月曜日, 7月 17, 2006

私の大きな里程標・・・河合隼雄 『対話する人間』を読んで

最近、たまたま特急列車で隣に座った20代の男性ですが、相当疲れているらしく大きく足を投げ出して寝ていました。ちょうどその時、少し離れた座席で4歳くらいの女の子とその父親が一緒に唄をうたっていたのですが、男性はこれがかなり気になったらしく、やおら起きあがると、親子のいる方に「ウルセエ!」とか言い出しました。まあ、実際に親子に聞こえるほど怒鳴った訳でもありませんが、男性のようすをみると相当苛立っているようです。もちろん、ご本人にお子さんがいるようにも思われませんし、ひょっとするとご自身が親と一緒に唄を唄ってもらったようなことがなかったのかなあ・・・などと、余計な推測までしてしまいました。

【写真】イワシは最初、20匹以上いたのだが・・・(2006.5.28)

それはともかく・・・、河合先生のご本、ようやく読了しました。テーマも多分野にわたり、論点もさまざまですが、私にとってもう本当に学ぶことの多い一冊でした。中学生から高校生くらいの子たちがどのような困難に遭遇しながら育っていくのかといったこと、中年の「落とし穴」・・・あるいは「創造の病」、時代の変化と家族の問題、東西の文化の違いと「片子」について、「する」偏重の時代と「ある」ことの大切さ、「さなぎ」の時期の子どもたちを守る施設について、等々。私自身、後期中年ともいうべき時期に差しかかり、自身の死、終末にむかってどのような目標をもっていくのか大いに頭を悩ませつつありますが、この本は、そうしたターニングポイントで出会った「おおきな里程標」といった感じが致しました。

太郎が生まれる遥か以前、まだ、私がアパートでたくさんの観葉植物に囲まれ仕事だけして暮らしていた頃、やはり私自身、心の闇(あるいは「病み」)に取りつかれていたのだと、・・・今では思います。先の男性ほどではないにしろ、自分が子どもをもつことや育てることなど、ほとんど想定していませんでした。子どもは成長し、親となりまたその子を育てる・・・という生物としての自然が意識化、あるいは位置づけされていないのです。これはやはりおかしい。もちろん、それだけ変化の大きい時代だったという総括はあり得るとは思います。そして「変化」の時代はまだまだ続くことでしょう。

私の中には、これから取り組みたいプランの原型がさまざまにあります。それほど速く進行するものはないかと思いますが、迷いつつも着実に進めたいと思います。この本、そして河合先生のお示しになるところは、常にそうした私の航海にとって北極星の位置にあるものと考えます。

1 件のコメント:

Rパパ さんのコメント...

 Rパパです。「これから取り組みたいプランの原型」というのは、何だか楽しみな表現ですね。
 高校生の頃、「お前たちは、頑張らなければ。俺はもう頑張る年じゃないんだ」と言った教師がいて、それは違うんじゃないかと反発を感じたことを思い出します。
 いつまでも前を向いていたいものですね。