木曜日, 6月 01, 2006

アイ・メンタルスクールの事件に関連して

今朝(2006.6.1)の朝日新聞社会面に、4月に起きた名古屋のアイ・メンタルスクールでの死亡事件関連記事『現場発』が載っています。事件と並行してこの施設に放り込まれていた20歳の男性を取りあげ、家庭とこの施設での大まかな経緯が描かれています。この青年の場合、施設に強制的に連れ込まれてから1週間ほどの間、鎖に繋がれた状態だったこと、収容者が殺された状況をみて逃亡を図ったことがわかります。とくに、鎖を解かれてから、家族に「会いたい」という切実な思いのこもった手紙を書いていた点から、家族に対して完全に絶望していたのではないこともわかります。現在は、家族のもとで大学進学にむけて必死に頑張っているということで、記事をみる限り、施設への収容と死亡事件がきっかけとなって、不登校、家庭内暴力の袋小路から抜け出すことができたといえるケースのようです。
【写真】5月20日に巣立ったシジュウカラの一家がときどき家の周りにやってくる(2006.5.28)

この神田大介さんという記者が書いた記事について、男性の回心の過程や家族の関わりという点でやや突っ込み不足という印象もありますが、死亡事件の背景について読者の理解を促すという役割りは一応果たしているように思います。ただし、同時にこの記事は、さほど興味深いとまでは言えないようにも感じます。それは、男性の心の軌跡の描き方が表面的で、例えば実際に身近に家庭内暴力などに直面している人には「こういう人もいる」と受け流される程度の話にとどまっているからではないでしょうか。不登校、ひきこもり、家庭内暴力といった問題についてかなり深い理解がないと書けない種類の記事ではあります。

先月も書いたとおり、死亡事件、そしてこうした施設がある面で必要とされていることについて、本当にひどいことだと思いますが、だからどうしたらよいのか、私としては、ただただ迷い悩むだけです。しかし、こうした施設に数千、あるいは万という規模の人が収容されて希望のない生活を送っていること、このことだけはとにかく忘れずにいたいと思います。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

不登校、引きこもり等、とても他人事とは、思えません。いつ、誰がそうなってもおかしくないのでは、と思います。今の時代、皆、こうあらねばならない、などの執着心の強い時代ではないかと、思います。勉強しなきゃ、受験しなきゃ、塾行かなきゃ、いい人でいなきゃ、みんなに合わせなくちゃ、てきぱきしなきゃ、結婚しなきゃ、仕事しなきゃ…稼がなきゃ、妙に、こまかな決まり事みたいなのがあって、ストレスたまりますよね。子供達に望まれている事も、多い。執着する事を求められ、執着から逃れられなくなる時、袋小路に行ってしまうのではないだろうか?
親も、子も、「もう、いいじゃない、何とか、生きてりゃいいさ?、ひとりで、生きてみろ?、世界は、ひろいよ?、家を出ようよ?」なんて、思えたら、少しは楽になるんだろうけどね、とも思いますが、難しいのでしょうね、現実は。ちなみに、私は、学業が、終わった時点で、「犯罪者にならなかったら、それでいいから、一人で生きていきなさい?」と、親に言われました。そのときは、なんて冷たい親だろうと驚きましたが、今は、理解できます。本当は、愛情いっぱいだったんですね。

たろパパ さんのコメント...

マダムお京さま、こんにちわ!
うん、うん、その通りですね。
僕もついつい太郎に期待をしがちですが、太郎にしてみれば迷惑かも・・・。期待するのは抑えられませんが、それを太郎に感じさせない(お京さんの親御さんの)ようにした方がいいということでしょうね。
コグマくん、元気になられたようで何よりです。