火曜日, 5月 23, 2006

たろパパのブログ・オン・ブログ No.013

柳田充弘の休憩時間 より
柳田先生のブログは、定年退官という一見悠々自適の生活を送られながら、研究にも、政治の動きにも、子どもの気持ちにも、自由に想像力を羽ばたかせているところに魅力があります。もう1か月もフォローしていませんでしたが、今日はここから拾ってみます。
子供の日 2006.5.5
湖西の川はすべて、がちがちのコンクリートで両岸を固めていて、それが場所によっては山の中腹まで続くとか。そんな必要があるのだろうか、と誰もが思うような気がするのですが、事情に詳しい人にいわせると、比良の急流はすべてそのようにせねばならないのだそうで、まだやってないところが沢山あるのだそうです。ふるさとの川を思い浮かべると、わたくしのような世代の人間は、川岸にはすべての面白い魚や水生生物がいるという記憶を持っているので、こういう川をみるのは正直かなりつらいものです。子供の日ですが、川であそぶ子供の姿を見るのは湖西では特別な場所に行かないと駄目みたいです。
・・・子どもたちの仲間だけ行って、水に入って遊ぶことができる川が私たちの周りに復活する日が来るのでしょうか。
【写真】秋川渓谷で(2006.5.3)
主観と客観 2006.5.9
でも結局、実際に会ってみて話しをすれば、優れた研究者かどうか自分なりの判断は出来るものです。そのうえでわたくしなどは、その研究者が自分のことをどう思っているか、それをそれとなく引き出すようなことが、年をとってからの楽しみです。割合技巧が高まって、そのあたりの内面をある程度会話から知ることが上手になったような気がします。そういうことで、結局内面を知れば、ほとんどの優れた研究者は、ブラックアンドホワイトのように、自分を優れているとか劣っているとか、そんなふうに思っていることはほとんどないようです。
・・・うーん、「研究者」というところを、「人物」と置き換えても通じるお話しのように思いました。さすが柳田先生くらいのお歳になると人物眼が肥えてくるようです。
論文を完成するタイミング 2006.5.13
データが出たら、すぐ論文に書いて出せる新酒でも味がしっかりしてるものもあるのですが、データが示す現象が何を意味するのか分からないものは熟成期間の必要なお酒のように、置いておくことの価値を考えて、どうしても後回しになって(しまう場合もある)。・・・(中略)・・・ただ寝かせてるだけのように見えても、時期がくるための熟成期間のいる論文もかなりあるのです。1年8か月前に無理矢理書けば、結局適切な議論がぜんぜん出来なかったかもしれません。このあたり、こういう類の論文を書く時期は非常に難しいものです。
・・・ふーん、そうなんだ。科学、とりわけ生物を対象とする科学とはそういうものかと感心しました。
秋田県での事件について 2006.5.22
しかし、わたくしはそのことを先生に言うことが出来ませんでした。先生は見た目にどんどん苦しそうになり、しばらくして学校に来なくなりました。でもわたくしは、そのことを、親にも兄弟にももちろん級友にも、だれにも言えなかったのでした。その子への同情というわけでも必ずしも無かったとおもいます。このことは、ずっとわたくしのなにかの負い目になっているのですが、やはり告げ口はできない、という気持ちが強かったのだと思います。
・・・タイトルの事件とは直接関係のない、先生の子どもの頃のお話しです。小学校のクラスで給食費がなくなった事件、それを盗んだと思しき子のことを誰にも言えなかったという記憶をたどっておられます。

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