もおぼろげながら残っているようです。私の場合(も?)、とりわけ母の懐深く長きにわたって「守られ」、比較的安定して「子どもとしての成長」に至る過程を過ごしただけに、この時期の混乱はより大きなものと感じられたのかもしれません。

この思春期の苦しみは「大人の常識を超える」ほど大きいこと、子どもたちは「なぜ生きのびねばならないのか」「生き続けて果たしてどうなるのか」といった問いを、容赦なく大人にぶつけ、周囲の大人の真実の生き方を凝視し、またその虚偽をつく真剣勝負を挑む時期なのだということ、・・・こうしたことは実に精確にこの時期の子どもたちのありようを語っていると思います。だから、大人は子どもたちのこの「吶喊(とっかん)」に耐えるだけの「壁」でなければならないのだということでしょう。

そして、こうした時期の子どもたちを「守ること」がいかに大切かということです。説教や介入を一切せず、ただただ暖かいベッドと心のこもった食事の用意のある場を用意する必要性、まさに「さなぎ」が孵化するまで、ひたすら静かに存在を守っていく場の貴重さ、ということでしょう。

また、各界で活躍する10名の著名人のインタビューを通じてあきらかとなった「問題児」のとらえ方についても大変面白いと感じました。一般に問題児とされる子どもについては、「なんらかの意味で大きい課題を背負った子ども」であり、この自分に与えられた大きな課題を解決しようともがきにもがいていくなかで、自らの個性を磨き上げていくという成長の必然的過程を検証しています。

さて、太郎がやがて「さなぎ」の時期を迎える頃、たろパパはその厳しい「検証」に耐えられるだけの内実を備えられるでしょうか。・・・あまり自信なく、もう今さら無理ということかもしれませんが、少しは頑張ってみようかと思い直したりしたことです。

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