水曜日, 5月 24, 2006

働きざかりの落とし穴 ・・・河合隼雄 『対話する人間』から

しばらく河合先生のこの本とご無沙汰でしたが、前回のテーマであり「中年の発達心理学」という副題のついたこの章をもう一度とりあげてみたいと思います。

中年期の人々が陥りがちないろいろな心の問題を「創造の病」と位置づけましょう、ということがこの章の軸になっています。若い頃からの努力によって、社会的にあるいは経済的に成功した時に直面する虚しさ、自分を無意味としか思えない袋小路、・・・ある面で、中高年の自殺やうつ病との関連性が大きいと考えられる問題ですが、これを精神上の成長の転換点として捉えていく視点で、家族の意味、心と身体性、意識と無意識の関係、「する」と「ある」のバランス、生と死の問題、死に向かう準備と宗教性といったことが論じられていきます。

【写真】ザリガニ釣り(2006.5.14 どんどこ池で)

「家族の意味」については、離婚の危機や夫婦の会話のなさ、あるいは子どもによる家庭内暴力といった家族関係の問題と、それを単に反省によってではなく、「自己の掘り下げ」の努力を通じて、新しい価値観を創造していくきっかけに転換していくことの大切さが強調されています。

また、「する」と「ある」のバランスとは、現代の社会があまりに「する」ことに傾き過ぎていて、「ある」ことの意味をなおざりにしていることを批判し、「ある」ことの復権を提唱されています。ここで、「する」こととは、働くこと、活動すること、何事かを成し遂げることであり、「ある」こととは、「父であること」「子であること」といったことです。例えば「子育て」という言葉は「する」系だということになるのでしょう。本では「赤ちゃんがニコニコしているだけで、家族みんなの心がホッとする、笑いが起きる」といったことを「ある」ことの例としてあげています。

そして、「死にむかう準備」も、中年の精神的成長にとって大切な要素だと思いました。もとより私自身は神様というものを信じませんし、唯物論的に歴史発展を捉えてきたつもりですが、同時に、ユングが唱えたという物語による無意識の探求の意味を認めるものです。心の奥底を宗教性のある説話文学によって探るといったことにも興味を感じました。ここで紹介されている「今昔物語」や「宇治拾遺物語」についても、いつか読んでみようかと思いました。

私個人の反省ではありますが、思春期において正面から自分に向きあうことが少なかったと思います。そのためにも、今、(後期)中年の私が、いわば「第2の思春期」をどのように迎え、生きていくのか、このあたりを、今度は慌てずじっくり取り組んでみたいと思った次第です。・・・ちょっとマジメになり過ぎでしょうか(笑)

2 件のコメント:

マダムお京 さんのコメント...

最近、自分が「ある」の思考に近とき、くつろぐことが出来、何かを「しよう」と思うと、ぶつかってしまうことが多い。
確かに社会は、「する」をもとめ過ぎだと思う。「子供であること。」だけで、子供達は許されない。なんと、多くを求められていることか。学校でも、多く求められている。それも、「生きる」すべよりも、学力や、服従だったりする。
生きる力は、自然に持っているはずの、子供達。あまりストレスにさらしたくない。

たろパパ さんのコメント...

お京様 こんにちわ
何かあたりまえのコミュニケーションがとれない先生がおられて困っているとかありましたね。むずかしい問題です。
子どもたちもなかなか大変な時代です。激しく成長している時期ですので、ある面でボーっと何もしないでいる時間に「育つ」心もあるでしょうに、次から次に「する」ことを急きたてているような気がします。お互い、気をつけましょう。