水曜日, 3月 15, 2006

人を誹らば・・・

お早うございます
昨日の東京はすごく寒かったのですが、今日は一転して暖かくなり、オフィスの中は軽く汗ばむほどです。恐らく花粉がいっぱい飛ぶんでしょう。街では外科医の手術用みたいなマスクをした皆さんをたくさん見かけます。

最近、親しい知り合いから都立高校に通うお嬢さんの卒業式のようすをお聞きしました。この方は君が代を歌わされるのがイヤで、これまで子どもたちの入学式や卒業式のほとんどを欠席で通してきました。ところが、これが最後の機会ということで、迷いに迷った末、今年は出席したとのことです。ところが行ってビックリ。この高校の場合、標準服はあるものの制服はなく、振り袖、袴着、スーツ、セーラー服、標準服、果てはコスプレチックなド派手衣装までが混在し、まるでお花畑状態だったらしい。おまけに注目の君が代はピアノ伴奏のスピードが速く、ほとんど誰も歌わない(歌えない?)状態でバタバタと進行したらしい。アハ!

【写真】 昨日に引き続き、「どんどこ池の四季 2005 春・夏」のハガキセットから「皐月」 (2005年9月 至誠学舎東京 柳橋保育園 制作)

ポスト団塊世代のたろパパの高校卒業式の時は、勇ましい奴がいて「卒業式フンサイ!」とか言いながらいきなり壇上に駆け上がったはいいけれど、教師連中に両手両足をしっかり掴まれて降ろされるという「事件」がありました。これは同級生の間での語り草になっています。えっ、私ですか? たろパパは付和雷同組で、だいたい周りのようすをみてウロウロしておりましたけれども、はい。それはともかく・・・

この君が代を巡る問題について、私は都教委がどうしてここまで意固地になって先生や生徒たちを従わせようとするのか理解できないし、こんなことで処分される先生たちが可哀想でなりません。反対に都教委の皆さんについては、ここまでやって大丈夫なのかなという心配もします。教育委員会という組織としてやっているのでしょうが、ちょっと風が吹けば攻守は入れ替わり、皆さんの人生がお望みにならない方向に変わってしまうということも大いにありそうです。昔は「永久に」記録が残るのは学籍簿くらいだった訳ですが、今のこのIT時代には誰がいつ何を語りどう行動したかみたいなことは、本人のあずかり知らぬところで実際に永久に残っていく可能性があります。この『たろパパ日記』のようにグーグルのサービスでやっているところはとくにその可能性が高いことになります。話が横道にそれましたが、昔、たろパパがまだ「元気」だった頃に、ある先輩に「人を誹らば穴二つ」と諭されたことがありますが、とりわけこうした思想とか政治主張に深く関わる問題はいろいろな意味で「両刃の剣」です。

例の民主党のガセメール問題の時、『増殖する俳句歳時記』の清水哲男さんが「どっちも電子メールの仕組みをちゃんと知らないんじゃないか」みたいにツッコミを入れておいででしたが、この君が代をめぐる前時代的な争いを見ていると、日本という情報孤島の中で無駄なエネルギーが大量に浪費されているという思いに駆られます。そして、子どもたちの心が育つべき場、人間に対する興味関心を育てるべき場で、こういう子どもたちそっちのけの争いはやめてほしいと強く願います。

2 件のコメント:

マダム さんのコメント...

そうですね。教育の場を、政治や宗教論争の場にして欲しくないですね。いったい教育委員会は、なぜ、そこまで、君が代にこだわるのでしょうか?先生を辞めさせるなんて、驚きですよね。歴史や宗教、子供たちが考えて、大人になって、選んでいけばいい。教育の現場は、ある種の、固定観念を植え付ける場じゃないはず。子供たちの柔らかな心に、もっと、ニュートラルに接していって欲しいです。

たろパパ さんのコメント...

マダムさま コメントありがとうございます。この投稿では触れなかったのですが、こういう「希望なき」がごとく見える情報孤島の日本においても、実は大変な地殻変動が起きていると私は感じています。ブログの大幅な拡大もそのひとつの表れでしょう。これから何年か経つと、社会問題についての意見は、マスコミより友人などのブログを参考に決めるという人の方が多くなるでしょうし、子どもたちは先生たちがなんと言おうと自分たちの心に素直な意見を言うようになっていくと思います。情報革命なんて大げさに言わなくても、歴史は静かにそして巨大な規模で動いています。