最初に柳橋保育園をみつけてきたのは妻です。私たちは太郎が3か月くらいの時に、園の近くの公団アパートに引っ越してきました。その後、保育園探しを始めたのですが、妻は柳橋保育園の木造の園舎が素晴らしいと言って大変気に入ったようすでした。実はその頃(太郎が入園する前の夏に)、私がたまたま子ども神輿をみる機会があり、大変興味を感じたのを覚えています。もっとも、その時には柳橋保育園の夏祭りとは知りませんでした。
【写真】子ども神輿が園に戻ってきた(2006.7.8)
【写真】今年は新しい演目も披露され、子どもたちや家族から
大きな拍手歓声がわいた(2006.7.8 リハーサルで)
大きな拍手歓声がわいた(2006.7.8 リハーサルで)
でも、太郎を入園させてみると、その「居心地のよさ」についつい甘え、途中で市外に転出してからも、引き続き数年にわたって太郎を通園させることになってしまいました。この柳橋保育園の良さを一言でいうことはできません。それは長年の努力の積み重ねであり、ひとつひとつの役にたつ知恵の全体であり、人々とそのネットワークでもあります。
そして、太郎が卒園した昨年春には、園庭にビオトープをつくることができました。たくさんの園と園児家族の皆さんの協力が実ったものです。私自身にとっては、虫や鳥、魚を通して太郎とむきあうスタイルの出発点にもなりました。これからもこの柳橋保育園について、時々、触れていきたいと思います。
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