月曜日, 4月 17, 2006

たろパパのブログ・オン・ブログ No.005

life at SIPA はコロンビア大学公共政策大学院(New York)で学ぶ日本人の若い方が書いておられるブログで、読んでみるとこの学校のプログラムがどうも半端じゃないというのがわかります。私のつたない英語力では正確なところはわからないのですが、どうも世界の約100か国から1200人もの学生、しかもある程度の学業のバックグラウンドのある人たちばかり集まっているらしい。しばらく更新がないなあとか思っていたら、案の定、「グアンタナモ模擬裁判」と「スーダン・プレゼン」という相当厳しいセッションがあって「突破」した模様・・・おめでとうございます。こういう方たちが活躍して次の時代をつくっていってほしいなあ、と心から期待致します。
【写真】近くの公園で(2006.4.15)

教授が興味深いことを書いておられます。どうも先生は学生たちの「物語る能力」の低下に悩んでおられるようです。子どもを研究者にでも育てたければ、「お話し」をたくさん聞かせてあげてください、とのことです。「特に子供が目を輝かせたり、何度も聞きたがるお話は何度でも聞かせてあげることです。(中略)かちかち山でも桃太郎でも一寸法師でも、寿限無寿限無でもなんでもいいのです。物語が頭にしっかり入ったら、その物語のどこかの部分について、お子さんに聞いてください。物語の筋が頭に入る訓練が出来て、なおかつそれを人前でいえて、さらにその筋について子供自身の意見をさしはさめるようだったら、もう将来研究者になるための第一関門を突破したといえるでしょう」・・・ふーん、物語りする力というのはそれほど大切なんですね。

うーん、そうかあ、平川さんという方の日常の背景にある心象がよくわかりました。えーっと、誰だっけ、そう滝田ゆうさんだったでしょうか。滝田ゆうさんの漫画に出てくる世界がみえました。

【写真】越冬サナギから孵ったナミアゲハについて、どこかに飛んでいったように書きましたが、実はまだ家の中にいることがわかりました。羽根の一部が欠けていることもありますが、羽化直後に飛び立てなかったことや、越冬の条件があまりよくなかったことが原因かなあと思います。(2006.4.16)

昨日ご紹介した内田樹先生の記事・・・いま女性が男性を評価するときの社会的能力としていちばん高いポイントを与えるのは「料理ができる」と「育児が好き」である・・・という「料理ができる」高ポイント・パパの代表みたいなのびたけおさん、です。おいしい料理ブログを毎日せっせと更新しておられます。ご苦労さま、そして、ありがとう!

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

たろパパ殿

実に久しぶりにコメントさせていただきます。いえ、貴兄ブログには変わらず日参しておりましたが昨今些細な環境の変化がありまして我が身辺のこと以外に逡巡することなく過ごしておりました。

キッカケはyukikofjswさんの話で出てきたAFSです。何を隠そう私も20年前の高校1年生になりたての頃に渡豪しましたがこのときに利用したのがAFSでありました。帰国後は多感な時期でもあり価値観の衝突に悩みこととなり、yukikoさんのようにリターニーとして次世代への還元活動には満足に係ることができませんでした。最近になりようやくですが、再びホストファミリーという形ででも再び係りを持てるようになりたいと考えるようになりました。

ところでたろう君をいつか、という考えをお持ちだそうで?たろう君にとり丁度親離れが始まる時期になるでしょうし、親としてある程度の受容度をもちながら考えていけるとよいですね。

ちなみに私の先輩である金融業界人が現在のYFU(AFS同等の理念をもつ代表的な留学機関)の東京事務所長を務めておりますが、話によると最近は学校単位での選抜制度など留学機会も増えており、むしろAFS・YFUなどの旧来の長期・現地受入・目的発掘型の留学機関は人集めに苦労しているようです。

とむ

たろパパ さんのコメント...

とむ様 こんにちわ やはりお忙しかったということですか。「環境の変化」とか、どうぞご自愛ください。

そうですね、確かに最近は「留学」といっても昔ほど気合いの入ったものではなく、ずいぶん簡単に行けるようになっているようです。1週間くらいのホームステイなどは安めの海外旅行みたいな感覚すらあるのではと思います。

太郎の留学については、まあ本人が望めば、ということではあります。柳田充弘教授が「説話する能力」の大切さを書いていましたが、日本の社会では互いが言いたいこと言い合いながら、刺激しあって一緒に成長していくといった関係がなかなか成り立ちません。関係性に「上・下」「支配・被支配」といったものがあまりにも多すぎます。「コミュニケーション」が一方通行の意見の押しつけに終わっています。こうしたコミュニケーション能力の欠如は「日本社会」の特徴ではないでしょうか。

だから、子どもたちには trin for trin のように「自分の意見を大切にする」と「人の意見も大切にする」を同時に、そして「勉強」の一番初めに身につけてほしいと考えていますし、太郎を日本的な「沈黙の伝統」には染めたくないという発想もあったと思います。

AFSなどのホストファミリーになってみましょうか。とむさんが前向きなら、情報交換しながら取り組んでみたいと思います。僕としては、「今風のやり方」より遙かによいと考えています。書かれていたYFUの方と一度お会いしてみることはできますか?