水曜日, 3月 01, 2006

コンピュータと人間についてのきわめて常識的な意見

『ザ・サーチ』の読書感想文はもうお終いにしますが、もうひとつだけ、人間の知性とコンピュータの機能について少々感じたことを書いてみたいと思います。グーグルの「意志あるデータベース」が実現しつつあることは、人々が何を望んでいるのか、何を探しているのかをたちどころに調べることができる機能です。あるいはすべてのウェブ上のコンテンツを時系列にしたがってアーカイブしていくことには、確かに途方もなく大きな意味があることと思われます。しかしながら、こうした試みの先に人工知能が実現できる、コンピュータの機能を人間の知性と似たものにすることができると想像するのは無理があります。もちろん、ジョン・バッテルさんがあの本でそういうことを書いているということではありません。

またまた太郎の息子の小太郎くんに登場願いますが、仮に2050年に小太郎くんが昆虫の研究をしている時に、研究スタッフとしてすべてのWWWコンテンツとクエリーをデータベースとして内蔵しているナイゾーくんというロボットがいたとします。机で本を読んでいた小太郎くんがいきなり顔をあげ「あ、あれ、何だっけ?」と聞くと、ナイゾーくんは小太郎くんが同様の時間や環境の下で過去に発した同じような質問の意味、今、読んでいる本の内容、これまで世界の同じようなキャリアをもつ昆虫研究者が発した同じような質問の答え等々から類推して「それは○○年に××という当時の新説を発表した学者の名前です」とか、あるいは「今朝はゴミ出しの日なのに忘れておられましたね」と適切なフォローを入れるとか、その程度の受け答えができるコンピュータをつくることはできそうに思います(ここで、なんで2050年にもなってゴミ出しの日があるのかという疑問はちょっと横に置いておく)。

しかしながら、人間の知性がデータベースによる類推と違うことのひとつは抽象する能力、あるいは直観の能力だろうと思います。それから、人間は何かを求める、欲する存在でもあります。言葉を駆使して想像の翼にのり、過去と未来、そして他の人々の心のありようまで感知することができます。そして、何より人間は創造力をもって行動することもできます。まあ、ここまでくると、あんまりあたりまえ過ぎて、だんだん書くことも面倒になってきますが。一言で言えば、人間は生物であり生まれ成長し死ぬものであるのに対し、コンピュータはその人間の属性のひとつである知性の一部を機械らしいやり方で代行するに過ぎないということです。こういうあまりに常識的なことを書いても仕方ない訳ですが、そんなことを言いたくなるほどグーグルの進行中の試みは凄いということです。

あたりまえですが、鉄腕アトムのように「意志をもち目標にむかって行動する知性をもったロボット」については、想像あるいは研究することはできても、実際に創りだすのは不可能でしょう。逆に、目標を見失い毎日ダラダラと過ごしている私のような者を助けてくれるロボットとかがいたらいいのに、と空しくも願う私です。ですから、グーグラーの皆さんには、コンピュータの研究だけではなく、グータラー人間をいかにイノベーションするかという研究にもぜひ取り組んでもらいたいと切に希望致すものであります。
【写真】セミヒゲ(2005.8.28)

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