(村上) 他人の語る物語に正面からかかわってみたいというか・・・。
(河合) ぼくらの仕事がまさにそうなのですけれども、(中略)お互いの関係が深くなればなるほど、場合によっては危険もあるんです。
(村上) 向こうの問題がこちらにうつってくる、というようなことがありますか。
(河合) あります。
【写真】サッパくんたちの「受難」をよそに、ヤドカリくんたちは元気だ(2006.6.10)
(河合) 自分がそうなっていって、ちょっとそれを横から見ているような自分がいないとだめなのですね。自分が相手をまるごと受けとめて、相手と同じ状態になってしまったら治療にならないですからね。
(村上) 結局のところ、自分の欠落を埋めることができるのは自分自身でしかないわけです。他人がやってくれるものではない。そして欠落を埋めるには、その欠落の場所と大きさを、自分できっちりと認識するしかない。
(村上) 物語というのが力を失った時代があって、いままた物語が復権しようとしているということがありますが、昔は、物語というのは、身体性とかいうことともまた関係なく、ただ自然にあったものではないか(略)。
(河合)ぼくの仮説ですが、物語というのはいろいろな意味で結ぶ力を持っているんですね、いま言われた身体と精神とか、内界と外界とか、男と女とか、ものすごく結びつける力を持っている。
(河合) ところが、心理の専門家でも、一定以上にそのタガが緩くなってしまうときがあるのです。そういう人が、自分の診ているケースを研究会などで発表するのを聞いていると、みなものすごくいらついてくるのです。そしてみんなものすごく疲れるんです。(中略)ところが、ちゃんとした人がやると、一般的良識とはずれているようなのだけれど、なんか一本の線が通っているという感じがあるんですね。(中略)いちばん大事なのは、その線をピターッと持っているということなんですよ。それを持たずにやったら、もう相手もぼくもおかしくなりますね。
【写真】これが「大物」のハゼ。今朝、海水槽をみると、サッパは10匹以下に減少していた(2006.6.10)
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